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「こいつバカだ、ぴっ」と私の「身体」は信号を発する。私の「頭」が、「この人は立派な人だ」といくら主張しても/内田樹
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/367.html
投稿者 藪素人 日時 2010 年 10 月 19 日 20:11:09: BhHpEHNtX5sU2
 

(回答先: 臓器移植で変わる性格・嗜好、心は各種臓器に分散して宿る!? 投稿者 藪素人 日時 2010 年 10 月 11 日 20:22:49)


<私の身体は頭がいい>
・私自身が設定する基準によれば、ウチダは「頭が悪い」。「ウチダの頭」は「頭が悪い」のだが、「ウチダの身体」は「頭がよい」、恐ろしいほど賢い。これは自信をもって断言できる。
 頭が理解できないことでも身体が理解できる、というのが私の特技である。だから私本人は「バカ」のくせに、私がつねに自信をもって「あいつはバカだ」と断言することができるのは、私が他者の知性をつねに「身体」で判断しているからである。
 そいつのそばにゆくと、私の身体が「ぴっ、ぴっ。こいつバカですよ、ぴっ」と信号を発するのである(ほんとである)。私の「頭」はただそれだけに耳を傾けるだけでよい。半世紀生きてきて、身体によるバカ診断が誤ったことはただの一度もない。
 私の「頭」が、「この人は立派な人だ。尊敬に値する人だ」といくら主張しても、私の「身体」は「ぴっ、ぴっ。こいつバカだよ、ぴっ」と信号を発するのである。
【出所】「私の身体は頭がいい」内田樹/文春文庫‘07年

(ヤブ人)
 内田氏は東大仏文出のエンテリで、現在某大学教授じゃが、合気道や居合抜きを相当やるらしく武道論の断片も語っておる。
 ここの証言は正に、内臓(身体)に備わる心(五感)が直感的に感知したことを脳ミソが改めて教えてもらう構図ではないじゃろか。

 脳ミソも臓器の一部じゃから、単にコンピュータのようなメモリーと論理回路の役割ばかりでもなかろう。角田忠信『右脳と左脳』では脳が地殻の変動を無意識のうちに感じ取っていることを証明しておる。少なくども地殻変動を感じるセンサー機能は備えておる。
ちなみにカナダの脳外科医ペンフィールドは長年研究した結果、脳に心はないという結論に達した。ではどこにあるかというと脳(頭)の外側の空間にあるようなことを示唆しておったと記憶する。はて?
 

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コメント
 
01. 2010年10月20日 08:52:56: zZ6Cm1qcuQ
身体を丁寧に扱えない人に敬意は払われない
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-338.html


 身体感受性が鋭敏に働いている人は、他人の身体についても、同じように感受性を働かせることができる。どういう動作をしたがっているのか、どういう姿勢をしたいのか、どういう音質の声で語りかけられたがっているのか、何をされたいのか、何をされたくないのか……いっしょにいる人について、それが自然に分かり、求めるままに反応できる人は、「人の気持ちが分かる人」という社会的評価を受ける。そのようなささやかな積み重ねのうえに、社会的敬意というものは構築されるのである。
 自分の身体の発する身体信号を感知できない人は、他者の身体の発する身体信号をも感知できない。自分の身体を道具的に利用することをためらわない人は、他人の身体を道具的に利用することもためらわない。
 自分に敬意を払う、というのはそういうことである。

<人間と人間がくっついた>
頭でっかちな人は、しばしば自分の発言に責任を持ちます。あほくさ。
そうやって、自分と他人の言動を別個のものと考えている時点で、もう「身体を丁寧に扱えない人」なのです。
私達の一挙手一投足は、それが他に認識された瞬間、その人の中に入り込み、強い影響を与えているのです。言動は見られた瞬間、自他の境界をぶち破っているのです。エスカレータに乗る時、バイクに乗る時、私達の手足は他者の手足と一体化していなければならない。私の言葉は読まれた瞬間に、相手の人生を変えてしまっていなければならない。
責任をとる?冗談じゃない。「自分が」行動したり事故を起こしたりするから「自分が」謝罪を行うのだ、という発想自体がクラッシュの原因なのだ。最初から、自他の手足がくっついた一個の生命体として振る舞うことができなければ、それは「社会」人とは呼べない。
他人の体に、自分の体と同じような感受性を働かせるとは、そういうことではないでしょうか。


02. 2010年10月20日 09:01:47: zZ6Cm1qcuQ
『古来賢人たちは必ず「どうして私はこんなに賢いのか」という問いに遭遇した。』んだそうな。

こびとさんをたいせつに
http://blog.tatsuru.com/2009/10/03_1726.php


03. 2010年10月20日 18:17:04: zZ6Cm1qcuQ
<ヒトの顔>
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ssiraisi/8.html

動物園で、鶴のヒナを人工飼育するときは、人を刷り込まないように鶴のような手袋を使って餌をあげます。
人を刷り込んでしまうと人を仲間とみなすようになり、鶴を仲間として認めなくなってしまうからです。
鶴にとって、人を刷り込むことは誤刷り込みということになります。

それとおなじで、マスクをした口のない顔や、帽子をかぶった頭の大きな顔や、黒いふちの眼鏡をかけた看護婦さんの顔を刷り込むと、誤刷り込みということになります。
はじめは母親を同種の仲間として認めません。
はじめて母親を見たときは、顔をそむけたり、泣いたりします。

看護婦さんが赤ちゃんの世話をするのであれば、看護婦さんが刷り込まれる必要があります。
しかし、誤刷り込みにならないように、人という種として刷り込まれる必要があります。
赤ちゃんに接する看護婦さんは、自然のヒトの顔で接するように配慮してください。


<刷り込みと共鳴>
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ssiraisi/3.html#2

目が見えないといった視覚障害を持っている赤ちゃんの刷り込みはどうなるのか、という問題があります。視覚イメージは形成できないので、嗅覚や触覚や聴覚による刷り込みになります。母親という存在全体と共鳴すると考えることができます。


04. 2010年10月20日 18:28:46: ekTvZ4Cpl6
ミラーニューロン
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/e996eb8261d85f9a57b2f5453c70ecf5

しかし実際の人間活動は、肉体に具わる総てのニューロンを、総て同時に直接に認識しているので、言語思考の助けなど必要はない。
言語思考が介入してくると、どうしても超越論的主観性のような余分なモノが入ってきてしまう。
「人の気持ちがわかる」ニューロンの発見はすばらしいことなのだが、これから発見されるであろう多くのニューロンを、同時に直接に認識する。新しい認識法も同時に発見して欲しい。
それは多分、言葉からこぼれ落ちているモノなので、言葉でない方法で認識を共有するということなのだが、肉体内部にはその感覚器官は確かに存在するが、コミュニケーションにはインターネットのような外部での共有システムの開発が必要になるだろう。人類の未来がかかっている。


ミラーニューロンと幽体離脱
http://blog.goo.ne.jp/lifelongpassion/e/ff78bc80f22da779597f64dcd12f361b

ミラーニューロンっていうのは、相手の動きを見て反応する神経細胞。
人のしぐさを真似したり、人の痛みを同じように痛みとして共感したりする機能。
最近になってこのミラーニューロンを活性化する薬が発明されたそう。
これを人間に注入してみると…、、なんと被験者全員が幽体離脱を体験したとのこと。

曰く、
他者への共感度が高まり過ぎると、自分が他者であっても自己同一性が揺るがない状態になってしまう。

頭頂葉と後頭葉の境界に、角回という部位があって、
ここを刺激すると、ぞわぞわーっていう寒気のような恐怖感に襲われるそうです。
背後霊がべたっとくっついているような感覚。
しかし、自分が右手をあげると、背後のその人も右手をあげる、
つまり、背後にいるように感じる人は他ならぬ自分自身ってこと。

要するに「心」は必ずしも身体と同じ場所にいるわけではない、、、
この例でいくと、身体が後方に(背後に)行ってしまっている。


ミラーニューロンの発見
http://d.hatena.ne.jp/tnakamr/20090614/1244937702

ラマチャンドランの評するところでは、神経科学における(心理学における)「ミラーニューロンの発見」は、生物学における「DNA二重ラセンの発見」に匹敵するという。

「人間の心をコンピューターのようなものとみなすこの考えは、約半世紀にわたって君臨した。しかし現在では、別の見方がますます有力になっている。この新しい見方にしたがえば、私たちの心のプロセスは身体によって形成され、その過程での身体運動と周囲の世界との相互作用の所産として、どのような知覚経験と運動経験を得たかによって形成される。

「西洋文化は個人主義的、唯我論的な考え方に支配されていて、その枠組みのもとでは自己と他者との完全な分離が当たり前のようにできると思われている。私たちはその考え方にどっぷりとひたっているため、自己と他者とが相互依存にあると言われても、直観的に違うと思うばかりか、聞き入れることさえ難しい。この支配的な見方に対抗して、ミラーニューロンは自己と他者とを再びつなぎあわせる。その活動は、人間の原初的な間主観性を思い起こさせる。それはすなわち、赤ん坊と母親、赤ん坊と父親の相互作用に表され、その相互作用の中で発達する、赤ん坊の初期の相互作用能力だ。ミラーニューロンはこの最初の間主観的な時期に形成され、この間主観性によってはぐぐまれるのだろうか?私はそうだと思う」


05. 2010年10月22日 12:40:46: 3TNrfc6LLU
身体を整え、自発的に賢さを取り戻す


体の側から食を考える
http://www.igakutogo.com/shokashoku.html

最後に少し脱線しますが、野口晴哉先生の考え方は独特で、「何を食べても大丈夫な体」の他に、効く薬を飲ませて治さずに、小麦粉のような全く効の無い物を飲ませて意図的なプラシーボ反応を起す治し方をすべきと説きます。
野口晴哉先生が精神療法家を自認されていたことは、先ほど引用しました「整体操法読本」において、野口先生が「精神療法」として名を連ねていることに明らかです。
では、この野口先生の思想の原点となったものは何だったのでしょうか?
私は、そこに野口先生の原風景、原体験として戦争と関東大震災があるように思われてなりません。
凄惨を極め、怪我人と死人が溢れかえった世界大戦と関東大震災。
そこで若き日の天才野口晴哉が直面したのは、薬も何も無い状況下で手技だけで治さねば為らない世界だったのでしょう。
食養だといって、之はイィ、あれはダメだのと言ってはいられない世界だったに違いありません。
そんな中では、「何を食べても大丈夫な体」でなければ生きていけない事自明です。
しかし、その時代の食べ物は、腐っていれば直に下すでしょうし、毒物(自然毒も含め)であれば、すぐに体に反応が顕われたのでしょうが、現代の私達を取り巻く、毒物は極めて悪質で、徐々に体を蝕んでいきますが、中々私たちの体は反応してくれません。
やはり、多少の食養生の実践は欠かせないと思われます。
消化器を含め、体を整える事と食事にも気を使う事とをバランス良く生活の中で実践するように心がけましょう。


06. 2010年10月22日 20:22:11: zqw7Lv8Ckk
 そうだんねえ。
 01番にアップされちょるように援交やピアスなど肉体的に苦痛であっても脳が別の価値観をデッチ上げて満足するちゅうことはあるべえ。自分で自分を騙くらかす。そぢて脳ちゅうのは目からへえって来る情報(外観)に騙され易いんでねえかのー。

 んだから、もぢ内臓が健康で活性化しちょれば、情報洪水のなかでも真贋をたちどころに見抜いていけるんでねえかのー。その自我の直感を脳が改めて教えてもらうようにするど間違えも少ねえ。いやさほとんど間違えなくなるんでねえかえ。

 そんためには「食」はもぢろん武術や気功あるいや畑仕事なんかで身体の基本性能を整えておきゃぁ、世ん中の真相も良く見えてくるんでねべか。
 もひとつ言えば、毎日たっぷり垂れて、腸にウンコ溜めねえこっちゃねえかと思う。ウンコ詰まってちゃ気の巡りも血の巡りも話になんねべ〜。(ヤブ人)


07. 2010年10月23日 12:35:23: 3TNrfc6LLU
>>06
騙くら返しもあるでよ。


ミラーボックス療法
http://xendela.blog109.fc2.com/blog-entry-209.html

以前、ラマチャンドラン医師の
脳の中の幽霊 という本を読んだ時、
このミラーボックス療法 というものが出てきた。

幻肢痛対策として考案したらしいのだけれど、
具体的にどういうものか知らなかった。


今日、こんなビデオ(2分間)を見つけた。

言っていることはわからないが、どういうものかがよくわかった。


08. 2010年10月23日 12:53:28: 3TNrfc6LLU
食べない生き方
http://fasting.lolita.la/


上記サイトに様々な食養生がまとめられていました。

医学の歴史

19世紀初頭まで、医学には五つの流派があって、お互いに補完し合って共存共栄していました。

自然療法【ナチュロパシー】 食事療法、薬草療法、芳香療法、温泉療法、半身浴
整体療法【オステオパシー】 指圧、鍼灸、呼吸法、ヨガ、ストレッチ、カイロプラクティック
心理療法【サイコオパシー】 催眠療法、対話療法、グループセラピー
同種療法【ホメオパシー】 極微量の毒で健康を増進
異種療法【アロパシー】 病気の症状と反対の効果を持つ薬品を投与
アロパシーのみが対症療法で、それ以外の四つは自然治癒力を高める根治療法です。
ところが、19世紀にアロパシーだけが唯一科学的根拠のある優れた医学として採用され、
他の四つの医学は時代の権力闘争などの複雑な要因によって駆逐され衰退したそうです。
そして、明治維新と共にアロパシーだけが西洋医学として日本に伝来されてきたのです。

病気の主な原因

病気の主な原因として以下の六項目を挙げる事ができます。

@ 心にゆとりがあるかどうか。
A 呼吸は深くて長いかどうか。
B 食事は自分に適したものを適量摂っているかどうか。
C 排泄が円滑に行われているかどうか。
D 体に冷えがないかどうか。
E 脊椎に歪みがないかどうか。
健康の基盤となるのは、食事、運動、姿勢、休息、精神、環境の六項目です。
現代の医学ではアロパシーが主流となり、症状を抑え込む薬剤の使用が中心となっていますが、
病気の根本的な原因を取り除くためには、他の四つの医学を取り入れる事が必要だと思います。

食養法とその問題点
http://www.igakutogo.com/shokuyoumondai.html

大阪の食養研究家、福元稔氏によれば、玄米や自然食を続けていて長生きした人はいないということです。
これは一体どういうことなのでしょうか?
これは一つには、個人差を無視した教条主義形式主義による食事指導の問題が大きいといえます。
もう一つは、健康状態が回復しても、厳格な食事をそのまま長期にわたって継続することに起因した問題です。
三つ目の問題は、大抵の厳格な食養生には「食の楽しみ」という要素が抜け落ちているということです。
四つ目は、必要以上に食養を過信してしまうことでしょうか。

たいていの現代病は食事を改善するだけでもそれなりに軽快するものなのですが、すべての疾病が食養“だけで”解決できると言うものではありません。
本当に良識的な食養生の指導者は食養だけでなく、漢方や気功、運動療法などを様々に取り入れて、色々な観点から総合的に治療していくというやり方を採っています。

健康あっての人生ですが、人生あっての健康です。
食養も、あまり神経質にならずに、気持ちをおおらかにもって取り組みたいものです。


09. 藪素人 2010年10月23日 18:19:04: BhHpEHNtX5sU2 : zqw7Lv8Ckk
 ↑07
 脳が騙くらかし易いとすればこれを逆手に取った療法ちゅうもんもあるでんしょうね。
 TVでやっていたが、アメリカのゲーム好きの少年が脳にできた腫瘍をイメージで腫瘍をやっつけるゲームを毎日やっていたところ腫瘍が消えたちゅう話があった。

(援交補足)
 三砂ちづるさんは内田樹さんとちょっと違った見解も示しておる。子ども時代に十分抱きしめてもらえなかった子が、その不足分を補っているという解釈。おじさんの側にも同じことが言えると。
 たしかにさる女の子が、人恋しさに大人のおじさんに全身を抱かれてそれが気持ちよかったとの述懐をどこかで見た。そんとき交合ちゅうのはおそらく二の次だっだんだろうて。

 最近は帝王切開で生まれてくる子も多いから、出産時に十分な皮膚のマッサージを受けないんで思春期になって、しっかり抱かれたいちゅう欲求もあるかもしんねえね〜。こんな動機もある比率であるかもしんねえ。

(心眼)
 心眼が開くちゅのは、内臓が活性化して脳は騙されても自我は物事の真髄を直感するちゅうことでねえかと思い到った。これが許されるのは、高度に鍛練された武術家や舞踏家、芸術家や思想家あるいは修行を積んだ坊さんの類が想像できるが、一井の人にも何らかの理由で存在する可能性はもぢろんあるべえ。


10. 2010年10月24日 20:33:52: NVpWBJtA1E
08さん

>医学の歴史
>19世紀初頭まで、医学には五つの流派があって、お互いに補完し合って共存共栄していました。

>自然療法【ナチュロパシー】 食事療法、薬草療法、芳香療法、温泉療法、半身浴
>整体療法【オステオパシー】 指圧、鍼灸、呼吸法、ヨガ、ストレッチ、カイロプラクティック
>心理療法【サイコオパシー】 催眠療法、対話療法、グループセラピー
>同種療法【ホメオパシー】 極微量の毒で健康を増進
>異種療法【アロパシー】 病気の症状と反対の効果を持つ薬品を投与

なんかいきなりまちがってませんか?コレ
ホメオパシーは19世紀成立(過去に似たようなものはあっても)でしょうし、
超微量の毒とか書いたらホメオパシスト怒り狂うんじゃ???
健康の増進も違うような・・・・・
あと、アロパシーの病気の症状と反対の効果を持つ薬品、というのも誤解招きそうですし。


11. 2010年10月25日 09:16:40: ekTvZ4Cpl6
予防接種(ワクチン)はどれも当てはまらないと思ったら、
ホメオパシーは種痘からヒントを得たとする説がありました。


皆さんはホメオパシーの起源を誤解しています
http://anond.hatelabo.jp/20100821180732


ホメオパシーはワクチンの拡張理論

症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈。
何かに似ていると思いませんか?
非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。
エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。
一方ホメオパシーの始祖であるドイツの医師、サミュエル・ハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。
はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。
ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療を勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。
ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素や水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。
ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。
ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパスが元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。


12. 2010年11月12日 20:31:12: 38lDYW3Kgg
健康って何?
http://blog.tatsuru.com/archives/001799.php


(抜粋)
アメリカのペンシルバニア州のロゼトはイタリア移民が建設した街で、別に他の街とどこがどう違うわけでもないが、1950年代、心臓病による住民の死亡率が周囲の街の半分ほどだった。(「縦並び社会・8」、毎日新聞6月23日朝刊)
興味を持った医学者たちが疫学的な調査を行ったが、周辺の住民との間に差異は認められなかった。
食生活も喫煙率も同じなのに、なぜかロゼトの住民は心臓病になる確率が有意に低い。
調査チームは結局、その理由を「住民の連帯感が強い」ということ以外に見いだせなかった。
「お互いの尊敬と助け合いが健康をはぐくむ」
当たり前といえば当たり前のことである。
その連帯感が1960年代に入って失われてゆく。
「キャデラックを乗り回したり、ラスベガスに旅行する人も出始めた」と同時に死亡率が上がり、70年代にはロゼトの優位性は失われた。
「他人との比較や、富を求めて過重労働になるストレスと、社会の結束が崩れることが健康を損なう原因」であると、ハーバード大学の公衆衛生学の研究者は述べているそうである。

ロゼトの事例が教えてくれるは、たとえジャンクフードを食い、煙草を吸い、酒を飲んでも、「周囲からの支援と尊敬」のうちにいれば、人間はあまり病気にならないということである。
逆から言えば、「周囲からの支援と尊敬」が欠如した状態に置かれると、どれほど生理学的・生化学的に健康な生き方をしていても、それはあまり人間の生命力を高める役には立たないということである。
健康法の効果はそれがどれほどの社会的合意を獲得しているかによって左右される。
だから偽薬(プラシーボ)というものに薬効がある。
二つの患者集団の両方に「これはあなたの病気の特効薬です」といって薬剤を投与する。
一方には新薬を、一方には小麦粉をシュガーコーティングしただけのプラシーボを与える。
ほとんどの場合、どちらの集団も有意な治療効果を示す。
新薬の認可がなかなかおりない理由の一つは、それと同じ効果を「特効薬」であるという社会的合意を(演技的に)付与された小麦粉でももたらすことができるからである。
『野生の思考』の冒頭でレヴィ=ストロースが列挙しているとおり、その治療効果についての社会的合意がある限り、どんな療法も(虫歯が痛むときはキツツキの嘴を触る・・・というようなものでも)顕著な効果をもたらす。
人間はそれほどまでに社会的な生物なのである。
ヘーゲルが言うとおり、人間は社会的承認を受けてはじめて人間になる。
だから、あなたが生きる上でもっともたいせつなのは「隣人があなたに向ける笑顔」なのである。
あなた自身を愛するように隣人を愛しなさいというのはそういうことである。
あなたが隣人を愛することによって隣人は生きながらえており、隣人があなたを愛してくれるおかげで、あなたはかろうじて生きることができる。
人間は自分が欲するものを他人から与えられることでしか手に入れることができない。


13. 2010年11月14日 18:49:09: 38lDYW3Kgg
やる夫で学ぶホメオパシー1
http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20100214/1266167562

やる夫で学ぶホメオパシー2
http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20100221/1266768657

やる夫で学ぶホメオパシー3
http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20100321/1269186660

やる夫で学ぶホメオパシー4
http://d.hatena.ne.jp/Mochimasa/20100410/1270877878

ホメオパシーは魂を救うか―宗教と科学の境界線
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-da9f.html

○人間性の回復としての…

最近話題になっているホメオパシーは、まさに人々のこうした要求に応えるものです。ホメオパシーは、物質が1分子が残らなくなるまで希釈した砂糖玉(レメディ)が「荒唐無稽」なものとして注目されていますが、もう一つのポイントが「好転反応」です。好転反応とは、レメディによって自然治癒力が高まったとき、一時的に出てくる症状の悪化だとされます。

好転反応は科学的には、正しい判断を曇らせるものです。そして、この理由で、危険なものとして扱う人も少なくありません。しかし、好転反応のポイントは、「苦しみに対する意味づけ」とも言えます。「この苦しみは治るためのプロセスなんだ」と考えることは、現代医療で「リスクの問題」としてゴミのように掃き捨てられてきた患者の苦しみに「意味づけ」を与えてくれます。ホメオパシーは、現代医療で代替可能な非人間的存在として扱われてきた患者が、代替不能性=人間性を回復する手段と言うこともできるのです。

そして、こうした「苦しみに対する意味づけ」は、もう一つの効果を期待できるかもしれません。それは、「苦しみに対する意味づけ」によって、本当に自然治癒力が高まるという効果です。この効果は、科学的に立証できないわけではないかもしれませんが、現代の社会でこれを立証するのはかなり困難です。薬の直接的効果と異なり、少なくとも「効果がないこと」を簡単に示すことはできません。

さて、こうした「苦しみに対する意味づけ」は、通常なら宗教の役割です。「過去の罪の償い」「来世で幸せになるための手段」表現はいろいろありますが、多くの宗教が「苦しみに対する意味づけ」をしていることには変わりません。ところが、日本では、宗教に対する嫌悪感が強く、「病気の問題を解決するのに宗教を頼るのは危険」と考えている人は多いと思います。こういう人が、医療における「意味づけされない苦しみ」に突き当たった時、唯一取れる手段が「ホメオパシー」であるという面は、少なからずあるでしょう。

○医療に何を求めるのか?

・・・

もし、こういう「科学と宗教の越境」がある程度なら仕方ないことだとしたら…、単に「科学と宗教の越境」という理由でホメオパシーを批判することができるのか疑問です。最近話題になっているような社会的に好ましくない「越境」、医療を否定してしまうような「越境」を牽制しつつ、専門知識のある医師等によって、適切にコントロールされた状態でホメオパシーを利用することこそが有効という結論もありえます。具体的には、医師の診断によって、治る見込みのない患者等、ホメオパシーが適切と思われるケースのみ、「やさしいウソ」としてホメオパシーを使うというものです。これは最近、批判の矢先に立っているホメオパシー医学協会とは別団体の、ホメオパシー医学会の主張とも近いものです。

・・・

ここで、これ以上詳しく論じることはしませんが、少なくとも言えることがあります。それは、これが科学の問題ではなく、社会の問題だということです。ホメオパシーは科学ではないというところまでは科学の問題だとしても、そこから先には、さまざまな議論が絡み合っているのです。


14. 藪素人 2010年11月18日 19:53:21: BhHpEHNtX5sU2 : zqw7Lv8Ckk
 ↑12 
「住民の連帯感が強い」「お互いの尊敬と助け合いが健康をはぐくむ」ってえのは、おぞらく必要なホルモンが必要な程度出てくるんでなえかなぁ。脳内快感ホルモン、βエンドルフィンとかいうのは、免疫力も高めるとも聞いた。人間関係が嬉しいと、そんなもんが過不足なく出るんでねえかな。体内で作られるホルモンの分泌にゃ精神状態が影響するべえ。

 昨日のNガッテンではストレスでテストステロンちゅう男性ホルモンが出にくくなるんだど。出にくくなるとストレスに弱くなって、ますます出にくくなる。そすて「うつ」状態になる。やる気がなくなって筋力も衰えてくるおっとろしい「LOH症候群(不元気症候群)」ちゅう病気になる。

 玉ねぎがいいんだとー。そすて「抜き足、差し足、忍び足」体操。朝立ちの回数が減るとか性欲の衰えはテストステロン低下の兆候だから気をつけんといかんのだとー。

 早え〜話が「スケベ心」忘れねえってことでねえかえ。


15. 2010年11月22日 20:19:11: 38lDYW3Kgg
>>14

仲の良い夫婦はケガが早く治る
http://takedanet.com/2010/06/post_4f9a.html


仲の良い夫婦はケガの治るのが早いという研究がアメリカのオハイオ大学から発表されている。
そんなバカな!と誰しもが思うだろう。夫婦が仲が良いということと、ケガとは関係がないじゃないか!と言うのは少し前の考えだ。
自分の頭が固定的だからそう思う。

(中略)

夫婦仲が良いとケガの直りが早いという研究結果はあるが、まだ本当かどうかは判らない。でも、人間の健康が「楽しいか苦しいか」で大きく変わることも確かだ。
かつて、擦り傷をするとガーゼをあてて厳重に殺菌したが、最近ではガーゼは推奨されていない。自然の治癒力を利用するのだ。
多くのガンは自分の体の中にあるガン壊死因子次第だし、外からの若干の刺激は生きる意欲を沸き立たせる。物理的にはタバコは体に打撃を与えるが、ヘビースモーカーが長生きなのは,タバコでリフレッシュすることができるからだ。

(中略)

楽しく生活すること、生き甲斐のある時を送ること、のんびりと時間を楽しむこと・・・そんな時代が目の前に来ている。
そんな中でもっとも良いのが男女関係だが、気楽に男女がつきあえて、それが人生の張りになる時代はくるだろうか?

(平成22年6月9日 執筆)

武田邦彦


16. 2010年11月22日 20:22:46: 38lDYW3Kgg
タバコを考える パート9 イエス様はどう言われるか?
http://takedanet.com/2010/10/post_ab3b.html


(中略)

アメリカ人がイエス様の教えを理解していないのも不思議だが、事実は「神からいただいた人生を楽しむ」というところを忘れてしまった。それが人間らしいと言えば人間らしいが。

・・・・・・・・・

「タバコ」をイエス様にお聞きしたらどう言われるだろうか?
「神を信じ、敬いなさい. そしてあまり他人に迷惑をかけない範囲でタバコを楽しみなさい。」
といわれるように思う.そこでおそるおそる「副流煙の問題が・・・」とお聞きしたら、(推定だが)次のように教えられるだろう
「人は誰もが他人に迷惑をかける.一つ一つのことに気を煩わすのではなく、吸いたい人には吸わせてあげなさい。」

・・・・・・・・・

人間というのは、朝起きて歯を磨き、顔を洗い、ご飯を食べ、働き、そして寝るだけの生活をすることはできない。時に笑い、時に泣き、悩み、喜び、自棄になり、希望を持つ。
そんな人間には、神も、家族も、恩師も、お酒も、タバコも、時に葉巻やパイプまでもが必要なのだ。
タバコはサタンではない. むしろサタンはタバコを忌み嫌い、社会から追放しようとする人の心にあると私は思う

(平成22年10月13日(水) 執筆)

武田邦彦


17. 2010年11月23日 11:47:54: 38lDYW3Kgg
人とのつながりが健康をつくる
http://www.healthliteracy.jp/shimin/post_15.html


2.助けるだけでなく助け合う関係があることが健康につながる
1)お互いの「信頼関係」が注目を集めている
 社会的な支援は助ける人から、助けられる人への一方通行の関係ですが、助けられることだけでなく人を助けることも健康にとって大事であると言われています。こうした、お互いに助け、助けられる、助け合いの関係にあることを専門用語で「互酬性(ごしゅうせい)」あるいは「互恵性(ごけいせい)」(reciprocity)がある関係といいます。この互酬性があるつながりというのは、人々の信頼関係によって成り立ちます。互酬性がある地域は信頼関係が強い地域になります。個人間の信頼ある関係が多くある地域は、安心できたり、安全であったり、みんなで定めたルールを守っていたりするなど、住みやすい特徴が認められます。
 最近、このような、地域に住む人たちがお互いに信頼し合っていたり、多くの人が安心感を抱いていたりする、人と人との間にある関係のことを、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)といい[3,4]、注目を集めています。ソーシャルキャピタルは、お金(金融資本)、住んでいる土地(物的資本)、自分の能力や健康(人的資本)とならんで、その人がその人らしく生き、生産的な活動をしていく上で必要な「資本」のひとつといわれています。ここでは、ソーシャルキャピタルをわかりやすく「信頼関係」と呼んでいきます。
2)信頼関係に注目する理由は「格差」問題から
 これまでは、私たちがよりよく生き、社会を活性化するためには、お金やモノがあればなんとかなると思われてきました。しかし最近になって世界的な不況や、それに伴う市場中心の「小さな政府」といった政治路線によって一層ひどくなった社会格差の問題などから、それだけでは不十分であることが分かってきました。
 信頼関係(ソーシャルキャピタル)に関する研究は、主に米国の研究者達によって積極的に行われてきました。
 米国では殺人事件による死亡が10代の若年層の死因の2位であり、34歳以下の黒人の死因の1位にもなっています[5]。米国では、徹底していわゆる小さな政府(limited government)の路線を続けており、個人の自己責任を重視する社会になっています。その結果、貧富の差が拡大し、貧困者の増大だけでなく、モラルの低下や犯罪件数の増加などが目立っています。つまり、社会格差が大きい地域であると、人々がお互いに助けたり助け合ったりするような関係が少なくなってくる、言い換えると、信頼関係が低下します。そしてその結果、健康問題が生じた、あるいは、死亡率の増加につながった、という関連性がわかってきました。
3)日本でも信頼関係が見直されてきている
 日本はどうなのでしょうか。1960年くらいまで、日本社会は、アメリカのユダヤ人コミュニティと似て、しっかりと結ばれた家族構造や地域が特徴的であることが言われていました[6]。しかしながら、1990年以降の慢性的な不況や、構造改革やIT革命といったような社会的な大きな変化の時期を経て、現在は、貧富の差も拡大しつつあり、犯罪率も増加傾向にあります。はっきりと示した報告はありませんが、人間関係も疎遠になってきているように感じている人も少なくないように思われます。
 こうした背景によって、日本でも信頼関係が注目されるようになってきています。実際、その人の健康状態は、住んでいる地域における信頼関係が一部関係していることが示されています。そしてその、信頼関係と健康の関係は年齢構成や性別構成、収入にも影響されないとしている報告があります[7]。

[3]内閣府「ソーシャルキャピタル調査研究委員会(委員長:山内直人・阪大教授)報告書」2003.
[4]Putnum R. Making democracy Work. Princeton University Press, Princeton, 1993. 川田潤一訳.哲学する民主主義ー伝統と改革の市民的構造.NTT出版、2001.
[5]近藤克則:健康格差社会 何が健康を蝕むのか、医学書院、2005.
[6]Blau, Z.S.: In Defense of the Jewish Mother, Midstream, 13, 42-49, 1967.
[7]市田行信:ソーシャルキャピタル―地域の視点から―、 近藤克則編:検証「健康格差社会」、医学書院、107-115、2007.
[8]Kawachi I. Social cohesion, social capital, and health. Berkman LF, Kawachi I. (ed) Social Epidemiology, 174-190. Oxford University Press, New York, 2000.


18. 藪素人 2010年11月24日 07:44:24: BhHpEHNtX5sU2 : zqw7Lv8Ckk
>助けられることだけでなく人を助けることも健康にとって大事であると言われています。こうした、お互いに助け、助けられる、助け合いの関係にあることを専門用語で「互酬性(ごしゅうせい)」あるいは「互恵性(ごけいせい)」(reciprocity)がある関係といいます。

  38lDYW3Kggさん、ありがてえ、滋味ある話はここらへんではもったいねえ〜。ぜひ表に論立してどんどん投稿してもらいてえなあー。

 「互酬性」とは拙者初めて聞く述語じゃが「社会学」なんどの用語なんじゃろか。社会板に投稿した「シェアハウス」の理論的根拠にもなる概念ではねえかとも思う。シェアハウスは理論的にも実践的にも研究してくべき現代社会の課題じゃねえかと思うなあ。

 >人を助けることも健康にとって大事
 ここですぐ浮かぶは、マザーテレサのこと。この聖女は拙者の理解できる範囲を超えておるが、理解できる範囲での一つの解釈が上にあるんでねえかと思う。
 人に尽くすことで彼女の脳内にはβエンドルフィンがコンコンと常時湧いていた。ゆえにセックスとはまた質の違った恍惚感に四六時中支配されていたんではなかろうか。んだから免疫力も高まり高齢をもまっとうした。一口に言って彼女は非常に幸せな人生をまっとうした。


19. 2010年11月24日 12:40:09: 38lDYW3Kgg
日経メディカルブログ:色平哲郎の「医のふるさと」
「『健康格差社会』を生き抜く」
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201009/516783.html


地域に密着した医療現場にいると、コミュニティーでの支え合いが
生命のありようを左右することをしばしば実感する。
例えば、同僚の長(ちょう)純一医師は、
「大都市よりも人間関係が濃密な山間部の方が認知症が進みにくい、
そんな印象がある」と指摘している。

自然環境も影響しているのかもしれないが、なべて農村のほうが
高齢者でも畑仕事やら何やらで、体を動かして自らの「役割」を果たす機会が多い。
多少認知症が進行しても「火事さえ出さなきゃいいよ」と
周囲が見守るケースもあるだろう。

日本福祉大学社会福祉学部教授の近藤克則氏の『「健康格差社会」を生き抜く』
(朝日新書)は、社会疫学の視点から、コミュニティーの力を
明らかにしようとした労作だ。
「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」の大切さが実証的に語られている。

「ソーシャル・キャピタル」とは、直訳すると「社会資本」となるが、
ダムや道路、橋といったインフラのことではなく、
人間関係やグループ間の信頼、規範、ネットワークといったソフトな資本、
つまり人と人とのつながりを指す
(関連記事:2010.5.25「日本の健康長寿、秘訣は『ソーシャル・キャピタル』」にあり」)。

著者はまず、要介護認定を受けていない約3万3000人の高齢者の
「身体・心理・社会的な状況」を4年間追跡した調査によって、
「健康格差社会」の実態を浮き彫りにする。
この調査では、高所得の人ほど「よく眠る」、「明るく、うつが少ない」
「要介護リスクや虐待が少ない」など、健康状態がよいことが分かった。

また、介護保険を利用している高齢者約2万8000人を4年間追跡した調査によれば、
高所得で保険料が高い人たちの死亡率11.2%に対し、最低所得層(生活保護受給世帯)
では34.6%と、男性は3倍以上も死亡率が高いという。

(中略)

能力の高い者、努力した者に高い報酬を、との主張は
人間の経済的欲望を肯定する点では正しい。
しかし、経済的価値観のみに重点を置く社会は、
内部に不健康というリスクを抱え込む。
国民の健康格差を縮めつつ、
ゆるやかな経済成長を達成するにはどうすればいいのか。
人と人の信頼感が厚く、社会の結束力が高い
ソーシャル・キャピタルが豊かな国は、
社会全体のストレスも少ない。

(中略)

戦後、地方から都市への人口集中によって
「稲作文化」を基底とする「ムラ社会」は崩壊した。
気がつけば、人と人を寄り合わせる軸を失った日本。
「脱・無縁社会」の実現、コミュニティーの再生こそ急務ではなかろうか。


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