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http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20110615/361405/
[4]インターネット“神話”の検証
2011/06/23
白井 良=ITpro
ソーシャルネットワークは災害に強い、インターネットは核戦争にも耐える---。2011年3月11日に発生した東日本大震災後、様々な“インターネット神話”がまことしやかに語られた。
しかし、特集の第1回、第2回、第3回で見てきたように、物理的な通信インフラとしてのインターネットは災害に耐えたり、災害を自動的に避けたりする仕組みを持っているわけではない。通信事業者、インターネット接続事業者(ISP)の努力によって、被害を極小化したり早期に復旧したりしている。
TwitterやFacebookなどのソーシャルネットワークが利用できたのも、海外との通信インフラが無事だったことに尽きる。島国である日本は海底ケーブルを使わないと事実上インターネットが使えない。TwitterやFacebookといった米国発の新興ソーシャルネットワークは、オリジナルのサーバーを米国に置いている。米国との海底ケーブルがある程度健全だったことが、東日本大震災でソーシャルネットワークが使えた理由だ。
海底ケーブル集中地帯の茨城沖〜銚子沖で多数断線
写真1●東日本大震災で切断された海底ケーブル
復旧後に回収された実物。
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実は海底ケーブルは東日本大震災の影響で多数切れていた。東日本大震災は本州東側で南北に長く続く日本海溝で発生したとされる。多くの海底ケーブルがこの日本海溝をまたいでおり、今回の地震でそこが大きく崩落したとされる。切断されたケーブルの実物が写真1だ。被覆材が円錐状に伸びていることから、強い力で引っ張られて切断されたことが分かる。
ISP向けに国際接続サービスを提供するNTTコミュニケーションズは、図1のように主要な海底ケーブルへのダメージと復旧状況を明らかにした。茨城沖、銚子沖の海底ケーブルの多くが被害に遭ったことが分かる。
図1●海底ケーブルの被災状況(NTTコミュニケーションズ提供資料に加筆)
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図1で示したように、海底ケーブルは茨城県の北茨城と阿字ヶ浦、千葉県の丸山と千倉、三重県の志摩に陸揚局(海底ケーブルを引き上げる拠点)が集中している。関東の4拠点は今回の地震の震源域に近く、ここから出ているケーブルが多数切れてしまった。
NTTコムでは三重県志摩の陸揚局のケーブルのダメージが比較的少なかった。そこで、ほぼ全滅に近い被害に遭った茨城沖海底ケーブルのトラフィックを、志摩の陸揚局を経由させるように迂回させた。加えて、志摩の陸揚局にある通信設備を増強して、志摩から米国に向かうケーブル「PC-1」の通信帯域を増やした。
NTTコムは地震当日に迂回路の設定を行い、3月14日には増速と一通りのサービスの復旧まで済ませた。「これほどの大規模災害は想定外だったが、災害に対応できる設計にしていたのが功を奏した。とはいえ、海底ケーブルのチームは不眠不休での作業になった」。NTTコムの平良聡ネットワーク事業部危機管理室長は言う。
図1にはないが、グーグルやKDDIなどが出資して、2010年春に運用を開始した海底ケーブル「Unity」は切断を免れた。この海底ケーブルは、千倉から南に向かい、小笠原諸島付近から東に向かうルートだった。今回、切断が多発した地域を避ける形で敷設されていた。ソフトバンクBBの牧園啓市執行役員ネットワーク本部本部長は「当社の設備ではないが、高速なUnityが生き残ったのは、インターネット業界全体として救われた感があった」と言う。
海底ケーブルの歴史は、断線事故との戦いの歴史とも言える。アジア向けの海底ケーブルは、地震と台風の巣である台湾沖に集中している。2009年、2010年にアジア向けの通信がほとんどできなくなってしまう事故があったのは記憶に新しい。ここ最近は事故の多い台湾沖を避けて、フィリピン北側を通すケーブルが増えている。NTTコムなどはこのルートを使い、日本とフィリピン、マレーシア、シンガポールを結ぶ「Asia Submarine-cable Express」を敷設中だ。
世界中のユーザーと自由に通信できる、世界中のサーバーに自由にアクセスできるインターネット---。網の目のように思えるインターネットだが、限られた海底ケーブルで支えられているという事実は忘れてはいけない。
電気がないと通信できない
東日本大震災で露呈した課題として、当たり前のようだが「電気がないと通信機器が動かない」というものもある。災害で商用電源を確保できないなか、いかに電気を確保するかが問題になる。
例えば被災地において、震災当日の3月11日は携帯電話が使えたのに、翌12日からは「圏外」になって使えなくなった。これは大規模停電が原因だ。停電後に携帯電話の基地局は非常用電池に切り替わったものの、数時間で電池を使い切って動作が止まってしまった。
その結果、地震と津波のあった3月11日よりも12日、13日の方が通信障害の件数が多いという事態に陥った。携帯電話事業者の保守担当者は自家発電装置や蓄電池を持って基地局間を飛び回り、徐々に携帯電話ネットワークを復旧させていった。
固定通信も同様だった。震災直後よりも翌日の方が使えない回線が増えた。NTT東日本では最大385の局舎が停止して、フレッツサービスによるインターネット接続や固定電話が使えなくなった。「原因の大部分は停電によるものだった」(NTT東日本の中島康弘ネットワーク事業推進本部サービス運営部災害対策室長)と言う。
固定通信の場合、ユーザー側の電源の問題も通信事業者の悩みの種だという。通信事業者が非常用電源を使って通信インフラを復旧させても、ユーザー企業やユーザー宅の電源が復旧していないと事実上通信できない。ルーターやモデム、ONU(光回線終端装置)を動かすにも電力が必要だからだ。
やはり核戦争には耐えられない?
インターネットには以前からある“神話”が存在する。「核戦争にも耐えられる」というものだ。インターネットの起源となる「ARPANET」が、米ソ冷戦下の時代に米国防総省配下の研究機関で開発されたからである。
しかし、ISP関係者は口をそろえて「少なくとも日本のインターネットは、核戦争に耐えるように作られてはいない」という。ここまで見てきたように、インターネットは網の目のように互いをつないでいるわけではない。経済効率の面から、重要設備が特定の場所に集中する構造になっている。
例えば東日本全体のインターネットは東京が中心であり、東北地方を束ねる中心は仙台にある。日米間の海底ケーブルの陸揚局も太平洋側のいくつかの拠点でやりくりしている。重要拠点が被害に遭うと、周囲にも影響が及ぶ。もちろんISPや通信事業者は被害を極小化する工夫はしているが、重要拠点を完全に補いきれるものではない。前述したように電力の問題もある。
そして、日本のインターネットで特に“生命線”となっているのが東京だ。東京が大きな被害に見舞われると、日本のインターネットは事実上壊滅する可能性がある。インターネット関係者の多くは、東京で大規模災害が起こることを心配している。
次回は東京一極集中の問題点について解説する。
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