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8月8日14時12分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090808-00000526-san-ent
1日3往復。もはや通勤通学向けとすら言い難いかもしれない。踏切でレールの表面に目をこらすと、微かな銀色の筋を残して赤茶色のサビが浮いていた。それでもカメラを構えていると、一両だけの列車内では、子供たちが運転席の隣に押しかけて楽しそうに景色を楽しんでいるのが見えた。大人の乗客も何気なく外を見ている。JR芸備線東区間のディーゼルカーも、まだまだ捨てたものでもなさそうだ。(文・写真 藤浦淳)
「秘境駅II」(牛山隆信・栗原景共著、メディアファクトリー社刊)に掲載されている内名(うちな)駅。東の起点・新見(岡山県新見市)から始まる鉄路は、城下町の雰囲気を残す東城(広島県庄原市東城町)から北へ向かい、山あいへ入る。備後八幡(やわた)を過ぎると山は深くなり、幾度もトンネルを抜け、川を渡る。集落も見えない川沿いに、ぽつんとある無人駅が内名だ。
昭和30年開業。秘境駅IIに紹介され、ぜひ見てみたかった「『もう疲れた』という、かすれた悲鳴」を上げそうなぼろぼろの切符入れが“健在”だった。駅前に民家が1軒。
JR西日本によると「1日の乗降客数は1人あるかないか」。
次の駅は小奴可(おぬか)。難読駅名として鉄道ファンにおなじみのこの駅周辺は、かつてこの辺りの中心地として賑わった。
駅前スーパー「フードセンター近江屋」を経営する林利夫さん(76)は、そんな時代をはっきり覚えている。「駅長や保線係向け官舎があったし、一番列車のために泊まり込む車掌さんもいました。国鉄職員だけでもたくさんいましたよ」。50年、ここで営業を続けている。
国鉄が分割民営化される直前の昭和60年ごろ、と林さんは記憶している。当時の東城町役場を通じて駅の管理を委託された。列車の本数はかなり減っていた。「切符を売って報告をあげてくれれば、駅舎などは好きに使ってくれていい」。そう言われてねえ、とタクシー会社も経営する林さんは、駅舎の一部をタクシーの車庫にした。こんな駅、滅多にない。
でも大きく変えたのはそれくらい。タクシー乗務員が守る駅務室には、昔の車掌が単線区間を走るために受け取ったタブレットや、窓口の硬貨入れは当時のままで、ノスタルジックな雰囲気はたっぷりだ。
ところで小奴可には2つの名物がある。その一つが小奴可要害桜。小奴可駅のほど近くに今も石垣が残る亀山城跡に、260年前に植えられたエドヒガンで、県が指定したサクラとしては随一の巨木。
もうひとつが「塩原の大山供養田植」。国の重要無形民俗文化財に指定された伝統ある田楽で、4年に一度、5月末に公開される。全国各地に残るお田植え祭が、華やかな祭礼になる前の素朴な様子を残しているといい、次に執り行われるのは来年。近江屋の林さんも「是非取材されては」と念を押す、おすすめの行事だ。こうした伝統が山間部でいまも息づいているのが小奴可の魅力なのだ。
小奴可の集落に別れを告げると、鉄路は再び山中に分け入る。秀峰の名を駅名にいただく道後山は、裏手のスキー場の痕跡がもの悲しい。さらに、めまいがしそうな鉄橋やトンネルを越えると、島根県へ向かう木次(きすき)線と芸備線の三次(みよし、広島県三次市)行き列車への接続駅・備後落合。新見発の列車はここが終着だ。
駅前に大きな旅館があり、かつて乗り換え客でごった返したというこの駅も今は無人。7月末、降り続く激しい雨と山の木々からわき上がる霧にけむる、ここも秘境駅だと思った。