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「SOS タベモノ」孤立の牡鹿半島、支援待つ住民
2011年3月18日17時42分 :朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0318/TKY201103170562.html
でこぼこの草むらにヘリコプターの着陸場所を表す「H」の文字。隣のブルーシートには「SOS タベモノ」と……。宮城県・牡鹿半島の漁師たちが、孤立状態の集落に自家製ヘリポートをこしらえて支援を待っている。
約250人が暮らす石巻市給分浜(きゅうぶんはま)の給分地区。養殖カキ出荷の真っただ中だったが、津波で養殖場は全滅。家屋も大多数がつぶされた。多くの漁師は地震直後に船で沖へ逃れ、女性たちは子どもの手を取り山へ走ったが、50代の女性1人が行方不明という。
以来、高台で難を逃れた民家で、二十数人が集団生活をおくる。まき代わりにがれきで暖をとり、夜は身を寄せ合って眠る。道路は寸断され、持ち寄った米や麦もすぐに底をついた。ヘリの音がするたび、「おーい」と手を振るが、無情に通り過ぎていく。
ならば、と漁師たちは約3メートル四方のブルーシートに白いペンキでSOSを描き、高台に並べた。凹凸が多く、実際に着陸できるか怪しいが、民家を提供する安藤渉さん(57)は「それくらい苦しい。今日を生き抜くことしか考えられねえ」と真剣だ。
16日までにヘリの到着はない。道路は徐々に復旧しているが、15日に自衛隊が陸路で乾パンを置いていっただけ。買い出しに行きたくても車のガソリンが手に入らない。
避難所のような配給やボランティアの支援はない。漁師の安藤大輔さん(26)は「1歳3カ月の息子と認知症のばあさんがいっから、避難所に迷惑かけられねえ」。他の住民も、生まれ育った場所を離れたくないという。
「今は仕事より食べもん。でも3年か5年後には絶対に復活してやっからな」。漁師の一人は涙を光らせながら声を張った。(小野大輔、太田成美)
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