http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/739.html
Tweet |
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36731
スクープレポート 高齢出産「本当のリスク」出生前の遺伝子検査で誤診が続出していた
ダウン症児を生んだ母親が、検査した医師を訴えた!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36731
2013年08月22日(木) 週刊現代 :現代ビジネス
「健康ですよ」と医師から言われたわが子が、実は障害を持っていると分かったら。増え続ける高齢出産と、検査技術の進歩が引き起こした、かつてない医療問題とは―当事者の声をスクープする。
■「心配ない」と言ったのに
「予定日より3週間早く、緊急帝王切開で小さく生まれましたが、産声をしっかりとあげ、ホッとして涙を流したのを今でもはっきりと憶えています。ですがその後、呼吸の状態が悪く、自力排便もできず、ダウン症であることが初めて発覚しました。何も言葉が見つからず、気持ちのやり場のない絶望感を味わいました」
これは、北海道北斗市に住む母親・太田紀子さん(仮名、43歳)が、4人目の子ども(三男)を亡くした後に語った言葉である。
晩婚化が進み、高齢出産が増える一方の日本。いま、お腹の胎児にダウン症など先天性の異常があるか否かが分かる、出生前の遺伝子検査を受ける母親が急増している。
この検査はもちろん、高齢出産にともなう「リスク」を避けるために行われるものだ。しかし、もしその検査結果が間違っていたとしたら―出生前検査の「誤診」が、いま新たなリスクとして社会問題となりつつある。太田さんのケースも、まさにそうだった。
太田さんは、三男の妊娠から17週を迎えた'11年4月14日、羊水検査を受けた。羊水検査とは、子宮を満たす羊水を採取し、そこに含まれる細胞から、赤ちゃんの遺伝子に異常がないかどうかを調べるもの。当時41歳と高齢妊娠だった太田さんは、ダウン症などの異常を心配して、この羊水検査を受けることにしたのだ。
検査の翌月、太田さんが通っていた産婦人科・えんどう桔梗マタニティクリニック院長の遠藤力医師は、不安げな彼女にこう伝えた。
「結果は陰性でした。何も心配はいりません」
太田さんはそれを聞いて安心した。すでに3人の子どもをもうけていた太田さんら夫妻には、障害を持つ子どもまで責任を持って育てる自信はなかった。もし異常があると分かれば、堕胎(人工妊娠中絶)も視野に入れていたという。
そして9月、予定日より早かったものの、太田さんは帝王切開で三男・天聖ちゃんを出産した。その時の経緯は、冒頭の太田さんの言葉の通りである。出産した病院の医師が天聖ちゃんの異常に気付き、改めてカルテを確認したところ、遠藤医師のクリニックで受けた羊水検査の段階で、すでにダウン症と判定されていたことが分かったのだ。
さらに、天聖ちゃんには腸管閉塞・肝線維症・一過性骨髄異常増殖症など、ダウン症に関連する重い合併症があることも判明した。遠藤医師が太田さんに告げた「心配ない」との検査結果は誤っていたのである。
■あまりにも短い生涯
出産の喜びもつかの間、予想だにしなかった事実を突きつけられ、太田さんら夫妻が動揺したのも無理はない。太田さんが出産した函館五稜郭病院による診察記録には、出産直後の葛藤が生々しく記されている。
「(太田さんは)児(註・天聖ちゃん)の状態が予想外だったため受容できず、養育についても考えられない状態のようです。『年齢も考え、遠藤医師に勧められて染色体検査をした。もし異常があれば妊娠継続は諦めようと思っていた。異常ないと言われたので生んだのに』『この児の世話に手を取られることによって家が崩壊してしまうのではないか』などの言葉が聞かれました」
天聖ちゃんには、その後何週間にもわたり、集中治療室で治療が施された。当初は現実を直視できなかった太田さんだが、懸命に生きようとする天聖ちゃんの姿に愛おしさを感じるようになり、受け入れる心の準備も徐々に固まり始めていたという。しかし、予定日より3週間早く生まれた天聖ちゃんにとって、病はあまりに重かった。
「12月に入り、容態は悪くなる一方。凝固機能が低下し、体内での出血が始まりました。痰をとっても口から出血。尿道からも出血。体幹は内出血で紫色になっていました。今、改めて涙がこぼれます」(太田さん)
そして治療も空しく、肝不全・肺化膿症・敗血症などを併発した天聖ちゃんは、生後わずか3ヵ月あまりの'11年12月16日に力尽き、短い生涯を終えた。
これまで伝えた太田さんの声は、いずれも今年5月13日に函館地裁に提訴された損害賠償請求訴訟に際するコメントに基づいている。そう、太田さんら夫妻は今年、遠藤医師を訴えたのだ。
この裁判は、単なる医療過誤裁判とは一線を画す。そこには、生命倫理の根幹を問うような争点が含まれているのである。
現在、太田さんらが遠藤医師に対して請求している損害賠償の内訳は、大まかに分けると次の二つの点からなる。
(1)太田さんら家族に羊水検査結果を誤って伝えたことについての慰謝料
(2)天聖ちゃんが病気で苦しみ、亡くなったことについての天聖ちゃん本人に対する慰謝料
まず、第一の争点については、太田さんら原告側と、被告・遠藤医師に大きな意見の食い違いはない。遠藤医師は本誌の取材に対して、
「今回の件は、私がデータを見誤ったことに起因していることで、自分の過失を認めております」
と答えている。また、7月の第一回口頭弁論でも「検査報告書はわかりにくかったが、誤って患者に報告したことは認める」と、自らのミスを告白している。
遠藤医師をはじめ、クリニックの職員が誰一人としてデータの見間違いに気付かなかったのは、診療体制がずさんだったというほかないだろう。この「誤診」そのものについては、相応の額の慰謝料が認められる可能性が高い。
問題は、第二の争点である。「亡くなった天聖ちゃん本人の肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料」をどう考えるかは、意見が大きく分かれるところだろう。
太田さんらの主張を噛み砕くとこうだ。遠藤医師が羊水検査の正しい結果、すなわち天聖ちゃんがダウン症であることを太田さんらに正確に伝えていれば、天聖ちゃんは堕胎され、生まれなかった可能性が高い。そうすれば、天聖ちゃんは病に苦しみ、死ぬこともなかった―。
しかし、この主張に対し、
「『この子は生まれて来ない方が本人にとってもマシだった』という判断を、第三者が下すのは無理があるのではないか」
と疑問を呈するのは、大阪・オークなんばレディースクリニック院長の田口早桐医師である。
「今回の場合は重い合併症のためにお子さんが亡くなったわけですが、一方でダウン症でも生きている人はたくさんいます。もしこの言い分が通用するとしたら、ダウン症に限らず、生まれた後で苦しんでいる人はみんな堕胎されればよかった、生まれて来ないほうがマシだったという理屈になる」(同前)
被告である遠藤医師の側も、この訴えに関しては真っ向から反論している。
「原告らは、被告遠藤の過失がなければ胎児は中絶されて出生しなかったとする考えを前提としている。しかし、これは『妊娠中絶』つまり、求められないダウン症児の『命の選別』を当然のこととしており、生命倫理に反することは明らかである」(被告側答弁書より)
ただ、現実問題として、太田さん夫妻が「異常があれば堕胎する」ことを想定していたのを単純に批判することはできない。高齢出産でダウン症児が生まれた場合、将来にわたって親が面倒をみられるとは限らない。場合によっては、他の兄弟などの人生にも大きな影響を与えかねないのだ。当の遠藤医師も、このような事情を理解していたからこそ、太田さんに羊水検査を勧めたという経緯がある。
■本当のことは言えない
そもそも、問題の根底には、日本の法律が抱える「矛盾」が潜んでいる。意外に知られていないが、日本では建て前上、胎児の障害を理由に堕胎を行うことは犯罪(堕胎罪)である。強姦などによる妊娠と、子どもを育てることがよほど経済的・身体的に難しい場合だけ、医師によって堕胎できると定められている。
だが、実情は異なる。正確な統計はないが、出生前検査でダウン症などの障害が分かった結果、経済的には育てられなくないにもかかわらず、堕胎を選ぶという親は決して少なくない。
出生前検査について長年取材してきた全国紙社会部デスクが解説する。
「つまり、親も、医師も、そして司法関係者も、全員が本音を言わないのです。
今回の裁判でも、母親は『障害があったら堕胎するつもりだった』と大声では言えない。厳密には、それは違法だからです。当然医師も『堕胎の選択肢を与えるために検査を勧めた』とは言えない。そして裁判官は、そうした事情を知っていながら追及しない」
法律を厳しく適用すれば、堕胎にかかわる日本中の母親と医師が罪に問われかねない。法と現実は、それほど乖離しているのだ。
太田さんらの裁判はまだ始まったばかりだが、実は出生前検査の普及により、こうした「誤診」が裁判になるケースが続発している。
「北海道と同様の訴訟が、群馬県でも起きています。こちらは生まれたダウン症児は健在とのことで、取材は難しいですが。また、こうして表面化したケース以外に、泣き寝入りしている母親も多いでしょう」(前出・社会部デスク)
出生前検査の「誤診」は、母親と子どもの運命を大きく変えてしまう。だが一方で、「異常が分かれば生まなかったのに」という主張には、一抹の違和感も残る。明治学院大学教授で生命倫理を専門とする柘植あづみ氏が語る。
「親の決定権を全て否定することはできません。しかし、出生前診断でダウン症と分かれば堕胎しても構わない、という判断を下すのも違うのではないか。なぜなら今回のケースで分かるように、医療には限界があるからです。出生前検査でもミスは起きるし、また先天的な障害や病気の有無は分かっても、症状の重さまで知ることはできません。
そして、裁判で解決できることにももちろん限界がある。たとえ損害賠償を勝ち取っても、亡くなった子が戻ってくるわけでも、母親の心が癒えるわけでもありません」(柘植氏)
函館地裁では、第2回口頭弁論が今月20日に予定されている。出生前検査の「誤診」をめぐる訴訟は、まさに医療の進歩と限界がもたらした、高齢出産の「新たなリスク」なのだ。
「週刊現代」2013年8月17日・24日号より
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。