03. 2013年9月05日 13:47:32
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2013年9月4日 沼舘幹夫植物人間か、死か……【バンコクの忘れられない日】 バンコクの日本語情報誌『DACO』の発行人、沼舘幹夫さんは在タイ25年。その沼館さんがバンコクで出くわした「忘れられない1日」を回想します。 午後7時半、携帯電話が鳴った ?中山和夫さん(仮名)という3年越しでつきあっていた仕事仲間がいた。フリーのデザイナーで、当時45歳。よく朝方まで飲み明かした。 ?仕事中の集中力は恐ろしいぐらいだったが、その日の予定が終了すると、右手でおちょこを持つふりをしてこっちの目をみてニッと笑いながら、その手をクイッと口元にもってゆくのが常だった。 ?土曜日午後7時半。事務所にいたのは日本人スタッフの和美(仮名)と私だけ。携帯が鳴った。中山さんからだ。 ?きっとこれから飲みに行こうって話だろう。こちらも別件で、これからイタリアンレストランで他のスタッフと合流するところだった。 「はいはい、中山さん。なーに?」 「あうううおおおはぁぁぁ、はぁ、はぁ、ああああああああ」 「どうしたんですか??また変な声出して」 ?ふざけているのかと思った。 「うううううらららああああっ、らぁうううやああああああ」 ?酔っ払っているにしては様子がおかしい。脳溢血か! 「中山さん!?しゃべれないんだね!?そうだね!?今、アパート??家?」 「い、いいいいいいいい。い、いっ。あぁあぁ」 ?家なら小学校2年の娘さんが同居しているはずだ。 「中山さん、マミちゃん(仮名)いる!??代わって。マミちゃんに代わって!?わかる!」 「……もしもし」 ?マミちゃんがいた。 「マミちゃん、パパどうしたんだ!」 「あのね、パパね、テーブルから落ちた携帯電話を拾おうとしてかがんだら、そのまま椅子から倒れて、口からブクブク泡を出しているの」 ?感情が消し去られた声で、マミちゃんが応えた。 小学校2年生の娘に委ねられた命
?脳溢血に違いない。中山さんは普段から血圧が異常に高かった。 ?タイで医療保険に加入しようと必要な検査を受けたら、担当のタイ人医師は検査結果を見たとたん椅子を蹴って立ち上がり、「なにが保険だ!?いますぐ倒れても不思議じゃない。病院へ直行しろ!」と、どなったことがあったと聞いたことがある。もちろん直行していない。 ?本人は、個体に応じて生態は万別だから、医者の言うことを鵜呑みにする必要もないと涼しい顔をしていた。それでも血液サラサラ効果があるといわれるクエン酸を服用したり、独自の予防は心がけていた。 「マミちゃん、ちょっとそのまま待ってて!」 ?事務所の机上にあった電話帳を開き、日本語の通じる私立病院を探し、救急車の呼び出し番号をマミちゃんに伝えた。タイ人の母親を持ち、現地の学校に通っているマミちゃんは、タイ語を不自由なく話す。 「マミちゃん、いいかい。今から言う番号に電話して救急車を呼ぶんだ。おじさんはマミちゃんの家を知らない。マミちゃんが家の場所を説明しなければならない。10分後にマミちゃんに電話するから。いいね」 ?中山さんとタイ人の奥さんは当時別居中で、奥さんは日本にいた。小学校2年生のマミちゃんがうまく家の場所を説明できるだろうか。トイレに行って手を洗い、気持ちを落ち着かせた。 救急車到着までに数時間が費やされ…… ?10分経った。マミちゃんに電話する。通話中だ。そこへ、タイ人スタッフがひとり事務所に現れた。彼は中山さんとも飲んだことがある。 ?15分。まだ通話中だ。何をやっているんだ。脳溢血の後遺症はどれだけ早く病院に搬送されたかにかかわる。 ?20分後。やっと出た。 「マミちゃん、救急車はマミちゃんの家に向かっているの?」 「あのね、救急車代が払えるか、治療費が払えるか、それから保険??いろいろ聞かれた。それであとからまた電話するからって言って切ったの」 ?なんてこった!?私立病院は金が払えるかどうかはっきりしないと取り合ってくれない。マミちゃんはお金のことはわからないし、保険のことは理解できない。 「マミちゃん、とにかく、すぐもう一度、さっきの番号に電話して救急車を回してくれるよう、お願いして。今すぐかけて!」 ?すぐにタイ人スタッフに病院へ電話させた。 「今、救急車を依頼しているマミという少女と話している救急スタッフがいるはずだ。お金のことはこっちが責任持つし、こちらも病院に向かう」 ?足元にうずくまる瀕死の父親と一緒にいる小学校2年生に、金はあるか、保険に入っているかと、電話で聞くことじゃないだろう!となじろうと思ったが、彼らには彼らの流儀があるのだ。たが、つべこべ人道だ、倫理だと言ってつまらない時間を費やすのは、愚か以外のなにものでもない。 ?タイ人スタッフと和美の3人で病院へ着いたとき、まもなく10時を回ろうとしていた。救急車はまだ到着しない。病院へ来る途中でマミちゃんに電話をしたら救急車はまだ家に着かないという。中山さんの家はミンブリ県にある。片道1時間近くかかる。 ?最寄の病院からすぐ来てくれる救急車を手配すべきだったろうかと鼓動が高鳴る。 ?11時ごろ、救急車が到着。すぐ集中治療室へ。呆然としているマミちゃんの肩を抱いて、まずは「よくやった」と励ます。奥さんの妹さん夫婦も一緒に来た。 植物人間で生きてゆくか、死を選ぶのか、どっちなんだ……
?集中治療室へ続くカーテンの中で、いつもとは別人のように中山さんが暴れている姿がチラリと見えた。目をカッと開いて両手両足をバタバタさせ抵抗している様子は、植物人間になるぐらいなら死なせてくれ、と手術を拒否しているかのように見えた。 ?30分後、集中治療室の一室に、頭を剃られ、昏睡している中山さんがいた。 ?担当医に呼ばれ、CTスキャンの画像を見せてもらった。何枚かの画像のうち、左脳の3分の2に出血が広がっているものがあった。 「今、手術しなければ死にます。手術しても半身不随。最悪、植物人間です。どうしますか?」 ?医者に判断を求められ、中山さんの生死は自分が握っているという状況に衝撃を覚えた。 (半身不随か植物人間で生きてゆくか、死を選ぶのか、どっちなんだ、中山さん)。 「身内の方ですか?」医者が聞いた。 「仕事仲間」と答えた。 ?身内でなければ決断してはいけないということがわかって正直、安堵した。マミちゃんは未成年だから承諾書に署名できないということもわかり、心から安堵した。 ?30分後、日本にいる奥さんに連絡がとれ、手術の承諾書はファクスで交わされた。 ?手術代を含めた金銭のことについては我々と明確に取り決めが交わされ、その後に手術の準備が整った。すでに0時半だ。 ?マミちゃんは和美の膝の上で眠っていた。中山さんが倒れたのが午後7時半。手術開始までに何時間かかったのだ。午前3時ごろ手術は済んだ。 ?劇的な回復は見込めないのは、もうわかっていた。 今日から、半身不随か植物人間に……
?それぞれ家路についた。私とタイ人スタッフは事務所の近くで「ビールでも飲むか」とお粥屋に腰を下ろした。彼にとっても、ハードな一日だった。 ?二人で昨日までの中山さんの思い出を語り合い、ビールを何本か立て続けに空けた。店が仕舞い、5時ごろ、近くに住む日本人スタッフ、淳子(仮名)のアパートにビールを買って押しかけた。 ?それからずっと、淳子のアパートのベランダで飲んでいた。8時ごろ、会社の総務のタイ人に電話して事情を話した。タイ人スタッフは始終黙って聞いていた。 「あんなに熱心に、他人の会社のことを手伝ってくれた中山さんなんだよ。いつも飄々として明るかった中山さんが……」込み上げてきた。 「今日から、半身不随か植物人間に……なるんだ」言葉にならなかった。 「……なるんだ」は、誰にはばかることなく嗚咽していた。 ※中山さんのその後については、後日改めて報告します。 (文・沼館幹夫?撮影/『DACO』編集部) http://diamond.jp/articles/-/41139?page=5 |