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命をかけ津波通報、宮城・岩沼市の若手職員
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110319-OYT1T00447.htm?from=main4
東日本巨大地震で大津波の被害に遭った宮城県岩沼市で、沿岸部の住民に避難を呼び掛けている最中に命を落とした若い市職員がいた。
同市税務課職員・多田裕一さん(31)。職務中の不慮の死を悲しむ遺族は、地元住民から「お兄ちゃんがいたから助かった」と励まされ、涙した。
11日の地震発生後、津波が到達するという情報が、市の防災課から税務課に伝えられた。同課は、災害時には住民の避難誘導の広報を担う。同僚らによると、市役所2階の職場で担当者を募った際、多田さんら4人が名乗り出た。
4人は、スピーカー付きの公用車2台に分乗し、二手に分かれて数キロ離れた沿岸部に向かった。「津波警報が出ています。避難してください」。住民への呼び掛けから間もなく、巨大な津波が襲いかかった。1台は、迫り来る津波に追い掛けられながら逃げ切ったが、多田さんら2人の乗った車は消息を絶った。
兄の身を案ずる弟の功治さん(29)は、通信手段が途絶する中、約20キロ離れた仙台市内の実家から、岩沼市役所に連日出向いた。しかし、地震によるガソリン不足のあおりで、4日でそれも不可能に。「生きていてほしい」と連絡を待ち続けたが、津波から7日目の17日、市の関係者から、収容された遺体の中に「多田さんらしき若い男性がいる」という悲報が入った。
遺体の安置所となった市民体育センターは、多田さんが勤めた市役所の目の前。功治さんが両親と共に訪ねると、兄は変わり果てた姿で横たわっていた。ほとんど傷もない、まるで眠っているような姿に、母はその場に泣き崩れた。その時、遺体安置所内に親族を捜しに来ていたお年寄りらから、こんな話が聞こえてきた。「私たちが助かったのは、若いお兄ちゃんが避難を呼びかけてくれたから」
先を読んで仕事ができるムードメーカーで、職員の間で若手のリーダー格だった多田さん。「市民への対応も親切だと定評があった」と同僚は振り返る。
仙台市内の多田さんの実家を訪ねて謝罪した岩沼市の井口経明市長(65)は、若い職員の死に「非常に申し訳ない」と肩を落とす。多田さんをかわいがっていた税務課の星厚雄課長(57)は「仕事を全うしすぎだ」と目を赤くはらして語った。
功治さんは「兄がいなければ、もっと被害者が増えていたに違いない。昔から正義感があり、危険を顧みずに、最後の最後まで頑張ったんだと思う」と涙をぬぐった。(清水健一郎)
(2011年3月19日14時35分 読売新聞)
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