03. 2013年6月10日 10:04:29
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明日の医療 [明日の医療] 起こるべくして起きた高血圧治療薬バルサルタン事件 徒然薬(第3回)〜地に堕ちた日本発臨床研究への信頼 2013年06月10日(Mon) 谷本 哲也 近年、日本の臨床研究に関する不祥事が相次いで明るみに出ている。2012年10月、東京大学の研究者によるiPS細胞の世界初の臨床応用詐称を、読売新聞が朝刊1面で大誤報した事件は記憶に新しいだろう(朝日新聞、日本経済新聞)。相次ぐ日本の臨床研究に関する不祥事 この事件は、英国のネイチャー(Nature)誌や米国のサイエンス(Science)誌といった海外の一流科学誌でも写真入りで度々大きく取り上げられ(ネイチャー誌1、ネイチャー誌2)(サイエンス誌)、ネイチャー誌の巻頭論説で「Bad Press」と題して、日本メディアの報道姿勢そのものまで、名指しで批判されるという不名誉な事態を引き起こした。 この事件の直前の2012年6月には、もう1つ日本発の研究不正の金字塔が打ち立てられている。元東邦大学の麻酔科医が、吐き気止めに関する臨床研究の捏造を長年にわたり繰り返していたことが発覚し、少なく見積もっても172本という膨大な医学論文が撤回されたというもので、その数の多さにおいては世界的な新記録と考えられている(1、2、3、4)。 これ以外にも、日本の医学研究者による著名医学誌での論文撤回事件は数々あり、2009年には世界最高峰の医学誌の1つ、ランセット(the Lancet)で昭和大学の研究者が(5、6、7)、2010年にもがん臨床研究分野での一流誌JCO(米国の臨床腫瘍学雑誌)で埼玉医科大学の研究者が(8、9、10)、不正行為で論文撤回事件を起こしている。 これだけ連続して発覚していたとしても氷山の一角に過ぎないのだろう。2013年の上半期でメディアを最も賑わしている大型事件は、産学連携での臨床研究データ捏造が疑われている高血圧治療薬バルサルタンの問題だ。 捏造大国日本 アベノミクスでは医療分野も成長戦略の柱の1つとして位置づけられ、研究開発やイノベーション創出促進が掲げられているが、その足元はかなり危ういと見るべきだろう。2013年3月に発表された文部科学省科学技術政策研究所の集計によれば、日本の臨床医学論文シェアは「低下の一途を辿っている」と報告されている。 逆に躍進著しいのが中国と韓国だ。日本の臨床医学論文数国際ランキングでは、全論文数こそ米国(27.9%)、英国(6.8%)、ドイツ(6.0%)に次ぎ第4位(5.6%)に付けているものの、論文の質の高さを示すTop10%補正論文数では第8位、Top1%補正論文数では第10位に順位を下げている。こうした状況の中、日本の臨床研究レベルにさらに疑問を生じさせているのが、上述した一流科学誌の誌面を度々飾っている日本発の不祥事だ。 2012年10月、PNAS(米国科学アカデミー紀要)に、科学論文の撤回動向を解析した興味深い論文が発表された(11、12)。 臨床医学も含め科学研究は基本的に性善説で成り立っており、従来は撤回論文といっても意図的ではない単純ミスによるものがほとんどだと考えられていた。そもそも研究者が虚偽の論文を提出してくることは想定外で、研究者同士のお互いの公平な評価(ピアレビュー)という信頼関係で科学研究の世界は構築されている。 ところが、過去の撤回論文2047件を精査したところ、単純ミスを原因とするものは21.4%に過ぎず、43.4%が捏造またはその疑い、14.2%が重複投稿、9.8%が盗作によることが判明し、また、その数や割合も年々増加していることが報告されたのだ。 さらに国別のランキングでは、捏造またはその疑いに関しては米国、ドイツに続き、日本は第3位とされた。上述の昭和大学の論文は、最も引用された撤回論文ランキングの世界第4位(臨床医学分野では第1位)で、日本は臨床研究の捏造大国として立派に一角を占めていると海外から評されても不思議ではない状況となっている。 バルサルタン事件 さて、2013年6月現在、既に毎日新聞やフライデーをはじめ様々な国内メディアで取り上げられ、海外メディアのフォーブスまで報じ、さらに厚生労働大臣まで巻き込んで話題となっているためご存知の方が多いだろうが、高血圧治療薬のバルサルタン事件を振り返ってみる(13、14、15、16、17、18)。 この問題に関しては大手メディアのみならず、ツイッター、ブログなどを駆使した個人ボランティアにより、詳細な追及が積極的に行われていることは、2005年の耐震偽装事件を彷彿させる(19、20、21、22、23)。 バルサルタンは1996年にドイツ、米国で承認された高血圧治療薬の1つで、日本では海外に遅れて2000年に承認され、ノバルティスファーマ株式会社(以下、ノバルティス)が販売している。 実は承認当時の国内臨床試験(治験)もかなり杜撰なもので、当時の医薬品医療機器審査センターによる審査報告書を見ると、「臨床試験の質に問題があった可能性がある」ことが指摘されている。 余談だが、高度な厳密さが要求され、医薬品の承認取得など薬事法上の規制に沿って行われる臨床試験(治験)ですらも、日本では杜撰な国内臨床試験成績が提出されることは決して珍しくない。 海外に比べ新薬販売が大幅に遅れるドラッグラグ問題が薬事行政のくびきになっているため、治験の質に問題があったとしても規制当局から文句を言われる程度で許され、最終的には承認取得が認められてしまう場合が多々ある。 このことは、製薬企業や臨床試験を実施する医療関係者にとって、「いいかげんなデータを出しても日本では見逃してもらえる」というメッセージになっている可能性がある。 いったん販売権利を取得してしまえば、今度はいかに日本の臨床現場に売り込むかという熾烈な販売合戦が始まる。循環器関連の薬剤は2011年で1兆3630億円という巨大市場で、なかでも高血圧治療薬はその60%を占める主力商品だ。 承認時には新たなメカニズムを持つとされたバルサルタンをもってしても、既に様々な種類の薬剤が多数乱立する高血圧治療薬の領域は激戦区だ。類似の薬剤を持つ多くの競合他社と差別化を図るために、苛烈なマーケティング合戦がなされたであろうことは想像に難くない。 新薬の研究開発に多額の資金が必要であることは盛んに喧伝されるが、実はそれにも増してマーケティングに多くの資本が注ぎ込まれていることは常識として知っておくべきであろう。 なお、この問題に関する参考図書として、「ビッグ・ファーマ」、 「デタラメ健康科学」、 「パワフル・メディシン」を一読されることもお勧めする。 不正疑惑を招いた臨床研究 バルサルタンの2012年の売上高は約1083億円とされている。同じカテゴリーの薬剤の市場規模は約4000億円で、ノバルティスが勝ち組の1つとして競合他社を制していたと見ていいだろう。このマーケティングの成功に大きく貢献したのが、今回一連の不祥事の舞台となった5つの臨床研究だ。 2009年8月に発表された「Kyoto Heart Study」では、約3000人もの患者が参加した大規模試験であるにもかかわらず、主論文に加え関連した4論文が、データに重要な問題が存在したことを理由に2013年2月に撤回され、研究を主導した京都府立医科大学の教授が辞職する事態に至った。 この撤回論文と同様に、バルサルタンには血圧を下げる以外に心血管の保護効果が存在すると主張をしているのが、東京慈恵会医科大学の研究者らによりランセット誌に2007年4月に発表された「Jikei Heart Study」だ。 ランセット誌は世界の臨床医学に大きな影響力を持つ専門誌で、教科書やガイドラインを書き換えるような重要な研究成果が発表されることが多い。日本高血圧学会が作成した最新版の高血圧治療ガイドライン2009でも、この論文を引用し「単なる降圧以上に、直接臓器障害ひいては疾患発症を抑制する可能性がある」と記載されている。 ところが、この試験結果にもデータに不可解な点があることが、京都大学の研究者により2012年4月に指摘された。 ランセット誌では論文に関して重要な疑問が生じた場合、研究者同士で紙上での議論が展開されるのが普通だ。しかし、この「Jikei Heart Study」に生じた疑義に関して研究者らは沈黙を守ったままで、いまだに真相が不明な状態が続いており、ついに大学側も内部調査に着手したという。 そのほかにも、名古屋大学の「Nagoya Heart Study」、千葉大学の「VART」や滋賀医科大学の「SMART」といった類似の臨床研究にも次々と疑惑の目が向けられ、臨床研究の世界では史上稀に見るほど事態は悪化の一途を辿っている。 最も必要なのは試験結果の信頼性担保 さらに疑惑に拍車をかけているのが、ノバルティスの元社員が身分を明かさないまま臨床研究の統計解析に関与していたことだ。明らかに利益相反の問題に抵触する行為で、同社の謝罪とともに社長らの報酬減額などの対応が取られることが2013年6月3日に発表されている(24、25)。 ノバルティスの調査では、「元社員は、研究によってはデータの解析などに関わっていたことが判明し」たが、「データの意図的な操作や改竄を示す事実は」なかったという。しかし、どのような調査が行われたのかは未発表で、スイスのノバルティス本社や各大学の調査結果についても、今後の発表を待たなければならない。 製薬企業、特に外資系企業は社員の異動が激しいため、今回の事件に関しても当時の担当者にまで調査協力を依頼することも重要だろう。 なお、医薬品の承認審査の過程において、米国FDA(食品医薬品局)では、製薬企業は治験の生データそのものを規制当局に提出し、FDA自らがその解析を行っているが、日本では性善説に基づいて製薬企業の統計担当者による解析済みの治験データを受け取って、規制当局がその評価を行う仕組みになっている。 今回、製薬企業の統計担当者によるデータ不正疑惑が生じたことは、日本の医薬品の承認審査体制に禍根を残す可能性もある。 今最も必要とされるのは一連の臨床試験結果が信頼に足るものか、詳細な真実がさらに明らかにされることだ。利益相反という手続き上の問題はさておき、一般の臨床医や患者が本当に知りたいのは、バルサルタンの素晴らしい効果が本物かどうかだ。 もしバルサルタンが血圧を下げるだけでなく臓器保護効果まで併せ持つことが真実ならば、一連の不祥事にもかかわらず、今後もブロックバスターの地位に値する重要な立ち位置を保ち続けるだろう。 筆者も臨床現場の末端で働く一医師として、一連の臨床研究の結果が間違いないものだったのか、公正な検証結果が一日も早く詳らかにされるのを待ち望んでいる。 また、カルテ記録が残っていないなどの理由で迷宮入りすることも危惧されているが、ノバルティスや高血圧学会などでバルサルタンの大規模臨床試験を再度実施し、結果の再現性が得られるのか再検証まで行えば、日本の臨床研究の信頼性回復のためにはむしろ早道かもしれない。 日本版ORI(研究公正局)の創設はあり得るか ここで筆者が思い出すのが、20世紀末に南アフリカの研究者ベズオダ(Bezwoda)氏によって行われた、乳がんに対する大量化学療法に関する臨床研究不正事件だ。 不自然なほど素晴らしい臨床研究結果に疑義が持たれ、米国の研究者らが現地に直接乗り込んでカルテを隅から隅までひっくり返し、徹底的な真相究明がなされた。 その結果、多数の不正が白日の元にさらされ、さらにその検証結果の詳細がランセット誌とJCO誌で医学論文として発表された。 今回のバルサルタン事件でも、撤回された「Kyoto Heart Study」の検証結果も含め、本当のところ何が起こったのかを徹底的に明らかにし、最終的には全世界に向けて英文での医学論文として発表し、後世に残すところまで遂行することが関係者の役目ではないだろうか。 また、日本の医療界では、うまく運用されているように見える米国の政府系機関を、部分的に真似て日本版を作れば問題が解決するはずだ、という牽強付会な議論がしばしば行われている。 代表的なのは安倍政権が掲げる日本版NIH(国立衛生研究所)構想だが、そのほかにも日本版FDA(食品医薬品局)、日本版CDC(疾病予防管理センター)や日本版ACIP(予防接種諮問委員会)など様々な提案がある。 皮相浅薄かもしれないが、その言説に便乗して提案させてもらいたいのが、日本版ORI(Office of Research Integrity:研究公正局)の創設だ(米国研究公正局)。 米国では研究不正が社会的問題となったため、1980年代からの立法や前身組織を経て1992年にORIが設立され、このお役所が研究不正に関する調査などの業務を担当している。バルサルタン事件では、お手盛りの身内による調査で公正さが保たれていないことが既に指摘されている。 日本ではNPOとして臨床研究適正評価教育機構が2009年に設立されているが、度重なる不正事件を受けこの団体がどういった役割を果たすのかが注目される。 Qui Tam(キイタム)訴訟とマネーゲーム 仮に一連の臨床研究で意図的な不正行為があり、その結果を利用して販売プロモーション活動が行われていたとすれば、どのような対応が取られるべきだろうか。 もしバルサルタン事件で臨床研究の不正行為があったとすれば、臨床現場や世界の医学界、さらには一般の患者や日本国民に対する重大な背信行為だと言わざるを得ないだろう。米国では製薬企業による不正行為に対する訴訟が常態化しており、適応外での販売や医師へのリベートなど不適切なマーケティング行為への罰則として、巨額の賠償金が政府に支払われる事例が多発している。 医療業界は専門性が高いため、不正行為が露見するのは内部告発による場合が多い。この不正に関する公益通報を促進しているのが、キイタム(Qui Tam)訴訟制度だ。キイタムはラテン語の “qui tam pro domino rege quam pro se ipso in hac parte sequitur (統治者のために、また自分自身のためにも、この事件について訴える者)”というフレーズに由来する。 キイタム訴訟制度では、政府と契約している企業等の不正が見つかった場合、その告発者自身が民事訴訟を起こすことが可能で、さらに勝訴した場合、和解・賠償額の最大30%まで米国司法省から報償として受け取ることができるという、いかにも米国らしいダイナミックな仕組みが取られている。 この仕組みは金銭的インセンティブを強力に裏づけていると想像されるが、2001年から2012年9月まで米国政府は23件もの不正事件に対して和解金を受け取っている(26、27)。驚異的なのは製薬企業の支払額で、1000万ドルから30億ドル(中央値で4億3000万ドル)と報告されている。 史上最高額の30億ドルは、2012年7月のグラクソスミスクライン(GlaxoSmithKline=GSK)による支払いだ。また、訴訟の対象となった製薬企業は、GSKのみならずメガファーマの有名どころがずらりと並んでいる。 医薬品業界では少々際どい売り方をしたとしても、売り抜けてしまえば巨額の利潤を得ることができるため、この程度の和解・賠償額の支払いはリスクとして既に織り込み済みなのかもしれない。 つくづく医薬品業界は製薬企業のマネーゲームの場と化していると思う。 翻ってバルサルタン事件では年間1000億円以上の売り上げに対し、ノバルティスの対応は関係役員の月額報酬2カ月10%の減額にとどまっている。果たしてこれで釣り合いが取れるものなのか、今後の展開からまだまだ目が離せない。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/37961 |