01. 2013年11月05日 07:00:41
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JBpress>日本再生>世界の中の日本 [世界の中の日本] 音楽のデジタル化が引き起こした貧困 音場づくりにこだわったリヒャルト・ヴァーグナーの功績 2013年11月05日(Tue) 伊東 乾 ドイツの作曲家リヒャルト・ヴァーグナーの仕事を振り返りながら、音楽の新しい可能性を追求する私たちのプロジェクトについて、前回に引き続きご紹介したいと思います。 その背景には、20世紀の百年をかけて変質してきた私たち人間と音楽の関係、さらにはミュージックビジネスのあり方といったものも含め、様々な要因が関わっていると思うのです。 「デジタル録音」登場当初の衝撃 バイロイト祝祭劇場でのプロジェクト。マイケル・オースティン(トリスタン:テノール)とともに 突然話が変わるようですが、私が10〜20代を過ごした1970年代〜90年代にかけて、「音楽を盛る器」に大きな変化がありました。デジタル化です。
もう少し端的に言うなら、それまでのLP版などがお役ご免となってCDという新しいメディアが登場した、1980年代半ば頃の変化です。 高校生だった私にとって、一番ショッキングだったのは、実はCDの登場以前、LP版で登場した「デジタル録音」という新方式の響きを聴いたときでした。 忘れもしない、ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団の演奏でバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聴いたのです・・・。 冒頭、コントラバスの旋律から曲が始まるのですが、弦楽合奏をしていた高校生の私には、従来の録音とは全く違う、まるでコントラバスの弓から松脂が飛び出してきそうな(合奏中にしばしば目にする光景ですが)、リアルな近接音が自分の部屋のオーディオセットから響いて、本当に驚いてしまったのをよく覚えています。 このオーマンディのバルトーク、それから、エドヴァルト・マータ指揮のラヴェル「ダフニスとクロエ」全曲版、デジタル録音が出たての頃のLPを、10代後半の私はよく繰り返して聴きました。 で、実際にLP版が疲れてしまった頃からレコード屋の店先に虹色に輝くCDなる新メディアが登場するようになったのですが・・・。いまのお話はちょっとこれとは違いますので、話を本筋に戻しましょう。 どこにも存在しない響き:ハイファイという近視眼幻想 さて、当時まだ子供だった私は、至近距離で聴くコントラバスの響きが驚くほど忠実に再生されるデジタル録音に度肝を抜かれたわけですが、実はこういう音は客席では聞こえないものです。 バイロイト祝祭劇場オーケストラピット内に設えられた稽古用アップライト・ピアノ。日本で紹介されたことはほとんどないと思いますが、実は「ヤマハ」が使われています! 私は中学高校生時分にチェロを弾いていたので、弦楽合奏で自分の真横で後輩が弾いているまんまのようなコントラバスの音の再現に、当初はびっくりしました。
しかし、こんな響きは客席はおろか、指揮台に座っていても絶対に聞こえません。コントラバスの楽器前方1メートル程度・・・つまり、マイクロホンが立っている場所の音がするわけですね。 で、初期のデジタル録音の「衝撃的な響き」(と、確かに私は思いましたが)が、どうして衝撃的なのか、その理由がだんだん分かってきたのです。 例えば、フルートの音もフルートのまん前1メートルの音がします。バイオリンも、ピアノも、クラリネットも、みんなその楽器のまん前のクリアな音がする。 でも実際に1人の聴き手が、それこそ、ろくろ首のように、ひょいひょいと耳の位置を変化でもさせない限り・・・こんなサウンドをライブで耳にすることは、絶対にない。言ってみればとても「電子音楽」な響きになっているのだと気がつきました。 職業柄、耳はよく使うのですが、初期のデジタル録音音源をあまり注意して聴いていると、あちこち動いているような錯覚を覚えて、気分が悪くなってしまうこともありました。 それくらい「単品としての録音データ」の「正確な原音再生」ハイ=フィデリティ、いわゆるHifi(ハイファイ)が重視され、またそうやって「正確に」録音された各チャンネルの響きが「ミキシング」されて、初期のデジタル録音コンテンツは制作されていたわけです。 実は原理だけ考えれば、今もこうした傾向は一貫して続いてるものです。 つまり、ミックスダウンされた響きというのは、現実のどんな1箇所のリスナーも耳にしない、いわばピカソが描くキュビズムの絵画のように、本来の自然な遠近法で1点に修練する響きの場を全く持たないものになっている。 これは決してデジタルだけの話ではありません。アナログ録音の品質が向上し、SPがLPになった頃から、マルチチャンネル録音が頻繁に用いられるようになって、レコード産業や録音業界のどこでも目にされ、耳にされるようになった現象です。 一つひとつの要素は、まるで虫眼鏡か顕微鏡で拡大したようにくっきりしているのですが、その相対として響くものが、実はどこにも場所として存在するところがない、あくまで電子的にミキシングされた結果合成された響きで、リアルな場所の定位感が存在しないコンテンツも、決して珍しくはありません。 「音楽の場処」を求めて スタジオ内のあちこちにマイクロホンを立て、ばらばらの響きをミキサーでまとめても、全体として1つの響きの場所が定まる「音場感」は得られません。 実際には、特にクラシック音楽の録音では、よく響くホールの天井から釣った「1点もの」のマイクで、まずホール全体の音の響きのベースを作って、その上にあちこちの響きを薬味のように足して「サウンド」を作っていくようです(が、実のところは私たち音楽家が知らないところに、エンジニアの腕の見せどころがあるのでしょう)。 ポップスではもっと状況はラジカルで、最初から響きの「定位感」といった古典的な観念に縛られませんから、徹底してアバンギャルドと言うかアナーキーな響きが既に何十年か世の中に普及して、誰もそれを不思議と思わなくなっています。 ヴァーグナーの求めた上下左右の演奏位置・多様な方向からの響きの違いを確認するべく自作した「6軸相関計」をバイロイト祝祭劇場中央10列目の客席に設置したところ もっと煎じ詰めて言うなら、今日の日本社会で音楽と言うのは、
「基本スピーカーから流れてくるもの」 であって、ライブで演奏しているとなると「おや珍しい」なんて言われかねない、そんな歴史上の逆転が起きている。で、それを極めて自然なものとして受け入れてしまっている。そこを指摘したいのです。 人類発祥以来、どれくらい昔から音楽なるものが存在したかは神のみぞ知ることでしょうが、少なくとも「いま・ここ」に演奏する人がいないのに、スピーカなる小箱から音だけがしてくる、などという珍奇な現象は19世紀末年まで地球上にほとんど存在していませんでした。 ベートーヴェンもモーツアルトも、バッハもヴァーグナーも、あるいは世阿弥も近松門左衛門もシェイクスピアも、決してスピーカーやマイクロホンを前提・念頭に音楽や舞台を作りませんでした。 逆に言えば、マイクもスピーカーもない時代に、劇場空間の中に生の人間と楽器を配置して、それだけで、驚くほど生き生きと、豊かで立体的な響きを作り出していました。 例えば、モーツァルトの故郷ザルツブルクの大聖堂は、四方の高所に小型のパイプオルガンが設えられ、それらを交互に演奏できるようになっています。 レコードもラジオもテレビもなかった時代の方が、はるかに、ごくごく普通の人たちが、音楽や言葉が響き渡る空間や、音源の場所、広がりなどに敏感に毎日の生活を送っていた。 そして実際、ヴァーグナーやベルリオーズ、マーラーあるいはプッチーニといった19世紀の綺羅星のような音楽の才能たちが残した楽譜をきちんと読み直すと、彼らが本当にこまやかに、歌手や奏者、楽器の位置や分布に心を配っていたかがよく分かります。 で、私たちはいまそれを、リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇作品について、彼自身が設計したドイツ・バイロイト祝祭劇場と、まったき現代日本の空間である東京の複数の会場で、実証的に現場に響かせて、それに耳を澄ませてみようと考えているわけです。 つまり、スピーカーからなる、場所不在の音ではなく、しっかりその場に響きが充溢する「音楽の場処」の再発見と復権を!というのが、私たちのプロジェクトの大きなテーマで、これは実はオペラだけではなく教会やお寺でも並行して仕事を進めています。 極端な例ですが、分かりやすいので挙げると、いまお寺や葬儀会場でお葬式を挙げるとして、お坊さんの読経でも司会者の声でもよいです。ああ、これで確かに成仏できるな、という宗教空間が本来持っていた暖かさ、野辺の送りなど、一つひとつ大切な行事を、あたまでなく人間が動物的な直感から安心して納得できるような、そんな時空間は 少なくとも日本国内にはほとんど存在していないように思うのです。 5年ほど前でしたでしょうか、イタリアのクレモナという町の教会を訪れたところ、偶然、引退された司祭さんが亡くなられたお葬式に出くわし、司教が司式しておられたのですが、「ああ、これが宗教行事というものだ!」という、大変に充実した響きを耳にして感銘を受けました。 伝統的な葬儀では、亡くなられた方と生きている者とを一度一緒に包み、それをしっかり分ける、という時間空間への配慮が必ずなされているものなのですが、それが21世紀になっても、イタリアではしっかり成立していた。人の心を盛る器としての空間、音の場処がそこにあった。 こういうことが実は日本には非常に少ない。かつてオウム真理教のようなものに若い人が攫われてしまった背景にも、こうした「環境の貧困」が深く関係していると私は強く思っています。 さて、次回からバイロイト、そして東京での具体的な演奏について、より踏み込んだお話をご紹介いたしましょう。ベルリンよりお送りしました。
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