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健康談議(2) ワクチンの功罪
http://takedanet.com/2013/03/post_483c.html
平成25年3月10日 武田邦彦(中部大学)
(音声で「宮城県知事」が「宮崎県知事」に聞こえることがありますが、「宮城県知事」です。)
2013年3月8日、新聞は短いニュースを報じていました。
「子宮頸がんワクチンを接種した東京都の女子中学生が歩行障害などの重い副作用が出て、1年3カ月にわたり通学できない状況だった。無料接種を行った区は「接種の副作用」と認め、補償する方針」
ワクチン反対派の活動が盛んになることが予想されます。でも、日本におけるワクチンの騒動はそのいずれもが「民主的」ではありません。
もともとワクチンは18世紀にイギリスの医師、エドワード・ジェンナーによって発明されたものです。当時、天然痘は人類にとってきわめて危険な病気で、天然痘がはやると一つの村、一つの船の人が全滅するという病気だったのです。
昔からアラブ地方には天然痘にかかった人の嚢胞の液を健康な人の予防に使うことが知られていましたが、100人の内、2名ぐらいが死亡するという「命をかけたワクチン」だったので(当時はワクチンという概念は無かったが)、ジェンナーはウシの天然痘が人間より軽いことに目をつけて感染したウシの液を使ってワクチンを作り、それを少年に接種したのがはじめです。
当時、「ウシの液を人間に摂取するとウシになる」という反対運動もあったのですが、次第にその効果が認められ、種痘は普通に行われるようになり、ついに人類最大の敵といわれた天然痘も1980年には「根絶」され、あの猛威を振るった細菌はこの世から姿を消したのです。
でも、もちろん人間を攻撃する物質をわざわざ接種するのですから危険はあり、それを最初に安全にしたのはパスツールです。毒性を弱め、生きているワクチンを使わないなどの多くの努力が行われてきましたが、もともと危険なものではあります。
私は良くワクチンを打ちます。インフルエンザワクチンはもとより、最近では肺炎ワクチンを打ちました。お医者さんからは「副作用がでるかも知れません」という説明を受け、OKをして接種したら3日間ほど腕が腫れました。しかし、それは覚悟の上です。
人間、良いことばかりということはなく、なんでも危険を伴います。朝、家を出れば交通事故にあう可能性がありますが、その危険と自分の人生との関係を考えて家を出ます。新幹線にするか航空機にするかに始まり、この世の生活は常に「リスク(危険)―ベネフィット(利益)」の関係で決まり、リスクの無いベネフィットなどは無いでしょう。
ところがワクチンについては「感情的な反撃」が見られますが、それはワクチンを実施する方が人の健康にあまりにお節介で、酷いときには人の健康なのに「ワクチンを打て」とか「強制的にワクチンを打つ」などの制度を作ったりすることが原因しています。
制度を作る理由の多くは「利権」です。正当性は「ワクチンを売った方が患者が減る」ということですから、「多少の犠牲者は仕方が無い。病気で死ぬ人の方が多い」という大義名分がありますし、お金も儲かるので、「ワクチンの強制接種を止める力」が働きません。
私が長く「倫理、工学倫理」を進めてきたのは、このような事に歯止めがかかるのは人の心の問題、つまり「本当にワクチンで犠牲になる人の気持ち」がわかり、それで自分の利益(お金や名誉)を克服する必要があるからです。
日本人は現在ではすべて高等学校を卒業します。しかし今でも宮城県知事のように「県民は数字がわからないから」などと発言する人がいるように、医師にも「国民は医療がわからないから」と説明をいやがる人もいます。
まずは民主主義に徹すること、それがワクチンの問題で合意を得る最も近道と私は思います。国民は一人一人が自分の健康を自分で決める権利を持っていますから。
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