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株式日記と経済展望
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近所に大型のショッピングモールができた小売店の多くが店を閉めることになり、
地方の商店街はシャッター街化して、社会問題となった。その弊害とは。
2013年10月8日 火曜日
◆日本でショッピングモール増加理由の一つはアメリカからの圧力 10月8日 NEWSポストセブン
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131008-00000002-pseven-soci
現在、全国にあるショッピングモールの数は実に3096にのぼる(2012年12月末)。ショッピングモールが存在しない県はゼロ。
かくして気がつけば日本中に広がるショッピングモール。いったい、いつ頃からこんなふうに増えたのだろう。
『都市と消費とディズニーの夢』(角川oneテーマ21)で、ショッピングモールについて考察した速水健朗さんが解説する。
「モールはもともと、アメリカで発祥したものです。自動車が普及し、フリーウエーが全米に敷かれた1940年代以降、フリーウエーを下りた一般道沿いに続々と作られていきました」
それが日本にやってきたのは1960年代。日本初の米国的な郊外型ショッピングモールといわれているのが、1969年に東京・世田谷にオープンした『玉川高島屋ショッピングセンター』、通称タマタカだ。
その後、景気の好転とともに、都市部を中心にショッピングモールが増えていく。
千葉県船橋市に、売場面積日本一(当時)の『ららぽーと船橋ショッピングセンター』(現在の『ららぽーとTOKYO-BAY』)がオープンしたのは1981年。休日ともなると、自家用車でやってきては、買い物を楽しむ家族連れの姿が見られるようになった。
1990年代に入ると、モールは地方でも乱立の兆しを見せるようになる。きっかけは、1991年の大規模小売店舗法、いわゆる大店法の改正だ。それまでは大規模店の出店は、地元に根づいた小売店を守るために規制されていた。しかし、アメリカ系の大型玩具販売店が、地元商店街の猛反対で出店不可能に陥ったことで、アメリカが日本政府に圧力をかけ、市場の開放を迫ったのだ。
その結果、近所に大型のショッピングモールができた小売店の多くが店を閉めることになり、商店街はシャッター街化して、社会問題となった。それでもショッピングモールの勢いが止まらなかったのは、商店街の店主などのSOSの声や学識者の警鐘よりも、ショッピングモールが提示した新しい価値を、私たちが選んだからに他ならない。
◆無個性化がもたらすもの 寺南 智弘
http://www.eco.wakayama-u.ac.jp/ritornello/article.php?vol=13&num=3
さて、ここからファスト風土化、つまり都市化・郊外化のことをもう少し、詳しくみていきましょう。高度成長期、開発や消費の舞台は都市でした。地方においては地域住民がそれまで培ってきた文化や生活の知恵といったものが、きちんと継承されていた。しかし、高度成長期が終了して以来、開発や消費の波が地方へも押し寄せることになります。それにより、核家族化や職住の分離、モータリゼーションなど「都市化・郊外化」を象徴する現象が起こり、地方のライフスタイルは徐々に変化していきました。また「交通網の整備」により、“都市と地方”あるいは“地方と地方”が結びつくようになりました。実は本書の中で著者は、この「交通網の整備」について注目しており、そこから「郊外化」が引き起こされるのではないかと指摘しています。
では、なぜ著者は「郊外化」を問題視しているのでしょうか?そのことについて、みていきましょう。「郊外化」や「都市化」といった問題は、先に述べたように職住分離やモータリゼーションなどの問題と関連性があり、ライフスタイルの変化に大きく関係していると考えられます。特に「郊外化がコミュニティを衰退させる」という点については、私も深刻であると考えています。著者が指摘するように、郊外化によって地域住民の流動性・匿名性が高まれば犯罪発生率が上昇する可能性もあり、そんなときこそコミュニティの“犯罪を抑制する力”が重要になってくるからです。近年、ニュースで取り上げられる犯罪には、私たちが理解に苦しむようなものが増えています。特に少年犯罪や小さい子供が被害に遭うといった事件が増えているように、みなさんも感じているのではないでしょうか?何度も言いますが、郊外化はコミュニティを崩壊させます。ニュータウンやベッドタウンでは、ご近所付き合いがなくなり、大型ショッピングセンターは商店街から活気を奪います。コミュニティの崩壊とは、人と人とのつながりを断ち切ってしまうことを意味しているのではないでしょうか。だからこそ、「郊外化」を安易に進めていくことは危険だと著者は訴えているのです。
では、いったいどうすればコミュニティは復活するのでしょか?失われたコミュニティを取り戻す方法を考えていきたいと思います。著者が本書で述べている「見習うべきコミュニティ」をみていきましょう。その条件として、「異質な物・店・人が存在していること」、「自分の個性や価値観を持っている人が存在していること」、「異なる世代、異なる文化が存在していること」、「移動手段が徒歩であること」などが、あげられます。著者は、これらが揃って始めてコミュニティが成立するのだと考えています。これらを踏まえた上で、私たちはなにをするべきなのでしょうか?著者は“街に「働く」という行為を取り戻す”ことを訴えています。街で働くということは、街で暮らすということに繋がっていきます。仕事を通して地域の人々とふれあっていく、簡単なコミュニケーションから、やがてはコミュニティの形成へと繋げていくことができるのです。もう少し具体的にみるなら、「中心市街地に住むこと」、「地元の商店街を活用すること」、「自らも、地元で働いてみること」などが考えられます。暮らしのことをもっとよく考えたとき、真の豊かさとは金銭的・物質的な豊かさに限りません。心の豊かさも大切なのではないだろうかと、私は考えます。
最後に、「ファスト風土化する日本」を読んで、「郊外化」は本当に様々な問題と関連していることがわかりました。「コミュニティの喪失」から「大量生産・大量消費のライフスタイル」、さらには「モータリゼーションに伴う、大気汚染やCO2排出量の増加」などのように。著者は「犯罪率の増加問題」、私は「環境問題」と関連付けながら「郊外化」を考えました。みなさんの身の回りにある問題も、もしかすると「郊外化」と関係しているかもしれませんよ。
(私のコメント)
現代の日本では、高速道路と新幹線は無くてはならないものとなっており、行楽シーズンになればニュースの時間には高速道路の渋滞や新幹線の乗車率などが報道されます。この事により大都市と地方都市との消費生活に差がなくなった。大型ショッピングモールは日本全国に3000以上も出来て、車で買いに行くスタイルが定着した。
まさにアメリカンスタイルの生活が定着しましたが、地方では車なしでの生活は成り立たなくなった。家によっては一人一台の車の普及率になり、通勤や買い物などは車を利用することが当たり前になっている。この事により地方都市でも大家族から核家族への変化が見られるようになり、若夫婦でも一戸建ての家に住むようになり、買い物も実家への行き来も楽にできるようになった。
私は、千葉にアパートを経営していますが、一戸につき一台の駐車場は必要になっている。国道沿いにあるから、並びにはコンビニやショッピングモールがあり生活には不便しない。一時はこんなにコンビニができて大丈夫かと思うくらい立ち並んでいましたが、今では大手のコンビニが巨大な駐車場を構えて経営している。おそらく100台くらいは駐車できるだろう。
このような郊外型の生活の問題点は、車と駐車場にあり、車を運転できない年少者や老人は生活が不自由になってしまった。近所の商店はつぶれて車で行かなければならないからだ。テレビでも買い物難民の問題がよく報道されますが、一日に一回一時間もかけてショッピングセンターに行く老人が紹介されている。一時はコンビニが何軒も出来ていましたが全部撤退してしまった。
日本全国にある3000軒ものショッピングモールも整理淘汰されれば、車で買い物でも往復に時間がかかるようになるのではないだろうか。つまり車社会になって地方の過疎化に拍車がかかり、老人や子供が住めない社会は過疎化して行くしかない。この事は地方の小規模農家が世代交代によって後継ぎがいなくなり、小規模農家による耕作放棄地が多くなり大規模化する農業耕作会社に集約されていくのだろう。
このように日本全国にイオンのようなショッピングモールが建設されるようになったのは、記事にもあるように91年の大店法の改正によるものであり、アメリカの圧力で改正させられた。今でもTPPで圧力をかけられていますが、大店法の改正の失敗を繰り返すのではないだろうか? 日本の政治家は地方の商店街の声を無視した。TPPでも同じ間違いを繰り返すだろう。
確かに車社会は非常に便利な社会であり、壮年世代からは支持されて快適なアメリカンスタイルの生活を謳歌することができる。しかし年少者や老人は車が運転できないから大都市に集まる傾向があります。年少者の通学が車で送り迎えでは家族もたまりません。老人の病院通いも車で乗せて行かなければなりません。だから自然と人は大都市に集まるようになり、高速道路ができると逆に地方都市が寂れる。
JR北海道が多くの問題を抱えていますが、大都市が札幌しかなく小都市が分散して鉄道が生かせない。コンパクトシティー作りには鉄道の駅が欠かせませんが、地方においては市役所も病院も商業施設も巨大な駐車場が必要になりだから分散してしまう。それに対して東京圏では歩いて生活ができるから無駄が少なくコストが安く生活ができる。
地方では商店街がシャッター通りと化し、人が集まる場所はショッピングモールなどに限られるようになり、ショッピングモールは年中テナントが入れ替わり従業員も入れ替わる。これでは社会が成り立たなくなり、孤立した老人たちは誰も面倒を見なくなる。老人たちには出かける場所も無くなり、家に孤立する。以前のように商店街で買い物して顔を合わすことも無くなった。
日本をこのようにしてしまったのも、日本の政治家がアメリカの圧力に屈してきたからであり、憲法からTPPに至るまでアメリカの圧力のままに受け入れてきた。これでは日本には政治家は要らなという事になりますが、TPPによって23分野の産業は徹底的にアメリカの思うままに「規制緩和」されるのだろう。しかし規制緩和で儲かるのはイオンのような大企業だけなのだ。
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