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明治維新後の漢方医は
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投稿者 矢津陌生 日時 2012 年 10 月 23 日 11:48:57: fqfGCq6zf5Uas
 

明治7年の政令により、「医師免許は西洋医学を学びその国家試験に合格した者のみに与える。」とされ、それまで医療を施していた漢方医たちには、「医業免許状」というものを渡され、医業を行ってもよいという通達が出されたそうである。わたしの親族に江戸時代から今でも続いている医者一家がある(伯母が嫁いだ先)。当然のことながら東洋医学を施してきたので、それ以降医師とはみなされず、それでもなんとか漢方医が医者として復活できるように法律の改正案を作り奔走したにもかかわらず、明治28年に国会でこの改正案は否決され、残念ながら日本で発展した漢方医学が捨てられてしまうことになった。

職業として医療を発展させてきた人たちは、常人にはない才能と情熱を持ち合わせ、たゆまぬ努力を続けて、その医療(療術)体系を作っていったそうだ。その術はその意志をつぎ師匠と同じことができる者が育つように特別に訓練され、武術と同じく奥義であり世に広く開示することは決してなかった。この仕組みが日本での漢方医学が捨てられた原因となったそうだ。

正式に漢方医制度が廃止されたのは明治8年(明治7年に政令で通達)だそうである。この年は日本の医療が国策として西洋医学を正式に採用した年なのである。日本において医師の資格を得るには、すべて西洋医学を学ばねばならないこととなった。漢方をいくら勉強しても医師にはなれないという、それまでとは180度違う大転換点となった。

明治政府はそれまで日本が築き上げてきた漢方を捨て、西洋医学に一辺倒になった。西洋文明に追いつき、追い越すため、古いものは全部捨てるという考えに基づいたものであったとしたら、短絡的であり、結果的に大切にしてきたものをあまりにもお簡単に捨て去ることになった。では当時の西洋医学と東洋医学の医療の水準とはどちらが上だったのだろうか?西洋医学のほうがはるかに優れていたのだろうか?

当時の西洋医学はまだ発展途上で、抗生物質などが見つかるずっと前であった。結核は労咳といわれており、ペニシリンが絶大な威力を発揮するのは第二次世界大戦後であり、麻酔剤も充分ではなく、外科手術もかなりお粗末で荒っぽかった。実は、西洋医学と漢方との直接対決を行っているそうだ。同じような病状や病態をもつ患者を、同じ数だけ集め、それを2つにわけて、一方は漢方のみの治療、一方は西洋医学のみの治療を行い、どちらのグループが経過良好であるかという実験をしたそうである。結果は圧倒的に漢方有利と出た。それでも明治政府は漢方を捨てたそうだ。何故か?

漢方治療が行える医師は選りすぐられた(チャングムみたいな?)名人、達人級の人たちであったとのこと。しかし、この人たちは何故治ったか自分の弟子にすら容易に説明しなかったそうだ。経験と感によって原因を推測し、薬を選び、治療を施した。「何故、そのような方法を選んだのか?」という質問に対して「経験と感です」としか言いようがないのである。治療法の決定に至るプロセスがあまりにも明確ではなく、合理性を欠くと判断された。(実は説明はできるのだそうだが、開示することを拒むのであった。)

これが日本で継承されてきた漢方医学の本質的なやり方である。非常に優れた資質の持ち主が長い修行を経て、職人や武芸者と同じように会得する知識と感が支えている医学なのである。確かに漢方は直感の医学であって、それは医学というより医術と呼んだほうが適切なのである。秘儀であり、身分が高い人ののための処方なのである。他の武術や芸術と同じように、優秀な弟子にしか継承されないのである。孤高を尊び自らの存在価値を上げることで権威づけをするのである。

武術も同じで、警察や軍隊では柔術や剣術ではなく、柔道と剣道に変えていかなければ多くの人間を一斉に訓練できないのである。医術から医学に切り替えるには東洋医学より、西洋医学のほうが相性がいいのである。

庶民の健康問題は政府を預かる指導者の責任である。近代国家としては医師を養成するシステムが必要である。それで、一部の名人級の医師が行う医療を選択することも可能であったが、当時は出来上がったシステムを変革することはなかなか難しい。漢方医を養成するカリキュラムなど作ろうとしても指導できる人々に反対される。名医のもとに修行のため弟子入りして、その者が資質豊かで、かつ不断の努力をする者しか認めない。しかし、こんな「一子相伝」に近いものでは何千万人(当時)の人々が等しく医療を受ける機会を得ることなどできないわけである。

明治政府としては、医療としては当時未熟であっても、万民を対象とした、開かれた知識を共有できる西洋医学を選んだ。社会制度を根本から変革するには現存のシステムを破壊することも厭わないという気骨を持った当時の指導的な人々の使命感さえ見えてくる。当然のことながら立ち位置によって物事が違って見える。療法の普遍化ということを考えた場合、東洋医学も残れる道を取ってほしかったものである。

西洋医学を是とした当時の日本の医療は、いち早く、西洋の薬剤や技術を取り入れる環境が整い、封建的な流派の争いなどに拘ることから逃れることができた。一方、東大の医学部を頂点するピラミッド型の制度が確立され、一定の秩序を保つ上で指導しやすかったのかもしれない。西洋医学はその客観性、再現性が重視される。人が苦しむ原因を病理に求め、ややもすると心の問題は再現性が難しいため、検査上異常が見当たらないと、患者が苦しんでいるのに、治療せずに帰されることなどもあるようである。

一方、漢方の発想は心と体は不可分であり患者の苦痛を身体の症状を見ながら治療法を探るという考え方がである。西洋医学も個々の症状を大事にして、身体だけではなく精神状態も考慮するように見直されつつある。本来心ある医師であればは患者の立場から見た発想で治療法を取り入れること当たり前であろう。

今では多くの医師は漢方的な治療法も取り入れている。アトピーの治療などは漢方的な発想のほうが薬の副作用が少なく、効果をあげている例も多い。ときどき悪い意味で驚かしてくれる医者も多いが、いずれにしても医療にかかわる人の意識の高さが、病に苦しむ人々を助けてくれるのである。
 

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コメント
 
01. 2012年10月23日 12:06:50 : GcRNDwsSJI
矢津陌生さん

好い投稿をありがとう。
医学は軍隊とともに発展したことと、
漢方は個人を対象とすることを、
追加すると、日本における西洋医学の位置が
明らかになるよ。

よろしくね。


02. 2012年11月07日 22:46:25 : OAQqrIQ0zU
そう、明治新政府が目論んだのは富国強兵策だったわけで、彼らが必要としたのは軍陣医学そのものだった。
だからドイツの西洋医学、軍隊と共に発達してきた軍陣医学が最優先に選ばれたわけだ。
明治の軍医総監はその代表。

漢方という経験医学では、まったく軍陣医学に対応はできなかった。
脚気治療は例外だったらしいけど。


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