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真実を書かれると狼狽える時は、人間いつだってあるだろう。
しかし狼狽えるような人が、平素「真実を伝える」と口走っていたらどうだろう?
執筆者は、呉市海事歴史科学館長(通称大和ミュージアム 以下大和M)館長、戸高一成氏(以下敬称略)の疑惑追及を、本掲示板において3度に渡って行ってきた。
どうやら戸高とその関係者は、本稿を見て、本気で焦っているそうだ。
・風の便りに伝え聞く話によると、
「誰があの話を漏らしたのだ?」
と関係者が情報の漏洩先を調べているらしい。
漏洩される=真実が伝わると困るような事態を招いたのは、いったい誰なのか?
自分たちの責任を本稿執筆者=他人になすりつける品性こそ、下劣である。
また、事実が暴露されて損害を受けるのは、いままで事実を隠してきた自分たちに過ぎない。
戸高と関係者は、本稿の被害者なのではあるまい。
情報が隠蔽されたまま大和Mに来た見学者&寄付に応じた人、「戦艦大和引き揚げ準備委員会」に賛同した人&大和の遺族たち、さらに戸高をはじめとするクズ研究者、5流作家たちの本を読まされた読者たちそ、真の被害者なのだ。
・そもそも本稿執筆者が執筆を決意したのは、複数のネット情報で、戸高と武田崇元との関係に気付いた人がいたためである。(※1)
それまでは本稿執筆者も、もうすこし時間をかけて=証拠を集めてから発表すべきと自らを諫めていたのだが、このまま黙っていても数年以内に暴露されるのがオチだ。
しかもそれが、いわゆる平和主義者(※2)、反日感情の強い外国人が発見した場合、救いようのない事態に発展する可能性秘めている。
ならば日本人自身が、彼の非を公表したほうが、ダメージを食い止められると判断した次第である。
「書いた奴を見つけたら半殺しにする」
などと息巻いているらしいが、当方は感謝される覚えこそあれ、非難される筋合いはない。
・なにより、執筆者は誰からも「情報を漏らされていない」。
多くの人から話を聞き、矛盾点をまとめ、関連する資料を調べていくうちに、戸高のおかしさに気がついたのである。
こういう地道な着眼、追求をすることこそ、歴史研究の基礎、基本というものだろう。
当たり前のことをして批判されうる理由が、どこにあるのか。
・プロであれアマチュアであれ、歴史研究を志した以上、「見たくもない、都合の悪い史料」に出会うことだってある。
それを直視できるか、否かが歴史研究家としての資質というものではあるまいか?
では、戸高の下についたプロ・アマの歴史研究家とやらは、史料を調べていくうちに、戸高への疑念はまったく起こらなかったのだろうか?
気がつかなかったのだとすると、ただの馬鹿である。歴史研究をする資格はない。
また気付いて黙っていたのだとすると、人間として卑怯である。社会人として生きていく資格はない。(こういう人たちに限って、「あの時こうしていたら…」といいたがるものである。)
本稿執筆者を非難する以前に、自分たちの無知、無能、無策を省みるべきだ。
・実は戸高=日向仁、武田崇元、荒巻義雄の三者が同じ本に執筆している。
1994年04月に刊行された「魔獣の銃弾」(KKベストセラーズ)だ。(※3)
やはりにらんだとおり、この三者は確実につながっている。
そしてこの本には、武田が編集していた「迷宮」に寄稿していた檜山良昭、
さらに胡散臭さ200%のオタク作家佐藤大輔(1964− 武田の影響力の強い大陸書房からデビューしている)なども寄稿している。
いずれ戸高人脈につながる5流作家どもは、全員血祭りに上げていくから覚悟しておけ。
・戸高が、今日の話題社の経営権を武田に譲渡したことについて、なにも問題ないという意見もあった。
たしかに(表向き)契約上に違法性は見受けられないし、刑法上(戸高は背任に相当するのか?)でも時効が成立しているのではないかと思われる。
しかし道義的に考えた場合、どうなるのだろう。
(旧)今日の話題社から刊行された書籍=とくに戦記物が多いが再刊行された(※4)場合、契約によっては印税の一部が(現)今日の話題社、つまり経営母体である八幡書店=武田へ還流している可能性がある。
オウム事件などを知る執筆者や遺族たちは、どう感じるのだろう?
・馬鹿げた話を小耳に挟んだ。しかしこれが、事実か否かは確認していない。(する気もない)
架空戦記=5流SF小説(そもそもSFは3流以下だが)の誕生に、戸高は大きな役割を果たしたという疑惑はすでに紹介している。
あるNPOとに承認された戦史研究団体の上層部の一人は、自らが行ったインタビューを集めた書籍で、ある旧軍関係者が架空戦記のなかに無断で氏名を用いられた=登場人物として使われ、憤慨していたとのエピソードを紹介していた。
その彼はいまや戸高の立派な飼い犬であり、大和Mで開かれている定例会にも参加しているらしい。(※5)
さて、件の関係者は後日故人となり、墓は広島県の東部にあるそうだ。
そして彼は、定例会に参加する際、関係者の墓参りを行っている……。
関係者を立腹させたきっかけをつくった人物に会うついでに、その人の墓に参るという神経は如何なものか?
墓参りの是非ではなく、「戸高と会うときにはしない」という、節度というものはないのだろうか?
墓へ謝罪しにきた? 故人は、そんな謝罪を受け入れると思うのか?
無知無能というより、それ以前の無神経である。
ちなみに彼の仕事は、「ジャーナリスト」なのだそうだ。
彼が本稿で暴露した戸高の背景を知らなかったのだとすると、調査力のスキルが不足していることになる。
また知っていて隠していたのだとすると、倫理面に問題がある。(※6)
いずれにしても、ジャーナリストとしての能力に疑問符をつけなければならない。
・しかしこれは、彼個人、その団体に限った話ではない。
戸高の背景を知った多くの関係者は目をふさぎ、耳を閉じ、口をつぐんでいる。
理由は簡単だ。戸高が大和M館長である以上、彼の機嫌を損ねると、史料が借りられないためである。
つまり「食うため、生活のため」卑怯卑屈に生きているというわけだが、こういう人間たちに「歴史を未来に伝承する」資格などあるのだろうか?
伝承されていくものは歪んでしまい、徐々に実態が伴わなくなっていく。
「架空戦記=フィクションが史実を歪めている」という人もいるが、むしろ「歪んでいった限界に架空戦記がある」というべきだろう。フィクションの基盤になる史実研究が歪みから、フィクションがその歪みを倍加させていくのだ。(※7)
日本の戦史研究は、戸高と関係者たちのために、想像以上に危機的な状況を迎えているのである。
※1以下のサイト、アマゾンの書評欄、2ちゃんねるなど。
http://homepage2.nifty.com/Curious-G/starthp/subpage9018.html
※2平和主義者は、ある事情から暴露することができない。
これには荒巻の担当編集者だった芝田暁が一枚噛んでいる可能性がある……が、まだ調査中でもあるので、本稿では伏せておくことにする。
※3
オカルティズムが跋扈した第二次世界大戦 荒巻義雄
出口王仁三郎の世界戦略 武田崇元
手相見!?山本五十六の奇策 日向仁
※4朝日ソノラマ(絶版)、学研、文藝春秋社など。
オウムを断罪していた文藝春秋社から、オウムを生み出した武田=八幡書店に金銭が流れていたのだとすると、これはこれでスキャンダルだ。
※5関係者が大和Mを見学した際、戸高とともに「これからも真実を未来に伝えていきましょう」といったとか、いわなかったとか?
※6会の上層部にいる以上、他の会員たちに対して、(会の方向性を左右する大きな)情報は通知するのが責務ではあるまいか?
※7最近では、「美少女を登場させた架空戦記」まであるそうだ。内容が気持ち悪いというより、売ろうとする出版社=編集者、書く作家、読む読者のほうが気持ち悪い。
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