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医療の犯罪ーーー(世界中の)千人の医師の証言集
音声読み上げ版 (抜粋編)
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ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
★ 音声版 ★
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医療の犯罪 1000人の医師の証言 より
book picture ハンス・リューシュ編 太田龍訳
医療の犯罪 1000人の医師の証言
ISBN4-87919-135-3 C1036
本体 2,700円(税別) 289頁
選定図書:日本図書館協会選定図書
原書タイトル:
1000 Doctors (and many more) Against Vivisection
by Hans Ruesch
科学的/近代的な医療が、実は病気を作り出している!
科学的/近代的な医療が、実は病気を作り出している犯罪的現実を1930年代から現在まで、 マスコミが絶対取りあげない近代医療のタブー。大反響を呼んだ『世界医薬産業の犯罪』に続く第2段! 科学的装いをこらした近代医療こそが、実は病気を作り出している。―現場の良心的医師1000人の数々の証言で綴る真に“勇気ある書”
★ 文字版抜粋編 ★
http://homepage3.nifty.com/himaari/b.htm
http://homepage3.nifty.com/himaari/b-1.htm
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http://homepage3.nifty.com/himaari/b-3.htm
http://homepage3.nifty.com/himaari/b-4.htm
ーーーーーーーーーー以下転載引用ーーーーーーー
序 章
誤りをいつまでも正そうとしない科学者の強迫観念について
過去一世紀半もの間、著名な科学者、医師、生理学者および医療研究者はもちろん、多くの尊敬すべき市民たちが、医学知識を得る手段としての動物実験が、いかに無益であり、また、その動物実験によって得られた誤った考え方が、いかに人間の健康に悪影響を及ばすかを、繰り返し訴えてきた。にもかかわらず、政治、公衆衛生、教育、メディアそして動物愛護の各分野で「重きをなす人々」、それから当然のように、これらの人々に影細管されている一般の人々は、動物実験を断念することは不可能である、と思い続けてきた。
これは一体どう説明したらよいのだろうか。この現象には多くの理由がある。以下、それを様々な角度から検討してみよう。
日本語版に寄せて
ハンス・リユーシユ
私は出版社から日本の読者のために特に「まえがき」を書くよう依頼され、嬉しさと当惑と両方の気持を持っている。本書はその表題からもわかるように、私だけのものではなく、私と考えを同じくする一〇〇〇人の、そして更に多くの医師達のものである。
私はただ嬉しいどころか飛び上がるほど嬉しいのだが、それは世界のいずこの国に於いても動物実験の悪を進んで暴露する出版社は稀であることが分っているからなのだ。
私の当惑について言えば、私も日本へ行ったことのない他のほとんどの西欧人と同様、ヨーロッパで数は少ないが美しい日本の映画を見て、ほんの僅かに日本の国と人々について知っているだけだという事である。
どういうわけか、私がいつも漠然と個人的な概念として心にいだいているのは、東洋は知恵の在所であり、一方西欧は誤りの、しかも極めて重大な誤りの、源なのだ。
サウジアラビアを舞台にした私の或る小説の中で、一人の遊牧民の長にこんな風に言わせるところがある、「太陽は別として善はすべて東から来るが、雨は別として悪はすべて西からやって来る」と。
ともかく、うまく説明できないがこの信念がいつも私にまといついて離れない。
私は非常な興味をもって、甲田光雄博士の本書への序文を読んだ。甲田先生の理論と方法をもっと詳しく知りたいと思う。ほとんどの人は自然の知恵のおかげで生まれながら健康であることに、先生も同意されると思う。それどころか、先生は「病気の大半は誤った生活が原因」と言っておられる。
一つだけ御批判申し上げたい。免生は「動物実験の必要性を感じていない」と書いておられるが、これは私に言わせれば、動物実験に反対する言葉としてあまりにも弱過ぎるのだ。考えある人々が増えて来て、私もその人達と意見を共にするが、
動物実験は「不必要」であるばかりかそれをはるかに超えて、むしろ医学、したがって人類、に対する猛烈な害の絶えざる源となっているのだ。
何故なら動物実験は、その信頼すらできない間違った答を、鈍感な自称「医学研究者」に与え続けているからなのだ。
ヨーロッパの人口の半分を一掃した@ペストのような中世の大疫病は、密集地域に住む人々の不衛生状態から起こったのだが、今日、人類を脅かす新しい病気のほとんどが動物実験場から発したものであるということは明らかなのである。
一九九六年十二月二十六日
動物実験を廃止せよ
日本動物実験廃止協会会長
医学博士 甲田光雄
「科学」の名のもとに出てきた薬害
科学至上主義がまかり通ってきた二十世紀も、その終わりに近づいて大きな欠陥がつぎつぎと表に現われてきました。
最近の薬害によるエイズの洛生も、そのよい例であります。
日本国民を恐怖に陥れ、新開やテレビなども毎日のように犠牲者たちのいたましい姿を報じ、大きな社会問題になっております。
非加熱製剤の輸血によるエイズの感染は、ほぼ間違いなしという症例が幾例も出ているのに、加熱製剤の使用を決断しなかった理由は、加熱製剤の安全性が1科学的」に証明されていないということでした。
「科学」の名のもとにまかり通ったこの暴挙で、じつに一八〇〇名以上の人々がエイズに感染し、四〇〇名余が死亡するといういたましい結果となってしまったではありませんか。
その加熱製血液の安全性を「科学的に証明するため」に、まず動物実験を行なうというのが有力な条件になっているところに大きな問題があるわけです。こうして「科学的」にその誤りが証明されるまでに危険な薬剤や製品の使用が続けられた結果発生した大惨事は、薬害エイズの前にもいくらでもあります。
昭和二十九年(一九五四年)に起こった森永ヒ素ミルクによる中毒、それに続く九州での水俣病などもその例外ではありません。またスモン病やサリドマイド事件などもまだ私たちの記憶にはっきりと残っております。
「科学的にその誤りが認められるまでは」というこの「科学」 の名において人類が蒙った被害がどれほど大きなものであるかを、いま私たちは謙虚に反省する必要があると主張したいのであります。
「科学的」という言葉がいかにも正しくて、私たちの生活を幸せに豊かにしてくれるものと信じてきた人々が、いまや大きな衝撃を受けることになったわけですが、しかし、いまだになお「科学的」という名のもとに、その正当性を盲信している人たちが少なくありません。
動物実験がそのよい例であります。
二.動物実験は信頼出来るか
医学あるいは薬学の分野で提出される論文で、動物実験の結果を証拠としてその論文の正当性を発表することが、学界での審査にパスする最も有利な条件とでも云うべき「暗黙の了解」があるようです。
動物実検を廃止せよ
したがって、医学あるいは薬学の研究に従事する人たちは、まず動物実験が出来る教室や研究所を選択することになるのです。そして、動物実験を行なっているということがいかにも学究的な、レベルの高い研究者であるかのような妄想にとりつかれてしまっているわけです。
こうして誰も彼もが、いたいけな動物を無惨にも殺生し、「無益とでも思われるような」実験にも手を下さざるを得ないというのが研究室での現状であります。
その結果出てきた成績が、自分の論文に対する評価を高めることになるのだと信じているところに大きな悲劇があるわけです。
しかし、このような動物実験で得られた成廣を添えて提出された論文が、学界での審査にパスするための有力な「切符」となっている限りは、止むを得ぬ手段と云うべきでありましょう。
問題はこのような動物実験を「正しい科学」として位置づけた学界の風習であります。
色々な動物実験をよく検討してみると、その結果は人間にそのまま当てはまらないという場合が極めて多いことに気がつく筈です。
例えば、痙攣を鎮静する作用があるスコポラミン(アトロピン類に属する)は、たった二グラムで一
人の人間を殺すことが出来ます。しかし、犬や猫ではその一〇〇倍の量でも死なないのです。
もし犬や猫での実験結果をそのまま人間に応用すれば大変なことになってしまうでしょう。
またアヘン (モルヒネ、コデインなど)は麻薬として一般の人々は使用が禁止されておりますが、こ
のアヘンの中毒患者が半月(十五日間)毎日使う量を、ハリネズミに全部一度に与えても平気であり
ます。人間なら命にかかわる問題であるのにです。
このように動物実験の結果をそのまま人間に当てはめることは出来ないのであります。
そのうえ動物実験はその動物にとって強度のストレスとなっている場合が少なくないのです。
例えばマウスに注射針を差し込んだ場合を考えてみましょう。
体重五〇グラムのマウスに〇二一mの太さの注射針を差し込むとすれば、五〇キログラムの人間
に換算すると(一〇〇倍)、なんと一〇00という太い注射針になってしまうのです。
その一〇分の一の注射針であっても、それを腕や脚に差し込まれたら、どれほど強いショックを
受けるか、想像出来るではありませんか。
そのようなショック状態で得られた動物実験の成績を、果たして正しい評価としてよいのでしょうか。
私は長年断食療法の研究を続けてまいりましたが、断食をする人の精神状態によってその成績がひじょうに違ってくることを痛感しているのであります。
強い不安感や恐怖感をいだきながら断食を行なう場合、あるいはまた強制的に断食をさせられた場合と、「この断食で自分の病気は必ず治る」と確信して喜び勇んで断食を行なう場合とでは、その結果に歴然たる差が生じるのは当然であります。
喜びや希望で、体内でのもエンドルフィン(ホルモン)分泌が増、え、不安や恐怖ではアドレナリンの
分泌が増えることからもその理由を説明できる筈です。
しかるに動物を絶食させて実験するという場合は、ストレスにこそなれ、決して快感は生じないのであります。
このような状態で行なった動物実験の成績をそのまま信じてよいものか、すぐ解るではありませ
んか。
私が患者さんたちに対して「断食」という言葉を使って、決して「絶食」とは云わない理由はここにあるわけです。
以上のことから、動物実験の必要性を謙虚に反省していただきたいと思うのであります。
三.病気の大半は誤った生活が原因
私は長年、西式健康法を基本にした断食療法、玄米少食療法を応用して、現代医学の治療法でも治らなかった難病疾患、例えば慢性関節リウマチや全身性エリテマトージス、多発性硬化症、強皮症などの膠原病、それに重症筋無力症や橋本病(慢性甲状腺炎)、或いは慢性肝炎や慢性腎炎などの患者さんたちの治療に当たってまいりました。その結果、注目に価いすると思われる好成績を挙げることが出来たのであります。
この臨床経験の中で人間の病気の大半は、各自のライフスタイルの誤りが原因で起こってくる、ということを痛感した次第です。
したがってこの誤れる生活内容を各自の患者さんたちがよく反省し、それを正しいライフスタイルに改めるならば、必ず病気は治ってくるという姿をあまりにも多く見てきたわけです。
たとえ遺伝的な疾患と云われるものであっても、「正しい生活」の実行によって症状の改善が認められるということを筋ジス(進行性筋ジストロフィI症) の坊やたちの臨床で確認することが出来ました。この間題については拙著『ぽく筋ジスなんかに負けないよ』(せゝらぎ出版発行)の中で報告しておきました。
以上の経過から私には動物実験の必要性を感じておらないのであります。
四.実理の芽を抑圧する学界の風習
ところで、この筋ジスの坊やたちに応用した栄養療法は、当院で創案した生業食療法であります。
これは火を加えたものは一切食べず、生の野菜と生玄米粉だけを長期に食べ続けるという厳しい食事療法であります。
成人男子では一日に数種類の生野菜を泥状にしたもの一キログラム、生玄米粉一五〇グラムで、これを二回に分食するものです。一日の総摂取熱量は僅か九〇〇キロカロリー、蛋白質は約二五グラムという低カロリー、低蛋白食ですが、この食事で大の男が一年でも二年でも元気に働いてやってゆけることが、解ってきました。
これは現代栄養学の常識では考えられないことです。大体、基礎代謝量にも足りない低栄養では早晩栄養不良に陥り、倒れてしまうに違いないと考えられるでしょう。
ところが、どっこいそうはならないのです。
これまで約六〇〇〇名の人たちがこの生業食療法を実行してこられましたが、この食事で栄養不良になるどころか、現代医学で治らないとされている各種の難病も治ってくるという症例が続々と出ているのであります。
この間題については、またの機会に詳しく説明することにいたしましょう。
ところで甲田医院での生来食療法に関する症例報告をまとめて、学界に発表しても、結局は無視または黙殺されることになってしまうのであります。
動物実験のような基礎的研究の手順を踏んでいないからだめだというのが学界側の意見ですが、
これによって折角育ってきた新しい真理の芽が抑圧されてしまうことになるのです。
人類の健康と福祉の増進のために誠に残念な風習と云わねばなりますまい。
五.其の平等思想に基づいた医学
人類はいまや有史以来、最大の危機を迎えているように思われます。
加速度的に進展する環境問題、例えば大気中の炭酸ガスの増加による気温の上昇、フロンガスにょるオゾン層の破壊、それに酸性雨、熱帯雨林の激減、砂漠の拡大等々、どれも常人類ばかりか、地球上の全生物にとっても死活の大問題であります。
地球が危ないー・という叫び声が世界の各所から吹き出しているのも当然のことと云わねばなりません。
このような危機を迎えた原因は何か? それは人類がこの地球上に出現して以来、四百万年の間、
「人類独尊」という差別思想に終始した生活態度をとってきたことが根本原因であると、私は考えております。
つまり、人類に都合のよい 「いきもの」は飼いならして利用し、平気で殺傷してきました。動物実験もそのよい例であります。また、都合の悪い 「いきもの」は皆殺しを強行してきたわけであります。
農薬の乱用、抗生物質の乱用などがそれですが、その報いを受けて、今度は人類生存にも脅威が迫ってきたではありませんか。
これは、病害虫を皆殺しにする差別思想の農業や医学に対する天の警告であります。
いまこそ私たちは、この差別の農業や医学を反省し、あの二千五首年前に説かれた釈尊の 「真の平等思想」に基づいた生き方をするのでなかったら、二十一世妃からの人類に、幸せな未来はないと考えられるのであります。
つまり、人間の命だけでなく、動植物や微生物の「いのち」を含めた、すべての 「いのち」が共存共生をはかるという生活感度が、いま問われているのです。
したがって、動物実験の廃止は当然のことと私には考えられるのであります。
六.動物実験廃止の大運動を展開せよ
さて、それではいかにして動物実験の廃止を成功させるかという問題になるわけですが、これには想像以上に困難な障壁が、その前に立ちはだかっているものと覚悟しなければなりますまい。
動物実験を廃止されては困る人たちがいかに多いかを考えればすぐ解ることです。
しかもその最奥に「見えざる政府の陰謀」があることを理解しておく必要があるのです。
この問題については『世界医薬産糞の犯罪』(ハンス・リユーソユ著、太田龍訳。三交社)に詳しい説明がありますが、私たちが二十一世紀からの其の繁栄と健康を成就するために乗り越えなければならない最大の障壁であると考えられるのであります。
しかし、「真理」に目覚めた先覚者たちの警告に耳を傾け、この社会の真実の姿を理解した人たちは正義の御旗のもとに一致団結して動物実験廃止の大運動を展開すべきではないでしょうか。
その日が一日も早く来ることを願って止みません。
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