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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu205.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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ブログ全般が社会においても、ビジネスにおいても、何か新しい展開が
あるような「気配」を持っていた時代は明らかに終わりに近づいている
2009年12月10日 木曜日
◆日本のブログは「残念」なのか----風景が変わり始めた。 6月6日 CNET Japan
http://japan.cnet.com/blog/it_bigbang/2009/06/06/entry_27022852/
●ブログの時代は終わりなのか
ブログ全般が社会においても、ビジネスにおいても、何か新しい展開があるような「気配」を持っていた時代は明らかに終わりに近づいているような気がしてならない。企業にとって、ブログマーケティングと言われるような口コミプロモーションは、いまでもある程度は有効だろうが、ブロガーに試供品やモニター商品を提供して、いささかでも不自然な「提灯記事」を書かせる「気配」があれば、すかさず至る所で突っ込まれる時代になった。消費者はブログの記事で容易に動くほど稚拙ではなくなった。少なくとも国内でアフィリエイトで、満足のいく収入を得ているブロガーは、ほとんど皆無であるし、それらをビジネスに展開できるほどのボリュームはどう考えても、得られていない。オーマイニュースの破綻は、かつて「ブログジャーナリズム」としてもてはやされたモデルの限界を提示している。コメントや、トラバ機能は、登場の頃こそ非常に新鮮だったが、不注意なエントリーへの炎上の武器を与えた。多くのブロガーがコメント機能を無効にしたり、あるいは許可制にするようになった。
元々ブログは、ネットで書く「日記」として登場したのだけれど、我々はいつの間にかそれ自体に過剰な期待をしてしまっていたのかもしれない。日々の些細な出来事をそれなりの描写して、毎日のように他人に読んでもらうことに関して、何の見返りもなくてもそれにやりがいを感じ、一定の質を保った記事を継続して公開できるだけのモチベーションを内在している人は、それほど多くはない。ブログを書き続けることによって、金銭や名誉、ポジションなどといった目に見えるリターンを求めようとすれば、企業とのコマーシャルな連携を求めようとする動きが出てくるのは当然の流れだったが、それも(具体例は避けるが)、うまく行っているようには思えない。
個人の意見や独白と、商業的なインカムとの接点が、いかにもブログは中途半端で微妙なところがあり、その割には自発的なコミュニティ空間の形成には、非力である。TBやコメント機能はあるにはあるが、読者は広大なブログ空間をさまようのみであり、自分がまとまったコンテンツの発信者にならない限りは、入場券さえもらえないような状況にあったように思う。そして、その入場券をもらえる人はほんの一握りである。アメーバの有名人ブログの盛況は、発信者としての多くの我々には関係がないことなのである。
●「アルファブロガー」という奇妙な言葉
「アルファブロガー」などという奇妙な言葉が生まれた背景は、誰にでも発信できるといいながら、このブログ独特の排他性や選民性、そしてコマーシャリズムとの間の微妙な境界が、ついぞ整理されることができなかったここ数年の状況をよく物語っていると思う。思えばこの「アルファブロガー」という言葉も、ブログを企業のマーケティングに活用しようと考える人たち周辺から出てきたものだった。アルファは、元来その記事の質と人気、知名度によってこそアルファであるとされたが、次の段階としてはアルファ=金銭を稼ぐことのできるブロガーでなければならないとなるのは、考えてみれば自然な流れである。この仕組みはきしんだ悲鳴を上げている。それは、ブログという表現メディアの形式自体に限界が内在しているものなのか、それとも時代的な趨勢として、(少なくともビジネスモデルとしては)「古くさい」ものになってきているのかは、僕には今はよくわからない。(後略)
◆ブログの「終わり」と「始まり」 2005年5月25日 ガ島通信
http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/05/endandstart.html
さまざまなサイバーコミュニケーションの「場」がこのような変遷をたどってきたのでしょう。ブログも同様です。私がガ島通信を始めたのは2004年の9月ですが、当時のブログ界はまだ小さなコミュニティで、ブロガー同士は知り合いか、会おうと思えば会える「距離感の近さ」のようなものがありました。
コメント欄への投稿も真剣かつ遊び心があり、感情的な書き散らしや「晒し」が行われそうになれば、別の投稿者が現れて、マナー違反を注意したり、議論を整理したりしていましたが、ノイズの増大とともにそのような「お約束」は消えていきました。
初期ブログ界は、サロン的な雰囲気で行われている仮面舞踏会のようなものです。仮面をつけて別のペルソナで楽しいひと時をすごす「場」です。仮面は、真の匿名ではありません(なので、実名であってもそう変わらない)。ブロガーはダンスをする参加者、コメント欄への書き込みは見物人です。見物人は「ダンス(文章)が下手だ」などと注文をつけますが、楽しい雰囲気を維持するためのギリギリのラインは認識しています。しかし、舞踏会の面白さが徐々に知れ渡り、参加者が増えてくると「お約束」が共有されなくなっていきます。
新しくやってきた人は、「仮面をつけていること」が普通であると認識します。「正体が分からないのだから、面白ければ何をやってもいい」と、参加者同士の非難(炎上)や素顔暴き(晒し)が行われ、だんだんと場が荒れていきます。「要は面白ければいいのだ!」と。
ここで重要なことは、舞踏会への参加者は誰もが自分がつけている仮面がはずされる可能性があるのに、大半の人が忘れているということです。個人的には、インターネットはシステムとその特性から、実名と匿名の区分はあまり意味がないと考えています。実名、匿名、固定ハンドルネーム、匿名ハンドルネーム(捨てハン、@名無しさん)などの分け方をしても、例えばどこかのコメント欄に私ではない人が「藤代裕之」と書き込むかもしれません。藤代裕之を名乗ったブロガーがブログを開設するかもしれません。成りすましは非常に容易です。
ただ、各ユーザーがパソコンなどの端末を使い、回線を通じて情報がやり取りされるというシステムに依存している以上、同一性をチェックすることはできます(同じパソコンから別の人が打っていれば分からないので、同一性と表現しました)。ネットの匿名は技術の進歩とのイタチゴッコです。そして、最終的にはコストの問題に落ち着くと思われます。匿名掲示板の代表的存在の2ちゃんねるも、2003年1月からログをとっており、法律に触れる書き込みをした人が警察に逮捕・補導されるケースが報道されています。
専門家と捜査機関であれば、同一性からリアルに紐付けが可能ですが、一般ユーザーは難しい。ほとんどのユーザーは専門的な技術を持っていませんし、よほど大きな問題でなければ警察やプロバイダーもなかなか動いてくれません。弁護士を雇うのも大変です。現実社会でも、中傷ビラをまいたり、無言電話をしたりする人がいて、警察はなかなか動いてはくれません。
現実もサイバーも被害者にとっては同じようなものですが、サイバーではより簡単に誰もが愉快犯になれます。そして、情報の伝達速度が速く、瞬時に被害が拡大します。愉快犯と被害者の間にコストの不均衡が起きているのが問題なのです。
現状のままでは、ブログのコメント欄への無責任な書き込みは、ブログ人口の増加とともに増え続けていく可能性が高いのではないでしょうか。管理人は、コメントの削除、コメント欄のID化などで対応するでしょうが、やがて追いつかなくなるでしょう。今のところコメント欄だけですが、トラックバック(TB)での「炎上」もあるかもしれません(TBができるのはブログを持っている人のみなので、リアルに結びつく可能性が高く、炎上防止に役立っていますが、簡単にブログを開設できるサイトもあるので効果は限定的だと思う)。(後略)
(私のコメント)
「株式日記」はGOOブログを利用しているのですが、アルファブロガーの池田信夫氏やぐっちー氏がいなくなり、時事系ブログでは「株式日記」が僅かにベストテンに残るだけになってしまった。「株式日記」も大きな事件が起きればアクセス数は増えるものの、嵐が過ぎ去れば元に戻る。それでもこの辺が限界かと思ってはいても少しずつはアクセスは伸びている。
「株式日記」を書き始めたのは、低迷する日本経済を立ち直らせる事が目的なのですが、書き始めてから11年経っても一向に低迷から抜け出せる気配が見えない。民主党政権が発足して経済政策は小泉構造改革路線に戻ってしまったかのような財務省主導の財政再建路線であり、亀井金融担当大臣が孤軍奮闘しても閣内には理解者は少ない。
ブログでいくら政策提言したところで何の効果もあるわけが無く、財務省や日銀はデフレに陥った原因すら把握していないようだ。アメリカや中国はジャンジャン印刷機を回して紙幣を刷り散らかしているのに日本だけは量的供給を絞って円高にしている。そんな事をすればインフレになると心配する人がいるが、デフレなのにどうしてインフレの心配をするのだろうか?
アメリカのFRBは紙切れになったCDSを買いまくって金融機関を支えて株価は新高値を更新している。バンカメは4兆円の公的資金を完済しているが株高と不良債権の買取と粉飾決算の容認でやりたい放題の事をしている。「株式日記」でこのような政策を訴えても理解できる人は日本には僅かしか居なかった。97年、98年頃に今アメリカがやっているような手を打っていればかなり変わったはずだ。
日本の金融機関はすっかり体力を失い昔の面影はありませんが、100兆円ぐらいで銀行の不良債権を買っていれば状況は変わっていただろう。現在もアメリカは70兆円、中国は50兆円のバラマキをしていますが日本は15兆円で少なすぎます。それでもやらないよりはいいのですが、政府日銀で状況が分かっている人が亀井氏しかいないのだ。
「株式日記」で政策を訴えた所で影響力は知れたものであり、コメント欄を見てもアラシかコメントなのか見分けがつかないようなものばかりだ。ガ島通信でも書かれているように、昔はブログでもサロン的な大らかさがあったのですが、アクセス数が伸びるにつれてアラシも増えて感情的な書き散らしや無意味なコピペが増えて目を通すだけでも大変だ。
だから多くのブログは、コメントやトラバ機能を停止していますが匿名だという事で日本人は凶暴性をむき出しにしてくるのだろう。しかし2ちゃんねるなどでも犯罪予告のようないたずらをすれば警察にすぐにばれて捕まるように、たとえ匿名でも正体はばれるのだ。日本人は小心者が多いから匿名で凶暴性を出してくるのでしょうが、嫌がらせをして何が楽しいのだろうか?
最近では多くのブログが有料化に踏み切っていますが、必ずしも上手くはいっていないようだ。ブログに、プロのライターや専門家や大学教授などがあまり乗り気でないのは有料化が難しいからだろう。無料でボランティアで書いたところで有名になればアラシがやってきて炎上させられるのだからやっていられないだろう。
アラシ達は無料のブログにイチャモンをつけては楽しんでいるのでしょうが、ブログも曲がり角に来ている事は確かだ。これでは女性や気の弱い人はブログを公開する事に躊躇してしまうだろう。たとえ公開してもコメント機能が停止状態になっているのではブログの長所が失われてしまう。一人で幾つものコメントをつけて独占する人もいれば、関係ないコメントばかりつけてくる人もいる。
「株式日記」のコメント欄を見ても2ちゃんねる化しているのですが、そのためにまともなコメントが埋没してしまっている。コメント数も100件近くあると目も通せないから放置状態なのですが、建設的な議論が出来るような場所ではない。少なくともコメント欄からどのような人が読んでいるのかは分からないのですが、職業も年齢も性別も分からない。
ブログがパソコンで書かれるものである以上は書く人も読む人も若い年代が中心だろう。しかし「株式日記」時事ブログで話題も硬いものばかりだから読者は限られる。ランキングをみてもエンターテイメント系のブログばかりで、少なくとも新聞やテレビに代わるジャーナリズムの主力にはならないだろう。それだけ読者の質が低すぎるからなのでしょうが、これでは学者や専門家がブログを書こうという気も起きないだろう。