★阿修羅♪ > 自然災害16 > 110.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
地球がフォトン・ベルトに突入したらどうなるか、ということについては、チャネリング情報によって論議を呼ぶところになっている。
シリウス発信の情報で、フォトン・ベルトへの突入後を見てみると、カトリックの伝承が伝えるように、人類は一時かなり大変な時期を過ごさなくてはならないようだ。
ガラバンダルの少女たちが「死んだほうがまし」と思える状況とは、いったいどんなものだろう。
まず、「暗黒の3日間」に突入すると、地球の熱源である太陽の光が遮断されるため、地上は猛烈な寒さに襲われるらしい。
しかし、この寒さが永遠に続くわけではなく、この3日間を乗り切れば良いようだ。
先にも記したように、その際、電気器具は一切使えないというのだから、防寒具で身体を温めるしか方法はないようだ。
真っ暗な中で72時間忍耐すると、その後、天にほのぼのと光が現れ始め、一時的に星が見え出すとも伝えられている。
『ヨハネの黙示録』の第21章には、
「諸国の民は都の光に照らされて歩み、地上の王たちは自分らの栄光を携えて都に来る。都の門は終日閉ざされることはない。そこには夜がないからである。人々は諸国民の栄光と誉れとを都に持って来る。しかし、清くない者や、憎むべきことや、偽りを行なう者はけっして都に入れない。入れるのはただ、子羊の命の書に記された者だけである」
――と記されているが、これを暗示するかのように、「暗黒の3日間」が過ぎると、本来ならば2000年間にわたり、終わりのない昼間が訪れるらしい。
しかし、今回はその状態が、高次の地球外生命体によって短縮されているという。とは言っても、その昼間だけの状態は17年間ほど続くとも伝えられている。
アセンション関係の書籍に目を通した方であれば、アセンションがどのように起きるかについて、ある程度ご存知だろうと思うが、それが起きるときの様子を伝えるさまざまな情報ソース(地球外生命体、天使、マスター)が、「すべての生物の肉体に変化が起き、それは体内で燃え上がる火のようにも感じられる」ことを述べている。
これについて、面白い見解がある。
地球上には絶えず宇宙線が降り注いでいるが、これらの宇宙線はマイクロ波の領域に属している。
つまり、人間はある程度のフォトンを浴びているのだが、それらは人間を構成する原子を励起させるまでにはいたらない。
ところが、フォトン・ベルトはこれらフォトンの塊のようなもの。つまり、そこに入った生命体は、何かの形で原子構造の変換を迫られることになるというわけだ。
この時の体験が、ちょうどマイクロ波で調理される食物にも似て、燃えることなく変化するという現象を起こすのでは‥‥というのだ(電子レンジで調理したタマゴが爆発することを考えると、くれぐれもそうならないように祈りたくなるが‥‥)。
そして、そこでは人間が持つもう1つの身体、すなわちライト・ボディに大きな変化が生じ、これまで3次元という密度の高い場しか認知できなかった人間の意識が、それより上の次元を認知し、そこに定着するようになるという。
* * *
5世紀から6世紀にかけて地上に生を受け、仏教の祖となった釈迦は、人生の終盤にさしかかった頃、仏教の末法思想の原点となった「法滅尽品」という説法を行なった。
その中で釈迦は「末法の時代、太陽も月も光が見えず、星の位置が変わりゆく。白い虹が陽を貫く不吉な前兆が現れ、地は震え、水は涸れ、嵐が起こる」と伝えた。
フォトン・ベルトの到来でなくとも、さまざまな預言が地球に起きる暗い未来を暗示している。
果たしてこのフォトン・ベルトも実際に存在し、本当に到来するかは、来てみなければわかるものではない。
しかし、ミステリーの範囲でも、またいつの日にか起こると太古から預言されてきた「その時」のことを思えば、このような話があるという事実を知っておくことは決して無駄ではないだろう。
ただ、このような情報を受け取ると、即、頭から信じ込み、それを多くの人に喧伝し、無用な恐怖感を助長する人が出てくることがある。
かつて筆者は「暗黒の3日間」や聖母の予言が、いったい真実なのか否かについて、知人であったローマ・カトリックの司祭に詳細を尋ねたことがある。
彼は老齢のポーランド人で、イエスはもちろんのことだが聖母に深い崇敬を捧げている信仰深い有徳の人物だった。彼は興味本位で謎を探ろうとした筆者にこう言った。
「何が起きてもいいではありませんか。いつも心を正しく、神様のご意志にそれることのない生活をしていれば、それで十分でしょう。あなたは死ぬのが恐いですか? 仮にその時に死ぬことになっても、いつも神様のご意志にそっていれば、その魂は身体がどうなっても幸せ幸せ。すべては神の御旨のままです」
彼の言うことは、宗教の範囲を越えて誰にでも言えることだ。
毎日を心正しく、精一杯生き抜いているならば、何が起きても、たとえ死ぬことになっても、それを恐がる必要はない。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen24.html