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【最終回】 2012年6月22日
小林美希 [労働経済ジャーナリスト]
夜勤よりひどい激務が待ち受ける「訪問看護」の現場
重症患者を放り出す病院と“しわ寄せ”に喘ぐ看護師
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夜勤が辛くて訪問看護に転身するも――。
看護師が直面した「さらに恐ろしい現場」
「夜勤のない訪問看護に転身したが、激務は変わらなかった」
都内の訪問看護ステーションで働く看護師の新田京子さん(仮名、40代)は、訪問看護に限界を感じている。
京子さんはもともと病院勤務の看護師だったが、あまりの夜勤の辛さに病院を辞めた。病院では、患者の在院日数が短くなっているため、めまぐるしく患者が入れ替わる。京子さんは、「患者さんが治っていく過程を見ないまま、重症患者ばかりを担当する。もっと、患者に寄り添った看護がしたい」と思うようになった。
一方で、訪問看護は基本的には日勤の仕事。かつ、経験豊富なナースでなければ務まらないこともあり、そこにやり甲斐を見い出せないかと、京子さんは3年前に訪問看護ステーションで働くようになったが、足を一歩踏み入れると理想と現実は違った。
訪問看護では、京子さんは1人当たり60分程度、1日6軒は患者の家を回る。移動時間を考えても、慌ただしいスケジュールだ。訪問先では、「今日はどうですか?」と体調を尋ねながら、検温や血圧などバイタルサインのチェック、点滴や薬の確認、お通じの悪い人には浣腸をするなど、全身の状態に変化がないかを見ていく。
だが、それだけでは終わらない。医療依存度の高い患者が増えてきたため、そのケアも含めると、いくら時間があっても足りない。
たとえば、あるがん患者はこうだ。呼吸困難に陥り人工呼吸器を使用するため、気管切開をしている。さらに、「ポート」という中心静脈栄養の管がつながれ、「胃ろう」もある。胃ろうとは、口から食事を摂れなくなった人の胃に穴を開け、チューブを通して経管栄養をとること。
さらに、「バルーン」という尿道カテーテルによる排尿もしている。がんの痛みをコントロールするため、モルヒネの代わりに皮膚に貼って麻薬成分を吸収させる「パッチ」(デュロテップパッチ)という痛み止めが適切に使われているかをチェックすることも、訪問看護師の大事な役割だ。
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「寂しかった」から「死にそう」まで
依存度が増す在宅患者に振り回される毎日
日本看護協会や日本訪問看護振興財団の調査からも、訪問看護の利用者の医療依存度が高まっていることがわかる。
患者の病状のレベルは「軽度」(病状安定)、「中度」(病状安定だが再発の危険あり)、「重度」(病状やや不安定)、「最重度」(病状不安定)の4つに分けられている。データが少し古いが、2000年と2006年を比べても、重度は19.8%から30.5%へ、最重度も3.9%から5.4%へ増加している。それは、緊急時に24時間対応が必要な利用者が増えているとも言い換えられる。
24時間対応するため、ステーションでは誰かがPHSを持って、緊急呼び出しの当番になる。京子さんの職場では、スタッフ数が4人のステーションのため、週に2度ほど当番が回ってくる。片時もPHSは手離せず、風呂に入っているときもすぐ手に取れるように脱衣所に置いておく。
コールが鳴り、「すぐに来て」と呼ばれて行ってみると、認知症の患者が「薬を飲んだか忘れた」「寂しかった」と言うこともあれば、「いよいよ看取り」という状況に直面することもあり、気は抜けない。病院の夜勤であれば、夜勤明けは少なくとも休むことができるが、訪問看護は朝からフル出勤となり、結局、ほぼ徹夜のような状況で出勤することもしばしばだ。
さらに、5人未満の小中規模のステーションは収入が不安定。3〜4割が赤字経営と言われ、激務を強いられがちだ。インフルエンザやノロウイルスなどが流行るシーズンは高齢者も病気になりやすく、急な入院が増えてしまい、そのぶんの収入がなくなってしまう。
誰かを看取った後ですぐに新規の患者が来ればいいが、切れ目ができてしまうと、それもステーションの収入減につながる。そのため、「少し無理をしてでも“顧客”を掴んだほうがいい」となれば、スタッフ数はギリギリでも訪問先を増やそうという経営体質になる。京子さんの職場もその傾向があり、彼女は「体力的にもたない」と感じ始めている。
次のページ>> 激増する利用者に対して、ほとんど増えていない訪問看護師
訪問看護は、ある意味で精神的にも辛い。寝たきりの独居生活の高齢者も多い。本来なら療養型のベッドがある病院に入院したほうが良いような患者でも、病院によっては月10万〜30万円もかかるため、家計が厳しくて入院できない。かといって、介護施設も「何年待ち」という状態で、止むなく在宅を選ぶ患者もいる。
京子さんをはじめ、全国の訪問看護師が耳にするのは、「家族に迷惑をかけたくない。早く死ぬ方法を教えて」という切実な声だ。いわば、高齢者が自ら“姥捨て山”を選ぶような現実にやり切れなくなった京子さんは、「訪問看護も辞めようか。けれど、辞めたところで、この先どこで理想の看護ができるのだろうか」と悩みの中にいる。
利用者が10年間で15万人も増えたのに
訪問看護師は4000人しか増えていない
2025年、団塊世代が一斉に75歳以上の後期高齢者となる。高齢者の激増に備えるため、在宅看護の役割が期待されているが、需要に対し供給は少ない。訪問看護の利用者は、約38万6000人。10年前の23万7000人と比べ、約15万人も増えている。
一方で、訪問看護ステーションで働く看護師は、2010年で約3万人と横ばい傾向にあり、10年前と比べ約4000人程度しか増えていない。看護職員5人未満の訪問看護ステーションが6割を占め、数は2011年で5815ヵ所と、過去10年で見ても微増に留まる。
訪問看護師の多くが、「とてもQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)を高めるような看護まではできない」と嘆く状況で、2025年以降の超高齢社会の医療を支え切れるのだろうか。
訪問看護という受け皿が整っていないにもかかわらず、国は医療費削減のために、診療報酬を「病院から在宅へ」という流れに転換している。たとえば、2012年度の診療報酬では、早期の在宅医療への円滑な移行や地域生活への復帰を促進するための保険点数が加算された。
次のページ>> チューブを付けた重症患者が、病院から放り出される「裏側」
チューブを付けたまま放り出される患者
在院日数が短いほど病院が儲かる「仕組み」
一般病棟を中心とする「退院調整加算1」は、入院日から14日以内で340点(1点は10円)、30日以内で150点、31日以上で50点と、退院が早いほど病院の収入となるため、病院が患者の退院を促す動機付けになる。
また、病院の収入源である入院基本料も在院日数が短いほど高いことから、病院経営を考えれば、「患者を早く退院させたほうが儲かる」ことになるわけだ。
となれば当然、よほど理念のある病院でない限り、利益を出すために保険点数で患者を見るようになる。結果、全身チューブだらけの状態でも患者は病院を退院せざるを得なくなり、そうした状態で在宅医療に移っているため、余計に家族の負担が増す。そして訪問看護も手一杯になり、激務に音を上げた看護師が次々に辞めていくという、悪循環に陥っているのだ。
実際、多くの病院看護師が「あんなチューブだらけの状態で、また地域に患者を送ってしまった」と、患者の行方を案じている。
しかし、超高齢化社会で全員が病院で看取りを迎えることは、現実的には難しくなるだろう。「慣れ親しんだ自宅で最期を迎えたい」という、患者側の理想もあるかもしれない。だからこそ、やはり訪問看護の存在が必要となる。制度や現実とのギャップにジレンマを感じつつも、日々、患者に寄り添う訪問看護師の姿を紹介したい。
千葉県流山市にある「たんぽぽ訪問看護ステーション」のベテラン看護師は、こう語る。
「家族の介護力が乏しいなかで、話をすることだけでも患者のケアにつながる。決められた1時間の中でやることはたくさん。なかなか利用者さんの願いまでは、叶えてあげられないが、学生の実習が入った日ならできることもある」
今年4月、筆者は訪問看護に同行取材し、1日を追った。その日は、勤医会東葛看護専門学校の学生が実習に来ていて、学生5人が訪問看護の現場に入っていた。
次のページ>> 患者が望むことまでとても手が回らない――。関係者の苦悩
患者が望むことまでとても手が回らない――。
理想と現実の狭間で揺れる関係者の苦悩
朝8時45分。朝礼が始まりスタッフの出欠確認。全員で患者の状態などについて報告がなされる。
「Aさん、膀洗、陰洗のときに自分では全く動けません」「Bさん、往診したら心不全の疑いで入院になっています」「Cさん、腹水が溜まっても痛い治療(穿刺)はしたくないということです」「Dさん、次回はお別れパンフレットを家族にお渡ししてください」――など。
30分ほどで終わり、スタッフはそれぞれの訪問先に散っていく。看護師と男子学生がペアになり、3年前から寝たきりの男性Aさん(91歳)宅に向かった。Aさんには、高血圧、前立せん肥大、右ひざ関節症、慢性心不全、静脈血栓症などがある。
看護師が家に着くと、「今日は朝ごはん、何を食べましたか」など、話しかけながら状態を観察していく。体温、血圧、血中酸素濃度、脈拍などのバイタルサインのチェックを行ない、Aさんの手をとり「手は、あったかい? ちょっと末梢の循環が悪いかもしれないね」と言いながら、そっと手をさすった。聴診器で胸やお腹の音などを聞きながら、「今日は学生さんがいるから、午後、外出できますよ。久しぶりの外ですね」と微笑みかけた。
そうした話の合間にも、尿の出は良いか、睡眠はとれているかなど、様々な状態観察を行なっている。横についていた学生も、「部屋が少し暗いのでカーテンを開けましょうか?」「お腹をマッサージしましょうか?」と積極的に声をかけていく。看護師が膀胱洗浄を行ない、浣腸をすると、あっという間に1時間が過ぎた。
Aさんは、介護保険制度を使って「30分以上60分未満」の区分で訪問看護を受けているが、担当の看護師は「たった60分では全身を見て異変がないかをチェックするだけで終わってしまう。Aさんに限らず、なかなか患者さんが望んでいることをしてあげられない」と複雑な心境だ。
次のページ>> 患者を外出させるのに5人で30分。訪問看護の現場で見た現実
外出ひとつとってもなかなか実現できないのは、時間的、マンパワー的な制約があるだけではない。普段は息子がAさんの世話をしているが、その息子はリストラに遭ってしまい、家計が厳しい状況。息子はAさんが外出できるようになると、「そのために介護度が下がってしまい、介護保険で受けられるサービスが減ってしまうのでは」と懸念していた。そうしたジレンマを多くの家族が抱えている。
もちろん、血栓が飛んで脳梗塞などを起こすリスクを抱えるAさんの健康状態を気にして、「そこまでして外出させたくない」という想いもある。Aさんの外出について複雑な想いが絡んでいたが、その気持ちを汲み取りながら、Aさんにとって3年ぶりの外出が実現したのだった。
患者を外出させるのに5人で30分
訪問看護の現場で筆者が目にした現実
昼休み、学生はいったん学校に戻って、Aさんの外出方法について作戦を練っていた。ひとことで外出と言っても、寝たきりの高齢者を部屋から連れ出すのは簡単なことではない。
Aさんの家は部屋の出入り口が狭く、段差もある。学生らは、「救命用の担架で運べないか」「車いすを部屋に入れてAさんを乗せたまま運び出せないか」と、模索していた。実際、車いすに学生が乗ってみると、4人がかりでやっと持ち上がり、寝たきりの大人の体を移動させる困難さを改めて感じているようだった。
午後、Aさん宅に学生5人が向かい、昼休みの予行演習が奏功し、無事にAさんは外に出ることができた。5人がかりで部屋から玄関を出るまでに、実に30分かかった。途中、こまめにバイタルサインをチェックし、万全を期した散歩を始めると、Aさんの表情は明るくなり、会話が弾んだ。とは言え、外に出たいという希望を叶えることがいかに難しいか。それを学んで学生は学校へ帰っていった。
訪問看護のニーズは高齢者だけではない。0〜9歳の小児利用者も年々増えている。2001年にわずか842人だったのが、2009年には2928人へと約3.5倍となった。
次のページ>> 高齢者ばかりでなく、小児専門の訪問看護に乗り出す施設も
医療の高度化で、NICU(新生児集中治療室)で命が助かり、在宅に移るケースが増えていることが背景の1つにある。たとえば、なかには体重500グラムで生まれる子もいるが、治療によって命が助かるようになった。NICUを経る子は、小さく生まれた低出生体重児、難病、先天的な心臓や肺の疾患があるなど、様々だ。
子どもに疾患や障がいがあれば、育児に大きな不安も出るだろう。「“赤ちゃん”という存在を初めて抱く機会が、自身の出産だ」という女性が6割と言われるなかで、そもそも育児そのものにも戸惑うことも多い。ここでも訪問看護は頼れる存在として役割を発揮する。
手が足りないのは高齢者だけではない
小児専門の訪問看護に乗り出す施設も
NICU退院後の小児を専門に訪問看護する施設として初めて設立されたcoco baby訪問看護ステーションによると、既存の訪問看護のほとんどが高齢者を対象とし、小児を看ることができるステーションが少ないなかで、貴重な存在だ。
看護師で所長の吉野朝子さんは、「病院でNICU勤務の頃、いざ退院する場面になって地域の訪問看護に断わられるケースを多く見てきました。『だったら専門のステーションを立ち上げればいい』という、あるお母さんの声に後押しされたんです」と、6年前に起業した。
病棟では、子どもは血中酸素濃度や心拍などの状態を把握するため、常にモニターで管理され、アラームが鳴りっぱなし。親は面会時間に合わせて通院しなければ、わが子に会うことができない。「せめて子どもに免疫力のつく母乳を」と、母親は懸命に搾乳して母乳を届ける。数週間で退院できればよいが、数ヵ月、1年と入院生活が長引くケースも少なくない。
病状が急変する時もある。ほとんどの親が面会で精一杯。やっと退院となっても、24時間、看護と子育てを同時にするような実際の生活をイメージする余裕がなく、慌ただしく在宅に移行していく戸惑いは大きい。
退院後、環境の変化に赤ちゃんがついていけず、夜泣きが激しくて親が眠れない日々が続くことも多い。子ども本来の性質で泣くのか、体に異常があって泣くのかもわからず、新米ママとパパは不安を抱える。
次のページ>> 医療崩壊を建て直すために、看護師の「悲惨な職場」を救え
なかには、子どもの疾患や障がいを受け入れられない親もいる。医療ケアを抱える子と家にこもってしまい、ネグレクト(育児放棄)寸前、というケースもある。そこをサポートできるのが訪問看護となる。
吉野所長はこう話す。
「家庭のなかに入って、医療者としての目で、その子のペースに合わせてできることを考える。それと同時に、家族の状況もトータルで見てケアすることが重要です。NICU退院後は、病院には月に1度程度の外来通院となります。どうしても、断片的にしか医師は患者を診られない。そこを、私たち訪問看護師が継続的にかかわることで、適切なタイミングでアドバイスし、その子の成長を一緒に考えることができるのです」
0歳から超高齢者まで、訪問看護を必要としている人が大勢いる。診療報酬でも訪問看護の部分が改善されてきてはいるが、まだまだ需要に追い付くまでの体制にはなっていない。看護師は、病院や在宅医療だけでなく、介護施設、保育所など様々なところで必要とされているが、圧倒的に不足している。
医療崩壊を建て直すための第一歩
看護師の「悲惨な職場」を救え!
厚生労働省は「看護師不足」とは言わず、「不足感はある」と言い続ける。それは、看護師数そのものが年々増えていることと、免許取得者だけを見れば潜在看護師も含め200万人の看護職がいるから十分だ、という考えからだ。
しかし、あくまで「不足感」とする背景には、看護師の増員や処遇改善を行なうことで、医療費などが嵩むことを避けたい本音が垣間見える。
5回にわたる連載で指摘してきたように、疲弊する看護の現場を見れば、人員が不足しているのは明らかだ。どうしても医師不足の問題に隠れてしまうが、看護師不足の影響も計り知れない。
この状態を放置しては、“平成の姥捨て山”は他人事ではなく、「明日は我が身」となってしまう。私たちがまず、看護師の「悲惨な職場」に目を向け、その実態を知ることが看護労働を救うことにつながる。そして、医療崩壊を建て直す一端を担うことができるのではないだろうか。
質問1 あなたは「人生の最期」を病院で迎えたい? それとも自宅で迎えたい?
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