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第三章:長峯誠都城市長の"学歴詐称疑惑"のはじまり
◎ 新・都城市初代市長選挙に圧勝!!
平成18年2月、一市四町(都城市・高崎町・山田町・高城町・山之口町)合併して初の都城市初代市長選挙直前に開かれた高崎、高城、山田、山之口町の"女性のつどい"で、長峯誠は大見栄を切った。
早稲田大学政治経済学部卒業で、雄弁会幹事長を2期やった。雄弁会創立百周年記念大会では優勝した。
"幹事長2期は雄弁会始まって以来のことだ”
集まった女性たちは目からウロコで"さすが日本一の若い市長だ"と、割れんばかりの拍手を贈った。特に市長選挙の相手は高卒の候補であり、長峯誠陣営では、月とスッポンと学歴を誇示し、選挙は圧勝した。
ところが、この経歴がすべてウソだったのである。
◎ 「早稲田大学政治経済学部卒業」はウソだった
長峯誠は昭和63年3月都城泉ヶ丘高校を卒業し、上京して数カ所の大学を受験したが、いずれも失敗。一浪して再度挑戦したが、ことごとく失敗した。
それを見かねた父親・長峯基県議(当時)が持永和見代議士に泣きついた。長峯基(元)参議は、持永和見代議士が厚生省時代から支援をうけ、宮崎県議から参議へと登りつめた男である。
いわば、長峯基(元)参議にとり持永和見は足を向けて寝れない大恩人である。
持永和見代議士は"夜間部でよいなら"と長峯誠を"社会科学部"に裏口入学させた。
ところが、どうした事か?長峯誠は市長選挙のパンフレット(マニフェスト)やブログ、新聞等に経歴をごまかし、「政治経済学部卒業」で押し等したのである。
・公職選挙法第235状(虚偽事項の公表罪)
「選挙において虚偽事項を公にした者は2年以下の金庫又は30万円以下の罰金に処す」とある。"学歴詐称"が有罪であれば市長失格となる。(公職選挙法)
◎ "身から出たサビ"選挙の裏切りが命取りか?
平成19年、宮崎県政界をゆるがせた官製談合事件で安藤知事が辞任、出直し選挙に5名が名乗りを上げた。中でも持永哲志(経産省OB)は自民・公明が推薦し、優位が伝えられた。
ところが、長峯親子は川村秀三郎陣営に走った。走っただけではなく、持永和見代議士のアキレス腱といわれたエイズ事件(薬務局長時代の醜聞)を引き合いに出し、
"エイズの子、村上ファンドの手先"と、持永哲志攻撃がはじまった。
長峯親子の恩人であり、息子(誠)の一生を左右する大学入学に"裏口入学"までさせた大恩人を裏切ったのである。
◎ 「バレたら大変よ!」持永貞子夫人の真相を暴露
これを知った哲志の母・貞子夫人は怒り心頭に発し、真冬の午前5時前にもかかわらず梟を電話で呼び寄せ、怒りをぶち上げた。
「坊ちゃん(誠)は早稲田2部でしょう・・・・2部(夜間部)には政治経済学部は無いのに、バレたら大変よ」
長峯誠が都城市長に当選したとき、長峯誠の母・恵子夫人に忠告したことを暴露したのである。
梟は、こんな大事なことを一人で胸にしまっておく事も出来ずに、その場で貞子夫人に複数の都城市議会議員に電話してもらった。
◎ 「雄弁会百周年記念大会優勝」も作り話
よくもウソ八百できるものだ。「女性のつどい」で発言した「早稲田大学雄弁会創立100周年記念大会で優勝した」というのもウソだった。
県知事選挙の真っ最中、そのまんま東選挙事務所で一人の男が応援に来ていた早稲田政経マンに話しかけた。
「うちの市長も政経です。雄弁会幹事長を2期やって、百周年では優勝したそうです」
得意になって話しかけたが、様相は一変した。
「何?長峯誠?そんな男は政経にはいない。百周年で優勝したのは、明治大学の小野雄太だ!!」
一蹴されたのである。
◎ "これみよがし”の一枚の写真
長峯誠都城市長のアルバムには早稲田大学時代の写真は一枚もない。5年間かよったと言う割にはおかしな話であるが、それでも長峯誠都城市長のホームページ(ながみね誠・http://www9.plala.or.jp/nmakoto/profile/index.html)のプロフィル写真の欄には雄弁会百周年記念の看板を背にした長峯誠が、これ見よがしに紹介されていた。早稲田大学政治経済学部卒業を印象づける為の写真か?優勝したという大会会場の写真だ。
ところが、この大会は平成14年11月1日に開催されており、出場資格は学生に限られている。長峯誠都城市長は優勝するどころか、出場資格すら無かったのである。
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