http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/410.html
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社会共通資本としての保険医療制度 賢人たちの意見を参考に
小泉政権は聖域亡き構造改革というキャッチフレーズで、市場原理主義の邪魔者である社会保障費を削りに削った。しかし、その聖域とは何であったのか。それは、宇沢名誉教授の云う所の社会的共通資本であった。その社会共通資本の一つである医療に関して真に勉強し社会共通資本として先を見据えていたのが故武見太郎であった。武見太郎が唱えた、医師性善説,医師聖職説,医師学究説 これらは非常に重要な事である。また、今云われだしている地域較差対策もすでに考えていた。各地域に根ざした医師会病院の設立構想である。いま、イレッサ問題などに代表される癌治療や高度先進医療などは地域にがんセンター等を作って集中して対処すべきであろうし、そのまとめ役としての国立がんセンター等の位置づけを確立していけば社会的共通資本の意味がはっきりしてくるであろう。
反対に、病院、勤務医と開業医の解離策は厚労省の画策である。厚生省が病院優先型の健康保険点数を推し進め病院の乱立を招き、今大変な事になっている。農業も大規模農家が効率が良いと勘違いして官僚が農政を行ってきたのとそっくりである。いま、やはり厚労省の利益誘導型の介護施設が乱立しつつあるが、将来今の病院と同じ事になろう。それらは社会的共通資本の意義を考えずに立てられているからである。
1. 医療保険制度の抜本的改正
2. 医学研究と教育の向上と国民福祉の結合
3. 医師と患者の人間関係に基づく自由の確保
4. 自由経済社会に於ける診療報酬制度の確立
を根本的に見直す事により、国民皆保険の存続を計らないといけない。厚労省抜きでやらないといけない。
社会的共通資本となりえる、医療制度を医師性善説,医師聖職説,医師学究説に基づき医師が中心となって作り上げることが急務と考える。
医療制度崩壊に関する宇沢教授の意見から
特別寄稿 宇沢弘文東大名誉教授
日本の医療崩壊と後期高齢者医療制度
世界に誇るべき国民皆保険制度 完全な崩壊への決定的一歩
http://hodanren.doc-net.or.jp/iryoukankei/seisaku-kaisetu/080222uzawa.html
給付の平等性とフリーアクセスの原則
皆保険制度を守る医療関係者の努力
高齢者を犠牲にした極端な医療費抑制
日本の医療はなぜ深刻になったのか
市場原理主義は国民の願いに逆行する
日本では、市場原理主義が、経済の分野だけでなく、医療、教育という社会的共通資本の核心にまで、その影響を及ぼしつつあるからである。
中曽根「臨調行革」路線の下で、厚生官僚によって「医療亡国論」が声高に主張され、医療費抑制のために医師数をできるだけ少なくする政策が取られはじめた。医に経済を合わせるという社会的共通資本としての医療の原点を忘れて、経済に医を合わせるという市場原理主義的主張に基づいた政策への転換を象徴するものだった。現在の極端な医師不足、勤務医の苛酷な勤務条件を招来する決定的な要因がすでに形成されはじめていたのである。
TPPに関する宇沢教授の意見から
【特別寄稿(上)】菅政権のめざすことと、その背景 宇沢弘文・東京大学名誉教授、日本学士院会員
http://www.jacom.or.jp/proposal/proposal/2011/proposal110214-12526.php
◆社会的共通資本を守るのが政府の役割
社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置を意味する。
山、森、川、海、水、土、大気などの自然環境、道、橋、鉄道、港、上・下水道、電力・ガス、郵便・通信などの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、金融、司法、行政、出版、ジャーナリズム、文化などの制度資本から構成される。とくに自然環境は、それぞれの国、地域の人々が長い歴史を通じて、聖なるものとして大事に守って、次の世代に伝えつづけてきたものである。
社会的共通資本の管理について、一つの重要な点にふれておく必要がある。社会的共通資本の各部門は、重要な関わりをもつ生活者の集まりやそれぞれの分野における職業的専門家集団によって、専門的知見に基づき、職業的規律にしたがって管理、運営されなければならない。
社会的共通資本の管理、運営は決して、官僚的基準に基づいて行なわれてはならないし、市場的条件によって大きく左右されてもならない。社会的共通資本は、それ自体、あるいはそこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足にさいして重要な役割を果たすものであって、一人一人の人間にとって、また社会にとっても大切なものだからである。
政府の経済的機能は、さまざまな社会的共通資本の管理、運営がフィデュシァリー(社会的信託)の原則に忠実に行なわれているかどうかを監理し、それらの間の財政的バランスを保つことができるようにするものである。政府の役割は、統治機構としての国家のそれではなく、日本という国に住んで、生活しているすべての人々が、所得の多寡、居住地の如何に関わらず、人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民の基本的権利を充分に享受することができるような制度をつくり、維持するものでなければならない。
引用終わり
「社会的共通資本の管理について、一つの重要な点にふれておく必要がある。社会的共通資本の各部門は、重要な関わりをもつ生活者の集まりやそれぞれの分野における職業的専門家集団によって、専門的知見に基づき、職業的規律にしたがって管理、運営されなければならない。
社会的共通資本の管理、運営は決して、官僚的基準に基づいて行なわれてはならないし、市場的条件によって大きく左右されてもならない。」
健康保険の歴史と武見太郎の考えは次の記事である程度わかると思われる。
診療報酬体系成立の歴史を検証する
http://d.hatena.ne.jp/asao8148/20100320/1269056239
【健康保険開始前夜】
健康保険制度が普及する以前の時代、当然のことながら治療を受ける患者さんは費用の全額を自腹で支払わなければならなかった。過去の時代においても医療費はけっして安くはなかった。
【健康保険制度の開始】
昭和13年に内務省から厚生省が分離独立すると、市町村ごとの任意加入の普通国民健康保険組合と、同業者による特別健康保険組合が作られた。
【診療報酬の配分】
この健康保険の執行に当たって、つまり今でいうところの総医療費がまず決められて、なおかつ官公立病院を優先してその診療報酬を確保したのである。
【医療国家統制の始まり】
戦況も進んだ昭和16年のこと、ときの東条内閣は戦時の統制経済政策の一環として、この医師会との自由契約を一方的に廃止してし、健康保険の診療報酬は厚生大臣の告示によって定めるものとし、日本医師会が自主的に決めていた健康保険点数表を政府が定めるという形にすることによって国家統制することにしたのである(昭和18年1月から実施)。
【点数・単価方式の原理】
【単価方式のみの変則的廃止と点数方式の一人歩き】
厚生省の発案=新医療費体制の点数再配分によって診療報酬が大幅に増額となった病院が厚生省案賛成に回ったため、以後甲乙2表が並存することになる。病院は甲表を採用し、開業医は乙表を採用して、これを境に病院と開業医が乖離していくことになり、病院は日本医師会からも切り離されていくことになる。
【医療内容への厚生省の介入と制限診療】
新医療費体制による特定の技術料の値上げ方式は、病院医療の内容にまで厚生省が介入することを意味していた。医療費を抑制する目的のために、抗結核薬の使用量を有効量の10分の1に制限するなどのいわゆる厚生省による「制限診療」が大きな問題となっていた。
【国民皆保険の実施と保険医総辞退騒動】
昭和36年に医師会から政府へ提出した要望内容は、
1.診療報酬の引き上げ、
2.制限診療の撤廃、
3.事務の簡素化、
4.地域差の撤廃、の4項目であった。
【10年後の保険医総辞退】
10年前に田中角栄との折衝で武見が要望したことは、
1.医療保険制度の抜本的改正、
2.医学研究と教育の向上と国民福祉の結合、
3.医師と患者の人間関係に基づく自由の確保、
4.自由経済社会における診療報酬制度の確立、の4項目であった。
結局、政府自民党は点数配分や診療報酬をいじるばかりで、抜本的な医療制度改革は棚上げにした。
【病院型医療への利益誘導がもたらしたもの】
厚生省が病院優先型の健康保険点数を推し進めたことによってさまざまな弊害を生むことになった。
利益誘導のよる病院優先策が、病院の乱立(開業医の病院経営への参入)を招き、そのことが更なる医療費の増大につながっていったのである。
【薬漬け、検査付けによる乱診乱療】
安易な入院とともに薬漬け、検査付け医療が医療費の増大にさらに拍車をかけたが、このような乱診乱療は医院よりもむしろ大病院で横行するようになった。
これまで薬代は潜在技術料と考えられていたものを、武見は薬価を引き下げて、浮いた分をすべて技術料に回すことを主張したが、相当分が保険財政の穴埋め、すなわち支払い側の取り分に回された。
【地域医療に対する構想】
武見は各地に医師会病院を作るように働きかけていたが、それは地域に密着した中核病院の必要性を感じていたからだ。アメリカではコミュニティーホスピタルが地方の援助で各地に出来ている。開業医は自由にその病院に出入りし、外来患者を入院させて、専門医と共同で治療に当り、また退院した患者の治療を続け、さらに地域の予防衛生活動を行うというシステムが定着している。わが国ではこのような地域医療をもとにした、一元的な医療制度は全く考えられてこなかった。厚生省は一貫して官公立病院、開業医という2本立ての医療を推し進めてきたのである。政府や厚生省がやらないから医師会でやろうという考えで、医師会病院や医師会検査センターの設立運動を展開したのである。武見の理論では、国立がんセンターなどの専門病院や大学病院は、地域医療の中核病院の上に立つ、第三次病院としてその役割をもっていたはずであった。
武見は「国立病院、県立病院、私立病院があるのはわかるが、そうかと思うと日赤や済生会がある。日赤や済生会はもはや歴史的使命は終わっている。社会保険病院、厚生年金病院などの経営主体はまた別にあり、支離滅裂な医療体制になっている。こういう公的病院の体制こそが非常にムダであり、配置も経営主体もバラバラで、学術的な体制ではない」と主張した。
【健康保険の抜本改革案】
組合、政府、国民と分けられた、従来の3つの健康保険制度を全く一新して、地域、産業、老齢の3種の健康保険として統合する。地域保健には会社の組合保険と国民保険を組み入れて統合し、地域単位の健康保険にする。そして産業保険(職域保険)は労災保険のみに特化させる。来る高齢化社会に対処するために、前の2つの保険とは別に積み立て方式の老齢保険(老人医療保険)を創設して、老齢になる60歳から病院受診時に給付を受けられるようにする。
【まとめと今後の展望に関する私見】
25年間日本医師会長として君臨してきた武見太郎のやり方はいかにも旧時代的(そのころは自民党を初め、社会全体のしきたりが旧時代的であった)だが、彼が主張してきたことは本質的には正論であって今日にも当てはまることが多々あると実感した。武見は「学問に理解のない、無学の輩、学なき者は去れ」と厳しく官僚を批判した。医療の内容は医療の専門家である医師が決めるべきであって、素人の官僚が口出しをするなという強い意思表示である。ただ単に総医療費を抑制することだけに熱心で、医療内容にまで介入して医療統制し続けてきた厚生(労働)省。かつて厚生省が結核の治療指針をかってに作成したとき、武見はかんかんになって怒ったという、それは医師のなすべき仕事だと。
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