06. あっしら 2011年9月13日 17:52:13: Mo7ApAlflbQ6s
: DvLZNEv2EI
Pj82T22SRI さん、レスありがとうございます。 ●「03. 2011年9月13日 12:47:45: Pj82T22SRI >子宮頸がんが40代になると減少
これは間違いだろう」 ●「02. 2011年9月13日 12:41:27: Pj82T22SRI >ヒトパピローマウイルスの感染による“非ガンの皮膚病”がガンと誤って診断されている >本来は不要な子宮切除手術までがガン治療という名目で行われている 悪質な病院は別だが 普通は、生検で必ず確認するから、そういう例はほとんどないし 全摘は、あり得ないよ」 03のコメントに対するものが中心になりますが、02の“生検”の的確性(難しさ)についても触れられている内容です。
参考にしていただければ幸いです。 =============================================================================== 『名医の「有害な治療」「死を早める手術」 患者が知らない医の本質』近藤誠著大和書房発行より: ガンに関して反主流というか異端児的考え方を持つとされる慶応大学医学部近藤誠講師と主流派の対談当時大阪府立成人病センター調査部長 大島 明氏のあいだで行われた子宮がんをめぐる討論を引用したものです。 【引用】 P.89
「「子宮がん検診は有効」の根拠は何か 近藤:検診の話をすると、例えぱいま日本で見つかっている上皮内がんというのは本当にがんなのかという疑いがあります。例えば宮城県のデータで見ると三〇〜三九歳に上皮内がんの見つかる率は一〇万人に四五人ですが、これが四〇歳以上になると下がってくる。 [注:(図@)として掲載されている「宮城県の検診データ」は省略] 大島:それは外国でも同じですね。 近藤:でも、発がん理論からいうと一種の矛盾だと思うんです。 大島:上皮内がんがすべて浸潤がんになるというモデルなら、それは矛盾しますね。 近藤:遺伝子の傷がだんだん蓄積されて「多段階発がん」につながるなら、複数の遺伝子が傷つかないとがんにならないから、年齢の上昇とともに発がん頻度は高くなる--これはどんながんでも認められると思うんですね。成人病センターの統計でも一般にそうなっていると思う。 大島:確かに一般的ながんの場合、年齢の上昇とともに罹患率は高まります。 近藤:それなのに、なぜ子宮の上皮内がんだけは年齢の上昇とともに罹患率が下がるのか。これをどう説明するのか、間題が残る。 大島:全部が全部浸潤がんに移るのでなく、一部が移ることで説明できる。 近藤:いや、一部が移るんであれば、年齢が高くなるにつれて新たに上皮内がんとして加わってくる人もいうわけだから、率は同じか高くなっているはずで、逆に半分とかそれ以下になるのは矛盾です。例えば一九九〇年の宮城県のデータは、四〇歳から四九歳では一〇万人中二一人と半減しているんです。五〇歳から五九歳では一〇万人中六人と、ほぼ七分の一になっている。 大島:検診発見率はプレバレンス(Prevalence:ある集団をある時点で観察したときの有病率)ですから、そこに出入りはある。 近藤:出ていくなら浸潤がんとして出ていって―。 大島:浸潤がんだけでなく、上皮内がんの場合はリグレツション(Regression:退縮)もある。 近藤:いや、退縮を言い出すと、よけいがんじゃないという話になる。 大島:ですから、上皮内がんというのは一部はがんでないものもあるわけです。しかし、早期胃がんの場合には退縮はない。 近藤:がんが退縮するなら非常に深刻な問題なわけですが、上皮内がんの場台には退縮ではなくてパピローマ・ウイルス感染のある形態をがんと見てしまっているのではないか。 三〇代はセクシャル・アクティビティが高いしホルモン環境も年寄りと違え加齢に伴って環境が変わるとがんとは見えなくなっていく。だから検診をやっても発見頻度は下がると考えるのが一番スッキリするでしょう。 大島:病理組織学的に分類できればいいけれど、その区別がつかないわけですよね、いまの段階では。 近藤:そういう曖昧な病理診断学に基づいた上皮内がんの検診というのは、疑問があると思うんですね。 大島:ですから、上皮内がんがすべて浸潤がんになるのではなく、その一部が浸潤がんになり、さらに放っておけば命を落とすそういうデータも示した上で患者さんが判断するのが好ましい。 近藤:そうなると、大島さんの従来の発言には撤回していただかなけれぱならないところがありますね。例えばこれは『産婦人科治療』の大島さんの論文ですが、「子宮がん検診の有効性については、すでに疑問の余地はない」とある。 大島:いや、疑問の余地はないんです。 近藤:けれど退縮するがんも、見つけられれぱ切られてしまうわけですからね。それは「疑問の余地がある」と言わざるをえないと思うんですけど。 大島:それは見解の違いじゃないですか。 近藤:見解の違いを埋めようとするのがこのディスカッションの一つの目的ですから。それと、がん死が減るかどうかの観点からしても、ケース・コントロール・スタディしか子宮頸がん検診では行われてないのですから、「疑問の余地がない」と言い切るのは非常に問題だと思います。 大島:いや、しかし、人間を対象とする医学というのはもともとですね、集団としてきちんと証拠が揃っても個々の一人ひとりについてまで疑問の余地なく白黒が決まるものではありません。「疑間の余地がない」というのは集団として見た場合の有効性についてですよ。 近藤:けれども、言い切るためには、大島さん自身が言ってきたようにRCT(くじ引き試験)をしなければならないわけですから。 大島:いえいえ。RCTができる状況ならRCTをしましょうと言ってる。子宮頸がんの場合は検診がすでに広まっていますから、RCTをしようと思ってもできない状況にあるじゃないですか。 近藤:それは有効性が検証できないということであって、有効性が認められたということではない。 大島:それはあまりにも一面的な話ですね。RCTによるきちんとした証拠がなければ絶対だめということではありません、RCTがなくても、いくつもの観察的研究によるデータに基づき、いろんな類推で有効性については判断できるわけです。そこは、近藤さんといくら話しても埋まらないところだと思います。」
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