http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/611.html
Tweet |
「病院食はまずい」を覆せ
大阪府の国立循環器病研究センター病院・その1
2012年11月15日(木) 内藤 耕
病院の食事はまずい。入院生活を経験したほとんどの人が、そう感じたことがあるのではないだろうか。
実際に多くの病院では、本来温かいはずの料理が冷めている。栄養が第一のため、見た目はあまりよくなく、おいしさも二の次になりがちだ。患者はそれを我慢して食べなければならない。
もちろん、そうならざるを得ない理由がある。
病院が提供する最も重要なサービスは治療である。飲食店や旅館のように、料理がサービスの前面に出てくることはない。施設の面で見ても、まず優先されるのは治療や検査のためのスペースであって、できたての温かい料理を提供できる構造になっていない病院も多い。
病院食がまずい理由
また医療では、健康保険制度によって投入できる経費に制約を受ける。食材原価を上げ、優秀な調理師を多く雇用することで、おいしい食事を提供するといったことは難しい。品質向上のために投入した経費に見合う価格を設定できず、ほかのサービス産業のようにサービスの品質と客単価が連動することもないからだ。
さらに料理の評判が上がったからと言って、多くの患者が来てくれるわけではない。繰り返しになるが、病院にとって食事は付帯的なサービスでしかなく、その品質を上げても病院がそれによって何か得られるわけではない。
だが、食べることも大事な治療行為の1つである。人間は食べなければ生きていけない。食べられなくなった時は死ぬ時である。
最近は技術開発も進み、静脈から人工栄養を投与することも可能になった。しかし、一般的に人工栄養だけで人は元気に生活することができない。人間にとって、特に入院患者にとって、食事は最大の楽しみであり、精神的にも口から物を入れることが大切なのだ。食事が健康の回復に非常に大きな影響を与えていることを、医師だけでなく、多くの人が知っている。
このような観点から、おいしい病院食の提供に力を入れているのが、大阪府吹田市にある国立循環器病研究センター病院だ。
1977年に設立された国立循環器病研究センター(国循)は、循環器病の先端研究を通じて原因究明と治療方法の開発を行うだけでなく、同時に高度な臨床を提供する病院も持つ。患者は国内だけでなく、海外からも多く訪れるという。
大阪府吹田市にある国立循環器病研究センター病院
国循には臨床栄養部というあまり聞きなれない組織がある。この部署には医師もおり、栄養の改善を通じて、患者の抵抗力や体力の低下を防ぐことを目指している。入院患者の毎日の食事を調理する栄養管理室も臨床栄養部内にある。国循では食べることそのものが診療との位置づけなのだ。「食事を自分で食べられるようになると患者は変わる」。臨床栄養部長の中谷武嗣医師はこう話す。
病院食業務などは、病院では一般的に「現業」と呼ばれる。効率性を追求し、調理作業を外部業者に委託している病院も多い。しかし、国循の栄養管理室は栄養士だけでなく調理師もおり、栄養のバランスとともに、おいしさを考慮したメニューを組み立てて、調理している。
とはいえ、その実現は簡単ではなかった。
循環器病の代表が心臓病と脳卒中である。これらは、日本人の死因の第1位であるガンに続く死因となっており、その研究や臨床の重要性はますます高まっている。この2つの病気は、高血圧や脂質異常症などが最大のリスクであり、日々の食事や運動といった生活習慣がその原因となる。
食事など生活習慣の改善が治療に不可欠な循環器病を扱う病院の特性上、国循では減塩料理を出すことが不可欠になる。減塩料理では、多くの人が物足りなさを感じがちだ。
さらに、患者はそれぞれ様々な病状を抱えており、画一的なメニューで機械的に料理を提供することもできないため、料理は少量多品種とならざるを得ない。加えて、巨大な施設内で、料理を安全かつ衛生的に長距離運搬しなければならないという施設レイアウト上の制約もある。
きっかけは減塩食の基準変更
このような制約がある中で、国循はどのようなきっかけでおいしい病院食の提供しようと考えたのか。それを知るためには、7年ほど前にさかのぼらなければならない。きっかけは減塩食の塩分量の変更だった。
成人男性の1日の塩分摂取基準は9グラム未満、女性で7.5グラム未満である。それに対し、日本人の平均的な塩分摂取量は男性が11.4グラム、女性が9.8グラムである。心臓病など循環器病の原因となっているのが高血圧であり、高血圧の改善には食事の塩分コントロールが欠かせない。
以前は、診療報酬が加算される減塩食の基準は7グラム以下だった。だが、目標食塩摂取量がイギリスでは3グラム未満、世界保健機関(WHO)では5グラム未満となり、日本高血圧学会も2004年に減塩食の基準を6グラム以下にする目標を発表した。
いままでより厳しい塩分目標にどう対応するのか――。この情報を受けた国循でも議論が始まった。当時は食塩7グラムの食事でも、味が薄く、おいしくないと患者に言われていた。基準が6グラムとなれば、おいしくするのはさらに難しくなる。
だが、栄養管理室の竹田博幸・調理師長は「おいしくないのは減塩だからじゃない、おいしく作らないからだ」とおいしい病院食作りに挑戦する決意を示した。国循の調理師の中には、ホテルや料亭で腕を振るったことがあるシェフ経験者たちがいた。そのような調理師たちは、何とかしておいしい料理を提供したいというプライドを捨てていなかった。
おいしい病院食を出すため、国循ではメニューから調理方法まで、考え方や作業を180度転換した。
メニューの決め方を通常の病院とは逆に
例えば、メニューの決定方法だ。一般的な病院では、何より栄養バランスが重視されることから、栄養士が献立を立案し、調理師がそれを作ることが多い。以前は国循でもこのようなやり方だった。調理師は料理を作ることには長けていても、栄養成分について詳しい人は少ないため、献立の立案に関わることはほとんどないという。
国循の栄養管理室は2005年頃に、これを改めた。料理や調理技術を一番理解している調理師がまずメニューを作る。その後、調理師が作ったメニューに対し、栄養価計算の専門家である管理栄養士が塩の量やそのほかの様々な基準をフォローし、細かい修正を加える。このような手順にしたのだ。
こうした作業の変更に対しては、現場スタッフの抵抗も大きかった。しかし、国循は「おいしい食事を提供する」という共通の目標のもと、改革に挑み、それを実現した。今では多くの患者から、食事をほめる声が届く。
「これが自分たちの宝です」。栄養管理室の村井一人室長はそう言って、1冊のスクラップブックを見せてくれた。
国循では食事を提供するトレーの上に、患者の情報を記したカードが置かれている。料理の内容や量は患者によって異なり、これを間違えると大きな問題につながりかねない。カードは、食事の配膳を誤らないために置かれている。このカードの裏側の余白に、多くの患者が食事の感想やコメントを書いてくれる。中には毎日、必ずメッセージを書く患者もいるのだという。栄養管理室ではこのカードをファイルに入れて大切に保管してある。
調理師や栄養士たちが仕事に誇り
そのほか、投書箱にも患者の声が届く。投書箱は多くの病院に設置されており、患者からの投書の中には食事に対するクレームも少なくない。しかし、国循では、食事に対するクレームはここ数年間、まったくない。個人の好き嫌いに基づく意見は時折入ることはあるが、味についてはほとんどが「おほめの言葉」だ。
栄養管理室では患者からのコメントを大切に保管している
病院で勤務する調理師や栄養士たちが表舞台に立つ機会はあまりない。そうした調理師や栄養士たちにとって、患者からの声は、自分たちの仕事を見てもらい、評価されているという「誇り」につながった。そして、さらにおいしい食事を提供しようと、様々な創意工夫や改善が生まれるようになった。
さらには、病院の様々なチーム医療に栄養士が入るようになった。現場の病棟で患者に料理を提供する看護師たちにとっても、クレームが減り、業務の負担が軽くなった。
このように「おいしい病院食」は病院全体に好循環をもたらしている。では、その病院食はいかにして作られているのか。次回はおいしさを生み出す仕組みをさらに細かく見ていきたい。
内藤 耕(ないとう・こう)
工学博士、独立行政法人産業技術総合研究所サービス工学研究センター。主な著書に、『サービス工学入門』(編著、東京大学出版会)、『サービス産業生産性向上入門−実例でよくわかる!』(日刊工業新聞社)、『「最強のサービス」の教科書』(講談社)、『お客様を呼び戻せ!東日本大震災 サービス復興の証言』(日経BP社)、『「売れない時代」の新・集客戦略―コスト削減に向けた顧客モチベーション・マーケティング』(東洋経済新報社)など。
おもてなしの経営学
今や世界で有名になった日本の「おもてなし」。だが、おもてなしは接客の丁寧さや従業員の心づかいだけで決まるものではない。消費者の支持を集めるサービスには、確固たる経営理念とそれに基づく仕組みがある。このコラムでは、顧客の心をわしづかみにしている企業の「おもてなし」の秘密を解き明かす。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121113/239375/?ST=print
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。