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自健会相談員SAWADAのカラダケア http://blog.livedoor.jp/ninomiyatchizuko/
政治の分野では地殻変動が起きているようです。
インターネット上では市民レベルで覚醒が始まっていますね。
熱い怒りとうねりがマグマのようです。焼き尽くし、押し流すまで止まらないでしょう。
インターネットでは新聞とテレビによる情報操作の実態が、市民の手で暴かれつつあります。
これまで紙媒体(新聞雑誌)や電波(テレビ)でのみで発信されたありとあらゆる情報が、覚醒した市民によって隅々まで検証されるようになります。
大混乱になってきますね。
この流れは政治分野にはとどまらないでしょう。
医学健康に関する分野もこれまでこうした媒体によって見えない統制がかけられていたようなものです。
生化学の目でみれば、食と体の関係は疑いようなく密接に関わっています。
どんな人でもすこし冷静に見ればこのことは明らかなのです。
世の中の優秀な頭脳たちが、どうしていままでこのことに気がつかなかったのか(あるいは知っていてみないふりだったのか)不思議に思うくらいです。
医学の権威たちは薬との関係だけを「医学」といってきました。
これを正当な医学としてきました。これも生化学の一部であるのは明らかです。
しかし、食と病気の関係もまた生化学で言い表すことができます。
できないと誰が言えるでしょうか。
これを否定すれば、その人はたちまち論理破綻するでしょう。
食と体の情報は見えない統制によって世の中の表層に出ることができませんでした。大資本(製薬会社)によって注意ぶかく主流からはずされてきたのです。
その手口は今暴かれつつある政治の流れとまったく同じものなのです。
そして次第に食と病気の関係は「気休め程度」とみられるようになってしまい、真面目に研究する人間すらもいなくなってしまいました。
今はその研究の一部がかろうじてあるだけです。
世の中の表層で流れる医学情報だけをみていると、「体を治すのは薬や手術だけだ」というメッセージが繰り返されています。
私たちは繰り返されたこのメッセージに染まって、健康を回復させる手段は薬しかない、と思わされてきたのです。
この大前提を今見直さなければならないのです。
私たちは副作用や後遺症の可能性ある薬や手術ばかりの医学で満足しているのでしょうか。
そうじゃないはずです。
その方法しかない。その場所しかない。
そう思わされているから仕方ないと諦めていたのです。
食の節制によって病気が防げる可能性があるならば、医者はこの可能性をまず追求すべきだったのです。
この可能性を追求した後で補助的に薬が使われるのなら、私たちはまだ納得できました。
しかし、そうじゃなかったのです。
薬や手術による医学は最新設備を備えた巨大建造物を作り上げました。
かたや、食の医学はまだ整地すらされていない原野といえます。
それでも同じ生化学という地平にたっているのです。
今は苦痛とまやかしの横行するこの巨大建造物のほかに逃げる場所がある、と気がついた人が少数でてきている。
そして原野に逃れでた人は「ここはどこなんだ」と呆然としている。
今、私にはそんな風景に見えています。
(2010年2月26日 記)
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