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岩手県宮古市の丘の上には,明治時代の津波の鎮魂碑が建っていて,そこには「ここより下に家を建てるな」と書かれていたりします
http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/672.html
投稿者 TORA 日時 2011 年 3 月 22 日 10:42:48: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu236.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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岩手県宮古市の丘の上には,明治時代の津波の鎮魂碑が建っていて,
そこには「ここより下に家を建てるな」と書かれていたりします。

2011年3月22日 火曜日

「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな」の石碑


◆明治三陸大津波から110年  2006年6月16日 おだづまジャーナル
http://plaza.rakuten.co.jp/odazuma/diary/200606160000/

明治29年(1896年)の今日(6月15日)は、明治三陸大津波のあった日だ。今朝(15日)のNHKラジオ第一(7:20ニュースアップ)で伊藤和明さんが語っていた。

綾里村(現在の大船渡市綾里)では、実に38.2mの津波が襲来したという。地震の直接の被害者はいないが、津波による死者2万2千人、流失家屋8千9百戸。人口の7割8割が失われる壊滅的打撃を受けた村もある。典型的な津波地震だ。

今朝のラジオでは、当日は日清戦争から凱旋した兵士を迎えて花火を上げていたとか、結婚式が行われていたとか、翌日は地引き網で死体を集めた、など、さまざまな実話を紹介していた。

当日は朝から有感地震はあり、夕刻7時32分頃に震度2か3程度の地震があるが人々はさして気にとめない。地震動が小さく警告の役割を果たさなかったために被害が拡大したとも言われる。しかし実際は三陸沖150kmを震源とするM8.5の大地震だった。

津波襲来は午後8時過ぎ。引くべき時間でもないのに引き潮があって、その後、大砲のような海鳴りが聞こえる。まもなく、耳をつんざくばかりの怒号とともに黒山のような波が襲来し、一瞬にして全てを流し去った。

生死を分けた事例として、靴を履かずに逃げた者が助かり、靴を履こうとした者は巻き込まれたのだそうだ。教訓として、津波には個性があるから過去の経験に基づく行動や思いこみが裏目に出ること、生き延びる唯一の方法はカネやモノに執着せず一目散に高所に逃げること、など。

また、37年後の昭和8年(1933年)の昭和三陸大津波では、高地移転の成否が明暗を分けた事例もある。吉浜村は明治津波の教訓から高地移転を実行し、昭和津波では大きな被害を出さなかった。これに対し、唐丹村でも明治津波で人口の8割以上が失われる地区もあり、山腹に移転した人もいたが、日常作業の利便性を求めて、また山火事もあって、再び海浜部に住むようになり、昭和津波ではまた世帯の8割が被害にあった。

ところで、明治三陸大津波を調べていたら、科学技術振興機構(JST)の「失敗知識データベース」というサイトを知った。これは興味深い。失敗学の畑村先生が関わっているそうだ。このデータベース収録のもっとも古いものが、この大津波のようだ。


◆三陸海岸の石碑は警告していた  3月21日 龍公の言いたい放題
http://24438241.at.webry.info/201103/article_30.html

三陸海岸沿いにドライブをすると、過去にここまで津波が来たというマークを頻繁に、しかも信じがたいほどの高さの場所に見ることができる。
また、これより下に家を建てるなという昔の人の石碑も

さて以下は4年前
日経BP 2007/04/11記事から抜粋

人はなぜ「自分は大丈夫」と思うのか,防災研究家の片田群馬大学教授に聞く

もう1つ例を出しましょう。日本にも数多くある「津波の常襲地域」における教育の事例です。まずは,津波の常襲地域の現状を説明しましょう。

岩手県の三陸沿岸などは,有史以来何度も繰り返し津波が襲ってきています。「明治三陸津波」では,釜石地区の6500人のうち4000人が命を落としています。

そんな歴史もあるので,例えば岩手県宮古市の丘の上には,明治時代の津波の鎮魂碑が建っていて,そこには「ここより下に家を建てるな」と書かれていたりします。

しかし現在,この碑を無視するかのように,その碑の下には家が建ち並んでいます。

三重県の錦地区にも似たような事例があります。ここは,昭和19年に三重県志摩半島沖を震源として発生した「東南海地震」で,大きな津波被害に遭った場所です。

実は,この津波で甚大な被害が出た地域は,昭和40年代前半まで復興が進まなかったという事実がありました。これは,当時の人が「今ここに家を建てたら,次の世代が津波の被害に遭って,自分達の世代と同じ思いをする」とちゅうちょした結果でした。しかし錦地区は,昭和40年代後半にブリの養殖で地域の経済環境が良くなって,町が復興しました。

津波は,向こう30年間で見たら「60%」といった確率の問題であるかのように見られますが,100年のスパンで見たら100%やってくる「必ず起こる災害」です。しかし人々は,被害に遭った時の思いを忘れてしまい,記憶を風化させてしまいます。そして風化したころに津波がやってきて,同じ被害が繰り返されようとしています。

津波の碑を建てて警告を残した人々,被害を忘れずに復興をためらった人々−−そういった先人の心を思うとやるせなくなります。今われわれが取り組んでいるのは,同じ事を繰り返さない地域をどうやって作るのか,ということです。そのためには,人々の心に寄り添うことが欠かせません。


(私のコメント)


三陸海岸に行くと高台には多くの石碑が建てられているそうです。大津波で亡くなられた人の慰霊碑ですが、これらの慰霊碑は現代に日本人に対する警告をしていたのでしょうが、今回の東北関東大震災には生かされなかった。「ここより下に家を建てるな」と警告しても、自分だけは大丈夫と考えてしまうのでしょう。

東京だって、関東大震災がありましたが、多くの人は自分だけは大丈夫と考えている。私自身は老朽化した住宅を鉄筋コンクリートのオフィスビルに建て替えましたが、関東平野を一望すれば木造住宅が果てしなく建てられている。木造住宅は火災にも地震にも弱いですが、津波に対しても弱い。30年もすれば老朽化して建て替えるのは不経済だと思う。

にも拘らず日本の住宅の鉄筋コンクリート化はなかなか進まない。なぜなのでしょうか? 平屋でも二階建てでも鉄筋コンクリート住宅なら、火災に強いし地震にも強く津波にも流されない。建てるには多少コストがかかりますが、耐久性を考えれば安上がりになるはずだ。鉄筋プレハブ住宅なら品質的にも確かでしょう。なぜ木造住宅ばかり建てるのでしょうか?

今回の大震災を見ても、助かったのは五階建て以上の鉄筋コンクリートのビルの屋上に逃げた人たちで、四階の窓にまで津波が達していた。なぜ三陸の町は鉄筋コンクリートの高層住宅を建てないのでしょうか? 海岸に防潮堤を建設しても、14メートルの大津波には何の役にも立たなかった。それを明治に建てられた石碑は警告していたのでしょう。

このような大災害が起きても、30年も経てばほとんど忘れ去られてしまうでしょう。関東大震災の記憶もほとんどなくなり、戦災の記憶も遠い過去になりつつあります。阪神淡路大震災も17年経って忘れかかっていますが、老朽化した木造住宅は大きな地震のたびに倒壊しています。火災が起きればたちまち広がってしまいますが、二次災害を大きくしてしまう。

対策としてはいろいろあるのでしょうが、住宅も鉄筋コンクリート住宅しか認めないようにすべきだろう。特に三陸海岸の町は鉄筋コンクリートと住宅にしてあれば、大津波で水没しても建物は流されなくて済む。木造住宅は流されて瓦礫が人を飲み込んで行く。防災訓練もされていたのでしょうが、テレビのインタビューでも被災していた人が言っていましたが、今までは地震があっても数十センチの津波だった。だから油断していたのでしょう。

明治時代に建てられた石碑は風化が進んで、人々の記憶からも消え去られていた。知識としては知っていても、自分が生きているうちは大丈夫と思い込んでしまう。何十年も平穏無事が続くと、これから先何十年も無事だと考えてしまう。東京だってそろそろ大震災が起きると覚悟を固めるべきでしょう。ならば今すぐにでも木造住宅の人は鉄筋コンクリートの住宅に立て替えるべきだ。出来なければ売り払ってマンションに引っ越すべきでしょう。

おそらくこのような事を書いても、ほとんどの人は「自分だけは大丈夫」と考えて何もしないでしょう。無理だと言って私を非難してくる人もいるでしょう。政府は何をすることも出来ず、自分が総理大臣のうちは何も起きないでくれと祈るばかりになっている。菅総理大臣は運が悪かっただけなのでしょう。今となってみれば小沢一郎に総理を譲っておけばよかったと考えているかもしれません。谷垣総裁に丸投げしようとしたら断られた。本当に無責任な総理大臣です。

なぜ「ここより下に家を建てるな」と石碑が警告しても、警告が守られないのでしょうか。東京でもゼロメートル地帯には住宅が一杯だ。大震災が来れば瓦礫の山となって火災が発生する。堤防も壊れて水没してしまうだろう。埋立地にも超高層ビルが建てられていますが、電気が止まっただけで使い物にならなくなってしまう。

昨日も書きましたが、防災拠点の整備が不可欠ですが、最低限の電気の確保が欠かせない。通信や情報連絡に欠かせないからだ。携帯電話も通じなくなるのは基地局が破壊されてしまうからだ。通じたとしても直ぐに電池がなくなって使えなくなる。ガソリンも直ぐになくなり移動も出来なくなり物資も途絶えてしまう。テレビを見ていると自動車がなくては移動も出来ない事情が見える。

原子力発電所も危険性が認識されていましたが、防災対策がいい加減だった。津波に関してはほとんど対策が立てられていなかった。テレビを見ていれば専門家は「想定外」を連発していますが、明治三陸大津波も想定に入っていなかった。「想定外」で済まされるのならば専門家など要らない。来るべき東京の大震災も専門家たちは「想定外」と言うつもりなのだろう。


 

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コメント
 
01. 2011年3月22日 11:45:42: PYlgG1ptx6
津波で水につかった家に住み続けますか?
家財は、如何されますか?

確かに木造建築は、弱い。
でも考え方を変えれば、環境に負担をかけない構造だともいえます。
どう避難し、どう復旧していくかを考えたときどちらが?
いろいろ想定してみないと判断できないと思う。
もし、木造建築(従来工法)で舗装も石畳中心だったら少なくとも環境への負担は少なかった。
また、不謹慎ですが、更地になった所に新築する。
確かに鉄筋コンクリートの建物は、残りました、そのまま使用できるものは、どれくらいでしょう。
考え方は、色々だし、科学万能と思うのも否定しません。
でも、分かっていないことも多く存在します。
想定外が、起こっている以上、所詮今の科学が知りえてることなんて、と思ってしまいます。


02. 2011年3月22日 14:27:00: cqRnZH2CUM
確かに、今後は津波エリアでは、建造物は鉄筋コンクリートで5F建て以上等に限定すれば、今回程度の津波であれば屋上に避難すれば死なずには済むだろうし
空いたフリーゾーンにもっと根の強い樹木を増やせば、被害を縮小できる
家財等も必ず壁面に固定するようにすれば、津波後の瓦礫撤去など復興も早くなる

稼働中の原発の電源や水源対策が最重要だが、それ以外にも、建物、鉄道・道路インフラやいろいろ、今回の震災を教訓にすべき改善点は多いな



03. 2011年3月22日 17:51:38: fZLx20euWI

記事入力 : 2011/03/22 09:22:11

東日本巨大地震:被災車両、財産権に阻まれ撤去できず

日本メディア「政府が原則に固執、救援物資の配送や復旧に遅れ」

 日本の神戸港には、ヘリコプターの離着陸が可能な2万トン級の大型輸送船が停泊している。海運会社の日本郵船は15日、地震被災地の復旧を支援するため、輸送船の派遣を政府に申し出た。道路が破壊された被災地の海上に輸送船を停泊させ、自衛隊のヘリコプターを利用して救援物資を被災地の住民に届けることを提案したのだ。だが、日本政府は、自衛隊員が同社の輸送船で訓練をしたことがないとの理由で、この提案を拒絶した。


 日本メディアは、政府が原則に忠実すぎるあまり、救援物資の配送や被災地の復旧作業が遅れていると批判し始めた。宮城県東松島市の野蒜小学校の校庭は、割れたガラスやつぶれた自動車100台ほどで埋め尽くされている。自衛隊は小学校を復旧作業の拠点として活用するつもりだったが、これらの自動車のせいで拠点にできなくなっている。所有者の承諾が得られないまま勝手に移動させるのは、財産権の侵害に当たるとの理由からだ。


 読売新聞が報じたところによると、津波被害を受けた地域では自動車やがれきなどが至る所に散乱しているが、財産権の問題で、勝手に撤去するのも困難だという。京都大の平山修久教授は、想像を超えた災難だったため、放置車両などを撤去するため緊急権限が与えられるべきと主張した。


東京=車学峰(チャ・ハクポン)特派員


【ニュース特集】東日本巨大地震

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/news/20110322000018


04. 2011年3月22日 17:53:56: fZLx20euWI

東日本巨大地震:日本人はなぜ冷静なのか

感情抑え「和」の心で耐える

 「繰り返される自然災害、忍耐力のある日本人」「組織最優先視が体質化した国民性」


 11日に発生した大地震に対する日本人の冷静かつ秩序ある姿に全世界が注目している中、韓国の日本専門家たちは「日本の文化的・歴史的背景を掘り下げてみれば、当然のこと」と語った。


 日本では昔から自然災害が繰り返されてきたため、日本人には災害への耐性が備わっている、というのが一致した分析だ。『日本文化読み』『日本人の論理構造』などの著者、チョン・ヒョン檀国大日語日文学科教授(58)は「日本人は江戸時代から、周期的に大きな地震に見舞われてきた。日本人は地面を叩いて痛哭するより、心を空にして次の危機に備えるしかない、という姿勢を取るようになった。日本には、“全て水に流す”という言い回しがある。全ての出来事を天の摂理として受け入れ、原点からやり直す、という日本的な思考をよく示している」と語った。


 個人の利益よりも組織の問題を優先視する日本人が、組織のバランスを崩すことをためらい、感情をあらわにすることを抑制しているという分析もある。文化人類学者のイム・ギョンテク全北大日語日文学科教授(51)は「日本人は他人の前であからさまに感情を表現することを非常にためらう。それは個人的な感情の発露が組織のバランスである“和”を乱しかねないと考えるからだ。今の日本は危機の状況にあって、社会的平衡を維持するため、極度の緊張を維持している状態。こうした張り詰めた雰囲気を外から見ると、美しい秩序のようにも見える」と語った。


 日本経済の専門家で、日本社会の分析書『日本再発見』の著者、イ・ウグァン・サムスン経済研究所首席研究員(59)は「日本は第2次大戦後、国内総生産(GDP)が戦前の30%まで低下した状況から、一致団結して世界第2位の経済大国へと成長した底力がある。“失われた20年”と表現されるほど深刻な経済低迷に苦しんできた日本だが、再び一致団結して新たな姿を見せることができるだろう」と語った。


クァク・アラム記者


【ニュース特集】東日本巨大地震

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/news/20110317000054


05. 2011年3月22日 18:12:05: fZLx20euWI

【萬物相】日本人の市民意識

 韓国語も満足にできない私の娘が日本で暮らし、3歳のときに習った言葉は「順番」だった。この言葉を教えてくれたのは保育士ではなく、同じ年ごろの子どもたちだった。滑り台で遊びたかった子どもたちは、先を争うことなく「順番、順番」と言って列を作り、自分の番を待った。われ先に滑り台で遊ぼうとしていた私の娘も、いつしか「順番」と言って列に並んだ。


 日本の母親たちは「他人に迷惑をかけてはいけない」という言葉で家庭教育を始める。地下鉄では終日「足を組んだり伸ばしたりしたら、ほかの人の迷惑になります」という案内放送が流れる。『菊と刀』の著者ルース・ベネディクトは「日本人は他人が自分をどう見ているかに敏感だ」と語った。他人に配慮し、自分は節制する「修身文化」だ。47都道府県は「迷惑防止条例」を定め、他人にひどく迷惑をかける行為を法的に禁じている。


 2009年11月、釜山で起きた射撃場火災で10人の日本人観光客が命を落としたときも、釜山を訪れた家族たちは泣き叫ぶのではなく、沈痛な面持ちでひざまずき、むせび泣いていた。自分の悲哀を表に出すことすら、他人に迷惑をかけることだと考えているためで、日本では葬儀も静かに行われる。


 11日の大地震で日本人が示した配慮と市民意識に、世界が感嘆している。外信各社は日本人の忍耐と秩序を「人類精神の進化」と称賛した。足を痛めたけが人は、救助隊が到着すると、申し訳なさそうに「私よりもっと大変な人がいるんじゃないか」と尋ねた。生活必需品が不足しても略奪の事態は起こらず、スーパーの前には数百メートルもの行列ができたが、割り込みはない。東京電力は、14日から地域ごとに輪番で電気を止める計画停電を行うと発表したが、当日午後まではそのまま電気を供給していた。地下鉄各社が運行を制限し、市民が家庭や職場で節電に務めたからだという。インターネットユーザーは「パチンコや遊興業の社長さん、少しだけ我慢しよう」というメッセージを送った。


 避難所にいた女性は「夫と連絡がつかない」と痛切な救助要請をする際、絶叫するのではなく頭を下げた。道路が寸断され車が通れない仙台市では、今でも市民たちが青信号を待って道路を渡っている。公共放送のNHKは興奮することなく、ニュースと避難情報を速やかに伝えた。日本人は今、こみ上げる血の涙をこらえ、驚くべき精神で試練に耐えている。

鄭佑相(チョン・ウサン)論説委員


【ニュース特集】東日本巨大地震

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/news/20110315000076


06. 2011年3月22日 20:30:19: fZLx20euWI

深刻なガソリン不足が救援活動の妨げ―東日本大震災

2011年 3月 22日 13:50 JST

 深刻な燃料不足が、東日本大震災の救援活動の大きな妨げとなっている。当初の地震や津波から1週間以上がたつが、被災地ではガソリン不足のため生存者の捜索や食品などの生活必需品の配送が遅れ、灯油の足りない避難所では被災者が凍える日々を過ごしている。


 燃料不足で帰って来れないリスクもあることから、政府はボランティアの被災地行きを思いとどまらせようとしている。

 先週は、津波で流された多くの自動車からガソリンが抜き取られた。仙台港近くでは、損傷の激しい数百台の大半のガソリンタンクがこじ開けられていた。

 問題解決を複雑にしているのは、供給不足の裏にあるいくつかの要因だ。たとえば、パニック的な買占めや地震で発生した製油所の火災。

 また、ガソリン輸送車を巻き込む主要道路の交通渋滞は、停電による鉄道の運休のために一段と深刻化している。タンクローリーの数は、環境規制強化のためここ数年減少している。

 資源エネルギー庁のある当局者は、自然災害、原子炉問題、買占めという三重苦と戦いながら供給確保に努めている、と述べた。

 インフラも問題だ。津波で数百人の犠牲者が出たある町では、ガソリンスタンドが2店舗以外すべて破壊された。町の職員は自衛隊から数バレルのガソリンを受け取ったが、可燃物を扱う免許のある施設がない。硬直的な制度のため食料配送、遺体収容、緊急医療活動が滞るなか、町の職員は手動ポンプで緊急車両にガソリンを注入している。

 この職員は、「大変な非常時なので、やむを得ずこのようなことをするしかない」と説明。当局が”臨時給油所”を閉鎖することへの懸念から、名前や場所を出さないよう本紙に求めた。「ガソリンをめぐって、『殺すぞ』というような脅しも聞こえてきている」ため、一般の人にも内緒だという。

 11日の地震や津波で操業停止に追い込まれた製油所は、東北から横浜まで6カ所に上る。コスモ石油の千葉製油所は、鎮火に10日間かかった。

 一方、製油所側は、環境規制のため供給を急速に増やすことができないとしている。

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1月時点の国内製油能力(単位:百万バレル、1日当たり) 左:稼動中 右上:一部稼動中 右下:震災で停止中 *地図は製油所の位置
http://jp.wsj.com/var/plain_site/storage/images/media/images/110322_fuel_02.jpg2/4336277-1-jpn-JP/110322_fuel_02.jpg_image_Col3wide.jpg

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 石油連盟の橋爪吉博氏は「在庫量は十分あるが、ロジスティクスの問題で燃料が届けられない」と述べた。同連盟によると、タンクローリーの数は2005年の1万7744台に対し10年は6966台と、ガソリン需要の減退を受け減少している。エネルギー効率の向上と気候変動を抑えようとする圧力も背景にあるという。

 ただ、北海道からの出荷や西日本で稼働中のタンクローリー300台の移動で、状況は徐々に改善し始めている。JXホールディングスは横浜製油所での生産を21日に再開した。

 仙台では、自動車オーナー、ガソリンスタンド経営者、政府当局者らが過去2日で供給が改善に向かい始めたと語る。ただ、先は長い。

 出光興産のスタンドで働くある従業員は、店舗から2キロ近く離れた場所で最後尾を示す札を掲げていた。ただ列は長いが、2時間ほど待てばみな購入できそうだという。2日前には、この従業員自身も売り切れを懸念しながら自分の車のために10時間以上並んだという。

記者: Kana Inagaki and Eric Bellman and Toko Sekiguchi

http://jp.wsj.com/Japan/node_206766


07. 2011年3月22日 20:32:57: qDbie17hkE
壊れてもない車を平気でレッカー移動するのに、

公共のための復興の邪魔になる車をちょっと

脇に動かすことができない?

そりゃ言い訳だろう。


08. 2011年3月22日 20:34:50: fZLx20euWI

出光、塩釜に石油搬入 JX日鉱日石 根岸で精製再開
2011年3月22日 朝刊

 東日本大震災の被災地で深刻な不足が続くガソリンなどの石油製品について、石油元売り会社の出荷基地の復旧が進み始めた。出光興産は二十一日、塩釜油槽所(宮城県塩釜市)が復旧し、海上輸送による石油製品の搬入を再開したと発表した。

 塩釜油槽所には同日、愛知製油所(愛知県知多市)からタンカーでガソリン千五十キロリットル、灯油四百七十キロリットル、軽油四百九十キロリットルの計二千十キロリットルが到着。今後数日間に宮城県や同県周辺の給油所のほか、自衛隊などに供給する。

 同油槽所にはこれまで在庫計八千六百キロリットルがあったが、緊急車両などに優先して供給していた。近接する仙台塩釜港は地震後、航路が確保できず船の入港制限が続いていた。

 JX日鉱日石エネルギーも同日、震災後に点検のため停止していた根岸製油所(横浜市)の燃料油の精製装置について稼働を再開。二十二日以降、灯油、軽油、ガソリンを順次生産し、関東、東北両地方に供給する。

 また、コスモ石油は二十日朝、青森県八戸市と宮城県塩釜市にある出荷基地から緊急車両向けなどに在庫品の出荷を再開。同社はこれまでに堺製油所(堺市)、四日市製油所(三重県四日市市)の原油処理能力を合計八万バレル増強している。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2011032202000023.html


09. 2011年3月22日 20:43:26: fZLx20euWI

“千年に一度”では済まぬ 大津波と東海・東南海

 東日本大震災の大津波は、本当に「想定外」で、住民の生命を救えなかったか。次の東海、東南海・南海地震で同じ事態は果たして繰り返されないか。 

 大震災発生から一週間以上がたった。犠牲者の数は、約二万二千人が亡くなった明治三陸地震津波(一八九六年六月)に匹敵か、場合によってはそれを上回る。

 被災の全容判明には、まだほど遠い。国土交通省などによる道路や河川の調査一つをとっても、職員が現地に入って実情を把握したものの、通信網の途絶で情報そのものが発信できない。

 史上最大規模は事実

 今回の巨大地震について、地震の専門家や防災行政の担当者の間では、「信じられない」「千年に一度の頻度で起きる地震」との見方が強い。はたしてそうか。

 東北、北海道沖は、日本海溝、千島海溝で太平洋プレートが陸側プレートの下に沈み込む。日本周辺で、津波を伴う地震の発生が最も懸念される区域の一つである。現に明治以降も明治三陸地震津波を筆頭に、昭和三陸地震(一九三三年三月)、十勝沖地震(五二年三月)、北海道南西沖地震(九三年七月)などが頻発している。

 プレート境界に近い岩手・宮城沖、福島沖、茨城沖の三カ所で、次々に断層面がずれて起きた今回の地震のマグニチュード(M)9・0という規模は、日本の災害史上最大なのは事実である。津波は最速十分で海岸に到達、最大波高は十五メートルを上回ると計算された。

 しかし「理科年表」(国立天文台編纂)によれば、明治三陸地震津波の波高はいずれも現・岩手県大船渡市の吉浜二四・四メートル、綾里三八・二メートル、同宮古市の田老一四・六メートルの記録がすでにある。

 また二〇〇〇年代にはいり、日本・千島周辺の海溝型地震の防災対策特別措置法が施行され、東北四県と北海道の百十八市町村を推進地域に指定、被害想定に基づき津波をはじめ防災対策を進めてきたはずである。結果的だが机上の空論だとはいえまいか。

 さらに心配がある。大震災後、長野県北部、静岡県東部などで強い地震が続いたことだ。十五日夜に静岡県富士宮市で震度6強を観測した地震は、大震災による地殻変動が影響し起きた可能性を、政府の地震調査委員会は認めた。

 では一連の地殻変動が、かねて懸念されている東海地震、東南海・南海地震の発生を促進したり、激化させはしないだろうか。

 中央防災会議の想定で、津波は東海地震で房総半島から紀伊半島に最大波高十メートル、東南海・南海は回り込みを含め茨城県南岸から鹿児島県まで最大五メートル以上が襲う。

 本当に関連はないのか

 三大都市圏はじめ人口と経済活動の集中する地域が多いだけに、現実に津波に被災すれば、今回に数倍する惨状も杞憂(きゆう)ではない。震源が駿河湾なら、静岡県東部沿岸は数分で到達する。

 東海、東南海・南海地震は、フィリピン海プレートが陸側プレート下に沈み込む境界が震源で、今回の地震と異にする。東海地域のひずみ計は異常変動を観測せず、地震調査委員会は「関連は見当たらない」とみている。

 データ上はそうだが、科学は未知の領域を絶えず持つものとするなら、懐疑の余地は残した方がいい。油断はできない。大方が軽々しい断定には納得しまい。 

 一部の研究者は、「いたずらに不安になる必要はないが、注意は必要だ。とくにプレート境界や駿河湾が震源の地震が多発を始めたら、厳重な警戒を要する」と呼び掛けている。

 さしあたって東海、東南海・南海地震の被害想定を地震の規模、津波を中心に見直しを急ぎたい。とくに大都市圏に近い東京湾、伊勢湾、大阪湾、震源が近い駿河湾沿岸の津波被害を慎重に計算し直す必要がある。

 次に今回の経験を教訓に、住民の避難意識を徹底的に高めねばならない。今回の被災地、大船渡市の海岸部でも昨年二月、チリ大地震で大津波警報が出た時に、住民で避難したのは15%弱にとどまっていたという。

 揺れたらすぐ高所へ

 ところによって地震発生後、数分で津波がくる静岡県は沿岸部住民に「揺れたらすぐ避難を」と呼び掛けている。

 ハード面では、集落の多い海岸の防波堤や港湾の防潮扉など、いずれも事業費と時間がかかる。低地には、住民が緊急事態のときにすぐ駆け上がれる高所式のシェルターが考えられる。一九四四年十二月の東南海地震で、集落全体が壊滅的な被害を受けた三重県大紀町錦地区の津波避難タワーはその一例で、高さ二十二メートル、五百人を収容できる。

 災害は待ってくれない。できることからすぐ始めよう。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011031902000091.html


10. 2012年3月11日 14:38:06 : 8rqqEwA8r2
鉄筋にお金があればみんなするでしょう。

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