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なぜ呉市海事歴史科学館(通称大和ミュージアム、以下大和M)館長戸高一成氏は、「事実」をそれほどまでに隠したがるのだろう?
現在複数のチャンネルから、戸高氏が必死になって本稿執筆者を探ろうとしていることについての報告がある。
その慌てかたはとても尋常のものではなく、「見苦しい」レベルらしい。
・戸高氏が、木村鷹太郎という異端史研究家について調べていること。さらに武田崇元氏という日本オカルト界の大物とも30年以上にわたる交際があることは、「否定できない事実」である。
・戸高氏は、2004年4月に呉市企画部参事補として就任した際、当時の呉市長小笠原臣也氏をはじめとする呉市首脳にも、きちんと自分の履歴は説明していなければなるまい。
無論、現市長小村和年氏にも説明しているはずだ。
戸高氏が市長たちを前にして、
「私は、古代史に関しては、一般的に異端史と呼ばれるものを信じております」
と明言していたのであれば、多少なりとも納得できる。呉市の人事権は呉市長にあり、呉市長が納得したのでならば、部外者が口出しすべき問題ではない。
しかし説明すらしていないのであれば、戸高氏は呉市首脳はおろか、呉市民に対しても信義を守っていないことになる。
「説明した」のか、「説明しなかった」のかを、戸高氏は「説明する」責任がある。
・また隠していてもいずれバレるのだから、バレた段階では正々堂々と関係を認めていればよかったのだ。
本稿執筆者が以前書いたとおり、
「異端史研究は館長戸高個人の問題であり、大和M、呉市とは一切関係ございません。責任も、戸高は館長としてではなく、個人として追うものです」
と公式HPに記していれば、ダメージも最小限で済んだのだ。
しかし戸高がそれを行わなかったことにより、逆に大和M、呉市の名誉を大きく損ねてしまったのではあるまいか?
隠していたのも、認めなかったのも戸高氏である。
戸高氏の怪しさを暴いた本稿執筆者を責めるのは、お門違いというものだ。
・その戸高氏、武田氏と架空戦記なる5流娯楽小説とが関係するとなると、これは大和Mだけの問題ではなく、日本の戦史研究のいい加減さを明示しているようなものだ。
いままで大和M館長という公職にある戸高であり、軍事ものを刊行する出版社=編集者、そして軍事ライターやジャーナリストと称する人々が、なぜ架空戦記に対して抗議しなかったのかと訝しがってきたが、実は戸高が仕掛け人であったから誰も「できなかった」というのが正しいのであろう。(※1)
そしてその「事実」まで隠蔽しようとしてきたのだから、どこかの電力会社といい勝負の「やらせ体質」ではないか。(※2)
こんな国が、70年前の戦争に「勝てる」道理などない。強い弱い、正邪という問題ではなく、そもそも「勝つ資格などなかった」のである。
・結局のところ架空戦記で戸高氏=武田氏が行おうとしてきたのは、「陰謀史観による近代史の書き換え作業」なのではあるまいか?
カタルシスを得るために読む娯楽小説のなかにウソの歴史を混ぜ、読者を誤った方向へと導く……なんのことはな。武田氏が「ムー」、SF伝奇小説で行ってきた手法とまったく同じなのである。
無論、これが読者に対する裏切り行為(※3)などとは、戸高氏も武田氏も感じていらっしゃらないであろう。
私人である武田氏はともかく、公的博物館館長である戸高氏が、このような態度、姿勢で許されるのだろうか?
やはり戸高氏は、大和M館長としては不適任の人物である。
武士の情けだ。腹を切れとはいわない。
自発的に「辞職」され、以降は近代史に関する著述は一切控えるべきである。
二度と公的な場所に姿を現さなければ、いくら「異端史研究」をなさっても結構だ。
それでも戸高氏に身を引く決断ができなければ……こちらも戸高氏の「隠された履歴」に迫り続ける次第である。
武田氏とも親交のある、陰謀論者の故太田龍氏。
戸高氏がブレーンを務めていたSF作家荒巻義雄氏。
荒巻氏のかつての担当編集者で、現朝日新聞出版編集部長の芝田暁氏。
芝田氏の父君で広島大学名誉教授、著名な平和運動家でもあった故芝田進午氏。
戸高氏を重用する文藝春秋社元取締役で、近代史研究家の半藤一利氏。
戸高氏と彼らとの関係を、逐一暴いていく次第だ。
そしてこれらの先には、
・『男たちの大和』が尾道市でロケされた一件
・マルコポーロ廃刊事件
とがつながっていることは、ほぼ間違いない。
それらが暴露されたとき、戸高氏は自らの身の上になにが降り注ぐか……いまから覚悟されておいてもよかろう。
※1 架空戦記を流行らせることによって、映画「男たちの大和」と大和Mの人気を煽ろうとしてきたのではあるまいか?
やはり戸高氏は、「歴史研究家」よりも「イベント屋」のほうが向いている。
※2 戸高の下にいる5流作家たちの出す小説の表紙に「戦略、戦術」という言葉が並んでいると、本稿執筆者は書店で嘲笑を噛み殺すのに苦労している。
※3 裏切りだと気付いた読者は……ほぼいないだろう。
「ムー」、伝奇小説などと同様、気付いた人は早く去っているし、気付けなかった人は「手遅れ」になっているだけである。
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