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6月6日15時40分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100606-00000523-san-soci
■スリル満点の暗峠越え
取材で訪れた暗峠の石畳…。20年ほど前に体験したキョーフの生駒越えドライブの記憶がよみがえり、なんだかめまいがした。大学時代に免許をとって以来、恐い思いをしたベスト3に入る道だと思う。“酷道(こくどう)”と揶揄(やゆ)されるのも、通った人ならうなずける。
大阪から奈良方面へと山越えをするには、当時でも阪奈道路や国道163号などいくつか便利な道があって、なぜよりにもよって308号を選んだのか、はっきり覚えていない。もちろん、カーナビなんて便利なものはなかったし、地図にくっきりと「国道308号」とかかれていたから、「国道ならそれなりに広い道だろ〜」と安易に選んだのだと思う。
もはや記憶もおぼろげだが、生駒山に近づくにつれて道路は狭くけわしくなっていった。妙にはっきりと覚えているのは、2つに分かれた道にでくわしたこと。さて、片方はまるで田んぼのあぜ道をいくような、もう一方も細くたよりなさげな道で、もはや半泣き状態に。見当をつけて進んだものの、いつ行き止まりになるかとハラハラしながら進んでいった。途中で国道を示す標識をみつけても、標識に向かって「うそやろ」と毒づく始末。といっても引き返す勇気もない。
極めつけは峠の頂上だった。ようやく峠越えか?と思いつつ、道はとんでもない傾斜の石畳。タイヤがずり落ちやしないかとそろそろと登り切ると、突然フロントガラスの目の前が真っ青な空になった。
「ひえ〜」。なんだかジェットコースターの頂上にもにて、血の気が引いたことだけは記憶にある。あれ以来、国道といえども、なるべく知らない道は行かないことにしている。特に車では。
■松尾芭蕉と奈良
俳聖とうたわれた松尾芭蕉。その足跡は、みちのくをはじめ全国に数多く残されているけれど、意外と奈良にも多いことを奈良を歩いてはじめて知った。句碑だけでもずいぶんある。
芭蕉が奈良を訪れた旅を数えると、はっきりわかるだけでも5回あるそうだ。吉野山や東大寺二月堂のお水取り、興福寺の薪能、法隆寺、初瀬、多武峰、春日若宮おん祭…とずいぶん精力的に足を運んだ。かなり観光旅行的な気もしないではないけれど、古人のゆかりに触れることで何かを感じようとしていたのかもしれない。
弊紙3月7日付の「麗し大和 お水取り」の回に、芭蕉が二月堂を訪れて詠んだ「水とりや氷の僧の沓(くつ)の音」を紹介したが、有名なのは「菊の香やならには古き仏達」のほうだろう。なにせ、9月9日の菊の節句にあわせようと、芭蕉一行は8日に伊賀上野を出立し、その夜には奈良入りして9日の朝を迎えたというのだから、念入りだ。菊は長寿を願う花だったから、あやかりたかったのかなあ、などと深読みもしてしまう。そのあと、暗峠を越えて大阪に向かい、芭蕉は大阪で亡くなってしまうのだから…。
奈良で詠んだ印象的なもう1句は「びいと啼(な)く尻声悲し夜の鹿」。はたして鹿の鳴き声は「びい」というか、というのも常々話題になることだけど、この歌をモチーフにした作家、万城目学さんの「鹿男あをによし」はご存じの方も多いだろう。まだ読んでいない方は一読の価値アリ。正直、クスッと笑える一級のエンタテインメント本としておすすめデス。
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