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医師たちは見た!「あんな死に方だけは嫌だな」壮絶な痛み、薄れていく意識、耐えがたい孤独
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37834
2014年01月18日(土) 週刊現代 :現代ビジネス
苦しまずにぽっくり逝きたい。家族に囲まれながら死にたい。最期は自宅で過ごしたい―そう願っていても「理想の最期」を遂げるのは、そう簡単ではない。医師こそが知る死の現実とは。
■切腹より痛い激痛の末に
「こんな凄まじい死に方があるのか、と恐ろしくなりました」
外科医で、特別養護老人ホーム芦花ホーム常勤医師の石飛幸三氏は、目の前でのた打ち回る患者を見て、こう思ったという。
救急車で運ばれてきたのは60代の男性だった。いい大人が涙を流して「ギャーーー」と叫びながら、ベッドの上に寝ていられないほど悶絶している。救急隊員も、いったいこの患者に何が起きているのか、判断がつかなかったという。
病院へ到着すると、今度は嘔吐を繰り返し、血の混じった便もたれ流していた。腹部の検査をしている間、ついに声を上げることもできなくなり、顔面蒼白、手足が冷たくなっていく。呼吸と脈拍が急激に速まって患者はショック状態に陥り、そのまま意識が戻ることなく、帰らぬ人となった。
「急性上腸間膜動脈閉塞症という病気でした。小腸と大腸の一部に酸素や栄養を送る動脈が突然詰まって、我をも失うほどの強烈な痛みが生じる病気です。刃物で腹を切り裂かれたくらいは何ともないと思えるほどに痛むのです。一分一秒を争って治療を行わなければ急速に症状が悪化し、死亡してしまう。
仮に命が助かっても、血流が途絶えたことで腸が壊死して腐っていくため、腸の大半を切除しなくてはいけない。その後は一生、点滴による栄養補給が必要になってしまうんです。あんな死に方だけはしたくないと思いましたね」
もう命が助からないなら、せめて安らかな最期を迎えたい―誰しもがそう思うだろう。しかし、「死」というものほど、理想と現実が大きくかけ離れるものはないという。数々の死に立ち会ってきた医師たちでさえ、こう口を揃える。「大きな声では言えないが、自分の患者さんの最期を見て、死ぬのが心底怖くなることは少なくない」と。理想的な最期を迎えるのは、それほど難しいということなのか。医師が見た「最悪の死に方」の数々を紹介していこう。
日本人の死因1位、がん。毎年およそ36万人ががんを患って亡くなっているが、その中でも「肺がんでは死にたくない」という医師は多い。
「がんの場合、緩和ケアの技術が進んでほとんどの痛みを取ることができるようになっているのですが、いまだに『息苦しさ』を取ることだけはできないんです」(埼玉社会保険病院名誉院長・鈴木裕也医師)
末期になると肺に水が溜まり、いくら息を吸っても呼吸ができず、おぼれているような感覚に襲われる。痛みこそ伴わないが、呼吸が浅く、どんどん速くなっていく。なんとか苦しさを取ろうとモルヒネを大量に投与すれば、意識が戻ることなく死に至ってしまう。
肉体的な痛みや苦しみは、治療によって避けられるものだと思いがちだが、自分で選んだ治療法によって、苦しい死を遂げるケースも数多くある。
会社員のAさん(男性・57歳)は、検診で咽頭がんが見つかったとき、医師から放射線治療を勧められた。だが、友人の助言で、頭頸部がんで有名な大学病院の教授にセカンドオピニオンを受けたところ、「がんを根治させたいのなら、拡大手術がベストです。後遺症はありますが、命には代えられません」と断言される。
有名な教授が言うなら、と、Aさんはその一言だけで教授に治療を任せることを決意。10時間に及ぶ手術は無事に終了したが、悲劇はそこから始まった。
咽頭を切除したため、首に空けた気管孔から呼吸をしなければならなくなった。首の付け根から管が出ているため、隠そうとしても人目は避けられない。人工声帯になったため声は酷くかすれ、トレーニングを重ねてもささやく程度にしか出ない。食事もうまく飲み込めず、味覚も失った。
そして5ヵ月後、首のリンパ節にがんが再発してしまう。主治医からは治療を勧められたが、「もうこれ以上つらい思いをするのは嫌だ」と治療を拒否し、ホスピスへ入居した。医者への不信感からうつも発症。
「手術さえ受けなければよかったんだ……」
Aさんはベッドの上でこう唸り、絶望したまま息を引き取った。
■家族に恨みを残したまま
これまで、2500人以上の死に接してきた日の出ヶ丘病院ホスピス医の小野寺時夫医師は、「不幸な死に方には大きく2つの要因がある」という。
「ひとつは、医療が原因で身体的に苦しむ死に方です。これは、治療のやりすぎで酷い副作用や後遺症が出たり、痛みの緩和が十分にできずにつらい思いをしてしまうケース。もうひとつは、精神的に苦しむ死に方です。最期まで死を受け入れられなかったり、人生に後悔することがあったり、家族とのトラブルで悲惨な最期を迎えてしまうこともある。
何らかの『後悔』の気持ちを抱えながら亡くなってゆく人は非常に多いのです」
精神的な苦痛を伴う死は、家族の思いと患者本人の思いのすれ違いで起こることも多い。小野寺医師は、こんな患者家族のケースを見たという。
「食道がんが見つかって手術をした59歳のBさんという男性患者がいました。奥さんと娘さんが『病名だけは、本人に伝えないでほしい』と訴えるんです。聞くと、本人はとても気が弱い上に、定年後の楽しみに八ヶ岳の麓にセカンドハウスを借りる契約をしたばかりで、事実を知ると生きる気力を失ってしまうはずだから、ということでした。仕方なく、ご本人にはポリープだと伝えるしかなかった」
手術は成功したが、定年後すぐに転移が見つかり、再入院を余儀なくされた。それでも病名は隠され続けたが、骨への転移もあり、病状はみるみるうちに悪化していったという。
そんなある日、Bさんは妻が病室に忘れていった健康保険の請求書を見てしまったのだ。
「翌日、見舞いに来た奥さんと娘さんに、Bさんは怒り狂って『お前たちは、皆で俺を騙し続けていたんだな』と怒鳴りつけ、泣き叫んだのです。『もう病院に来るな!』と部屋から家族を追い出しました。
そこからBさんは人が変わったように無口になり、食事もとらなくなってしまいました。奥さんが来て声をかけても『帰れ!』と怒鳴るばかり。そんな状態が3週間ほど続いて、そのまま家族と口をきくこともなく、亡くなってしまった。ご本人にとっても、家族にとっても、我々にとってもつらい最期でした」
信頼していた家族に嘘をつかれていたと知り、自分の身体が決してよくない状況だとわかったときの衝撃はどれほどか。Bさんは、耐え難い孤独を感じていたに違いない。患者のためにと思った家族の思いやりが、こんな悲劇を引き起こしてしまうこともあるのだ。
■「生きていては困る」と言われ
ただ、たとえ気持ちがすれ違っても、自分のことを思ってくれる人がいるだけありがたいのかもしれない。
埼玉県で会社を経営していたCさんは、68歳のとき脳梗塞で倒れ、介護が必要な状態になってしまった。それまで結婚歴はなく、唯一の身内は一人の妹。だが、40年近く前に縁を切ってからは、どこに住んでいるかもわからないという。
「身体に麻痺が残ったため、仕事は続けられず、生活保護を受けるようになりました。介護保険を使って週2回は、訪問ヘルパーの世話を受けていた。
自由に動けないこともあって、部屋の中は荒れ放題。それをヘルパーさんのせいにして、いつも命令口調でものを言うので、正直、面倒がられていました。食生活には気を付けるように言っても、昼間から酔っぱらうこともあったんです」(Cさんの訪問医)
そんな不摂生がたたり、脳梗塞が再発してしまう。もはや、一人でトイレに行くことすらできなくなってしまった。
「その後、みるみるうちに衰弱していきました。往診では対応しきれず、市の福祉課が施設を探し、病院へ入院したんです」(同前)
妹とも音信不通のまま。会社を経営していたとはいえ、見舞いに来る仕事仲間は一人としていなかった。何をするにも年下のスタッフに頭を下げて、手伝ってもらわねばならない。人の上に立って指図することしかしてこなかったCさんにとっては、屈辱的な日々だったことだろう。ある朝、スタッフが部屋を訪ねると、ベッドの上に横たわったまま顔をしかめて亡くなっていたという。
自分の命が限られていると知ってもなお、弱さを見せる相手も感謝の気持ちを伝える家族もおらず、死に向かっていく。自分は何のために生きてきたのか―Cさんの死に顔には、そんな思いが滲んでいた。
死の直前に感じる苦しみや孤独だけではない。自らの命が尽きたあとに残る「嫌な死に方」もある。
「あのときは、自分の手が死神の手になったように感じました」
国際全人医療研究所理事長の永田勝太郎医師は、当時を思い返し、こう言う。
以前、がんの疑いで検査入院となった50歳の男性がいた。来院時にはすでに肺炎を起こすほど衰弱しており、病状がかなり酷いことは、明らかだった。
「入院して3日目の朝でした。容体が急変して、心停止を起こしてしまったのです。すぐに心臓マッサージをして気道を確保するために気管挿管を施した。もう患者さんは意識がない状態でしたが、なんとか命をつなぎとめようと必死でした」
数十分後、患者の妻が病院へ到着。永田医師は状況を説明し、元の状態に戻る可能性がきわめて低いことを告げた。すると、妻からこう訴えられたという。
「先生、私も肝臓を悪くしているんです。あの人に、植物状態でずっと生きていられたら困ります」
この人は、いったい何を考えているのか。言葉を失った永田医師に対し、妻はこう続けた。
「いま、地方から姪がこちらに向かっています。午後に到着するまでは、生かしておいてください。それからあとはいいですから」
それはつまり「殺してくれ」ということだった。
そして夕方。姪が病院に到着した。
「『おじさん、おじさん!』と姪が一生懸命話しかけても、意識が戻ることはありませんでした。それを見て、奥さんが私に目で合図をするんです。『早く殺せ』と。
私はやむなく、人工呼吸器の酸素濃度を少しずつ、落としていきました」
我が手に「死神」が乗り移ったかのようだった。そして1時間後、男性は帰らぬ人となった―。
この話には後日談がある。男性が亡くなってから数日後、妻が永田医師のもとにやってきたのだ。
「愛人の男性と一緒でした。旦那さんが亡くなる3ヵ月ほど前にがん保険に入っていたようで、『がんの診断書を書いてほしい』と言うんです。結局、その奥さんは2000万円の保険金を手にしました。その後、一緒にいた愛人といい生活を送ったのでしょうね……。
こんな夫婦、愛も何もないでしょう。これまで数々の患者さんを診てきましたが、あれほど悲しい死に方はありません」(永田医師)
■愛人がバレ、墓にも入れない
突然死の場合、生前に整理ができずに死後に悲惨な状況となってしまうこともある。医療コンサルタントの吉川佳秀氏は、こんなケースに遭遇した。
「旦那さんが亡くなったあと、奥さんがお世話になった人に知らせようと、携帯に登録されている人たちに電話を入れていたんです。ある女性に電話したところ、『どうしてこの番号がわかったの?』と訊かれた。それは、旦那さんの愛人だったんです。
『主人がお世話になっていたと思うので』と言うと、相手は奥さんに責められると思ったのでしょう。『私たちのことを知りたかったら、メールにやりとりが残されているはずだから、ご覧になるといいですよ』と告げたそうなんです」
妻がメールを見ると、愛人とのやり取りがびっしり残されていたという。クリスマスには、こんなやりとりがなされていた。
〈今日は体調が悪くて会えなくてごめんね。プレゼントにカルティエのネックレスを買ったから、今度渡すからね。〉
〈体調が戻ったら、また一緒に温泉に行こうね〉
妻は、卒倒したという。
「亡くなってから1年以上経つ今も、奥さんの怒りはおさまっていません。もう実家の土地に旦那さんのお墓を建てる気持ちもないらしく、いまだにお骨は家に置きっぱなしにしているそうです」(吉川氏)
生前どんなに業績を上げた人でも、最期にこんな惨めな事態が発覚してしまえば、死んでも死にきれない。その点では、病に体が蝕まれていく肉体的な痛みだけでなく、精神的な苦しみに襲われながら死にゆく恐ろしさも計り知れない。
ただ、死因を選ぶことはできないが、「死に方」は努力次第で変えることができるかもしれない。前出・小野寺医師はこう話す。
「人は、死に直面しても、人格や考え方が大きく変わるものではありません。これまで、数々の方の死に立ち会ってきましたが、人は、それまで生きてきたように死んでいくものだと実感しています」
その人の死に様は、生き様を表す。いい死を迎えたいのであれば、己の人生をいまここで、振り返ってはいかがだろうか。
「週刊現代」2013年12月21日号より
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