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Kazumoto Iguchi's blog 様
3月13日記事(1)
「3月11日の巨大地震を予知した人物」:予知できたわけとは?
(以下に文頭一部転載)
明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。
−−マハトマ・ガンジー
みなさん、こんにちは。
植物という種は、言葉も話さないし、目もあるわけでもない。しかし、太陽が昇れば植物全体が一斉にそれを感知し、光合成を行って成長する。春に芽を出せば、夏に花を咲かせ、秋には種を作る。その季節で得られた情報は子孫であるすべての種に刻まれ、次に備える。まあ、おおよそこんな一生を終える。
ところが、我々人間という種は、言葉も話すし、目も見える。どこにでも自由に歩むことも出来る。それを司るすばらしい心もある。しかし、太陽が昇ってもそれを特に感知するわけでも感謝するわけでもない。だれかがすばらしいことを見つけ、学んだとしても、それが人間という種全体に伝わることはない。自分が何もしなくても脳みそが勝手に学んでくれるというわけでもない。それなりに苦労して時間をかけて学ばない限り学べないという動物なのである。
だから個々人がいつも時代を超え世代を超えて、先代の知恵や知識や経験が次世代に自動的に伝達されるということにはならない。ある場所である人が学んだ知識が、その時同時に他の地域の他の人に伝えられるわけではない。実に不便な生き物である。
この意味では、植物と人間を比較した時、どっちが本当に賢いと言えるか分からないように見える。世代全体を通じて学び、世代全体でその経験を次世代に残す種と、世代全体が分裂し、いつも個々人の経験で終わり、次世代でまた同じことを繰り返し、永遠に学習することのない人間種。そういう感じに見える。
とまあ、私はいつもそんなことを感じるのである。
話はちょっと逸れたところから始まったが、今回の地震予知で、若干このサイトを訪れる人が増えたようなので、ちょっと皮肉から始めたというわけである。
人というものは、いつも自分が一番、自分が一番最初だ、自分が一番知っている、というように思いたいという習性を持っている。また、それが良いことだと教育されている。だから、実は自分が気づく時期がどんなに遅かったとしても、本人にとってそれが世界最初なのである。そのため、新参者がまるで古参者のように事後逆転して認識してしまうということになる。
今回、インターネット上では、私が「3月11日の巨大地震を予知した人物」という、非常にすばらしい称号を得ることになったようだが、これについてちょっとメモしておこう。それは何故だったか?と。
(以上、一部転載終了)
興味のある方は以下URLにて全文を御確認下さい。
http://quasimoto.exblog.jp/14422398/
ついでに
3月13日記事(2)
大人と子供の違いとは何だろうか?:この世の酸いも甘いも知っているのが大人!
(以下に文頭一部転載)
みなさん、こんにちは。
さて、今回の巨大地震やHAARPに関連して一言メモしておこう。
大人と子供の違いとは何だろうか?
(以上、一部転載終了。全文は以下URLにて御確認下さい。)
http://quasimoto.exblog.jp/14423925/
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