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見つかるのは遺体ばかり…壊滅した市街地、泥だらけの廃墟
2011.03.14 :夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110314/dms1103141623021-n1.htm
魚の臭いがする泥の中を、自衛隊員や警察官がかき分けるように生存者を捜していた。だが、見つかるのは遺体ばかり。商店街横の土手に、白い布を掛けられた犠牲者が何人も静かに横たわる。布の間から見えた小さな足。横顔には、まだあどけなさが残っていた。
12日午後、大津波の直撃を受けた岩手県釜石市の中心部。屋根がぺしゃんこの乗用車が民家の玄関にねじ込まれ、いくつもの流木が商店のウインドーに突き刺さっている。津波の巨大な力にかき回され、壊滅した市街地は泥だらけの廃虚と化していた。
「この先に私の家があるの…」。船酔いにも似た余震が繰り返す中、自宅のある地区の様子を懸命に尋ねようとする老夫婦がいた。自衛隊員の一人は「あっちの状況は分からないんです」と、がれきと泥に埋もれた通りの向こうをただ見詰めるだけだった。
市内の旅行代理店に勤める鈴木亜季さん(35)は、家々と人々が津波にのみ込まれていくのを、避難した小高い丘の上から見ているしかなかった。
大きな揺れの直後。海岸沿いの道路は逃げようとする人たちの車で渋滞となった。大津波は、その車列を黒い悪魔のように襲ってきた。ごーっと低く響く音が聞こえた後、濁流が静かに渋滞をのみ込んだ。緊急出動したばかりの消防署員ばかりか、消防本部も瞬く間に泥の波に沈んだ。
「何十台だったか。100台ぐらいは渋滞で並んでいたかもしれない」。悪夢の光景を振り返る鈴木さん。その道路を指さしながら、ふとつぶやいた。「本当に多くの人たちが、何もできずにのみ込まれてしまったんです」。地震から24時間が過ぎても、友人や知人の多くと連絡はまだ取れていない。
一方、そこから南西に約50キロ離れた宮城県気仙沼市。1万5000人を超える被災者が、電気が通わない体育館など80以上の施設で身を寄せ合っていた。
2階だけが残って傾いた住宅に、電線や折れた信号機が絡み付く。すっかり変わった町の姿。
市役所前には無事だった人の名を記した紙が張り出されていた。新聞販売店を経営する広野昌紀さん(70)がじっと目を凝らす。車で外出したまま連絡が途絶えた妻の名を探していた。「まだ望みを捨ててません」。記者を見て、そう言った。(半沢隆実、田井誠、黒崎優人)
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