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転載 【「即自」の医師たち】 副島隆彦 近代医学・医療掲示板より転載記事 http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/299.html
副島隆彦 近代医学・医療掲示板より転載記事 http://www.snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=medical ーーーーー以下転載開始ーーーーーーーー 1622]「「即自」の医師たち」 投稿者:直投稿日:2010/05/13(Thu) 15:27:37 「心に青雲」から貼り付けます。 (転載貼り付け開始) 2010 年02月24日 | 医療問題 内科勤務医師Forest氏から、本ブログ「『血圧心配症』時代」(2010.1.18〜20)にコメント(クレーム)をいただいた。 「あまりにも今回の記事の内容が主観に偏りすぎておりましたため驚かされました次第」と言っておられる。 「適正な値を維持することは恒常性の維持という観点からも適正かと考えます」とあるが、それはそうだろう。私はそんなことを否定したのではない。松本医師も同様だと思う。 私は松本光正著『血圧心配症ですよ!』を紹介し、主旨に賛同したわけだが、要は心配し過ぎは良くない、と松本医師は説いているのである。「し過ぎ」はかえってストレスになって、血圧があがっちゃいますよ、と。 医師Forest氏は、私が「適正な値」を利用することで医療者が不当な利益を得ていると書いたことに対し、「少なくとも私の知る範囲においては金儲けのために薬を処方するような医師は一人もおりません」とおっしゃる。現場の医師としてはもっともな言い分ではあるが、この反論の仕方が問題なのである。 松本医師はアンチを説いている。ここで言うアンチとは、ケンカすることではなく、弁証法の「対立(物)の統一」という意味での対立した意見、である。 医師Forest氏のクレームを読んでいると、ほとんどの秀才医師の欠点だと思われるが、アタマの働きが「即自」なのである。少しは「自分の頭で考えなさい」。 何度も解説してきたが、「即自とは、自分が自分であることがわかっていない状態、自分と他人との区別がつかないレベルをいい、対自とは相手と自分の区別がつくようになったレベルをいう。端的には、幼児レベルを即自といい、三歳くらいから対自的に目覚めていくことになる」(南郷継正著『武道講義 第4巻 武道と弁証法の理論』)である。 医師Forest氏はよもや自分が「即自」(3歳児以下)だと言われるとは思いもよらぬだろうが、これはそういうことなのだ。 正常血圧を160から150へ、さらに140へ、ついには130へ、いやいやもっと120へ下げちゃえといって、患者を増やして金儲けしてきた医療・製薬業界の策謀にはいっさい触れず、血圧は大事だしか言わない。この態度を「即自」というのだ。 まともな(松本氏らの)批判があり、世間も「やたらに高血圧を煽るなあ」と不審に思っているのだから、医師Forest氏としては「対自」になってそれを真摯に受け止め、さらに「即自対自」すなわち「それを踏まえて医療はこうしなければならない」と論を発展させなければならないのである。 以下は一般論であるが、とかく医者になる人はアタマが良い。成績が良い。秀才である。だから医学部に行く(なかには医者になって人を救おうという志なしに、ただ勉強ができるからというだけで医学部に行くアホがいる)。 医師Forest氏が、医療者で「金儲けのために薬を処方するような医師は一人もいない」と言う。自分たちは清く正しいと。これが「即自」だ。 Forest氏は事実だと主張なさるだろう。そうだと認めてもいい。自分の職業に対する信念も必要だと思う。私は医者がみんな悪人だと言っているのではないのに、Forest氏は私がそう思っていると受け取っている。 老鷹様も見事にコメントで指摘している。「Forestさんは、今全人類がロスチャイルドやロックフェラーに支配されていることを知らないのでしょう。医療も、彼らユダヤ国際金融謀略組織がいいように支配しているということを」と。そのとおりだ。 直接的には製薬会社が、背後には国際金融謀略組織が、あなたがた医師を、「金儲けのために薬を処方するような医師は一人もいない」と思わせるようにアタマを創っていることがわかっていない。 私がコメントで「あなたは現代医療に批判的な方(医師)の言い分をどう勉強しているのですか? 自分のやっていることに間違いはない、と、それだけを根拠にして」と批判したのは、「対自」になっていないからである。別言すれば「対立物の統一」として捉えていないのだ。 「医学の本道を体系的に勉強しておかないと、例えば松本光正先生が何を仰られているのか、学ぶべきことをいっているのかどうかの判断が出来なくなってしまいます」 少なくとも、多くの医師は、西洋医療のアンチ(対立物の統一)であるべき東洋医療とか、「赤本」のような民間医療を一顧だにしないではないか。だから「対自」がない。その頑迷さのおかげで、多くの治るべき患者が治らずに苦しむ。 〈彼ら〉の陰謀を置くとしても、現在の医療・医学に、神経の問題などほとんど考慮されず(だからリウマチの謎が解けない)、認識生理学も究明しようとはせず(だから花粉症の謎が解けない)、歯科も縄張り意識で別扱いではないか。 コメント (16) 16 コメント はじめてコメントさせていただきます。 >大学での勉強や権威者の言い分を自分で考えることなしに受け入れるというのは、 またどうぞコメントお寄せください。 無機鉱物の製薬、食べ物の薬 (「心に青雲」推奨) 心ある医者は、こうした薬を極力使わずに、食べ物の指導をする(食べ物の中に本来の薬がある)。 多くの医者は、病を本当に治す手伝いをしたいとは思っていない。効きもしない害毒の薬を平気で出す。医者というものは効能書きに従って薬を出すのが仕事だというぐらいしか頭にない。 >個々の医者は誠実に診療しているつもり
私らは、「医者とは、病を治す手伝いしてくれる存在であってほしい」と思っているが、 確かに専門医に頼らなくては治らない病気も多いですし、救急医も社会は必要でしょう。しかし、現代の受験戦争と医学部受験からはじまって、医師養成に関してはかなりの疑問があります。巷で人気を博している「金融日記」さんのブログを紹介しておきます。もっともブログ主もかなりの拝金主義者ですが...。 http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51564040.html http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51655722.html やはり、幼少の頃から受験勉強ばかりしてきて、しかも大学では医学一筋で医者になっているから、「即自」になってしょうがないでしょう。いわゆる「幼稚的万能感(「ママが何でも言うことを聞いてくれる」)」というやつです。 大学教授、学校教師、政治家、自称・行列のできる弁護士など、この国の「先生」はみな精神的に幼すぎる。Unknown (老鷹) 今回の内科医さんへの「反論」も、見事な筆の冴えといいますか、論理の冴えといいますか…。 即自、対自の概念、だんだんわかるようになってきました。藪医者です (はらへった) 毎年新規に作成され、また改訂されている診療ガイドラインなどは、各学会各大学各講座が薬剤メーカーからもらった研究費を中心に研究したもののはずですから、お薬が使われる間口が広がる意図で作られているでしょうし、その中には過去の研究データに著しく反することは書けないまでも、リップサービス的な記述は為されている可能性があるな、と思います。 励みになります。 Unknown (はらへった様へ(ブログ主です)) Unknown (Forest) >私は松本光正著『血圧心配症ですよ!』を紹介し、主旨に賛同したわけだが、要は心配し過ぎは良くない、と松本医師は説いているのである。「し過ぎ」はかえってストレスになって、血圧があがっちゃいますよ、と。・・・松本医師はアンチを説いている。ここで言うアンチとは、ケンカすることではなく、弁証法の「対立(物)の統一」という意味での対立した意見、である。 松本先生は現代医療に対するアンチテーゼを提出している訳ではなく、高血圧へ過度の不安に対する「啓蒙活動」してるだけに思えるのですが。これを現代医療に対立した意見にとらえて「対立物の統一」にまで持っていくのは拡大解釈しすぎではないでしょうか。 お答え下さい。Unknown (Forest様へ(ブログ主です)) 松本氏はいかにも啓蒙を意図したかもしれませんが、それを「対立(物)の統一」と捉えるのが、思想性の高みです。 あなたは例えば空手を、ただの空手として教えている多くの流派のありかたと、わが流派のように空手と直接に思想性の高み、志や情熱、さらには学問として指導するありかたとの区別ができませんか? 空手をやらねば弁証法は自家薬籠中のものにならない、とするわが流派の捉え方を。「拡大解釈」と言うのですか?Unknown (陽介) 「拡大解釈でではない」→「思想性の高みで捉えることだ」 啓蒙とした捉えられないアタマこそ、貧相というべきなんですね。Unknown (信) 現代医学は、ある事実が分かると、そこからさらにその背後の構造を究めよう・深めようとせずに、短絡的にすぐに結論を下してしまいます。その格好の例が交感神経と副交感神経が一対の拮抗神経であるというドグマです。これは近年、南郷学派によって誤りであることが学問的・科学的に立証されましたが、いまだにそのドグマが根強く常識としてはびこっています。 交感神経は、副交感神経と対として捉えるよりも、むしろ、認識との関係の方が重要です。何故なら、認識と本能の矛盾のしわ寄せは大きく交感神経にかかってくるからです。自律神経失調症のほとんどは認識によって狂わされた交感神経の異常である、という事実はそのことを物語っていると思います。自律神経失調症は、副交感神経とのバランスの狂いではなく、認識の圧迫による交感神経の狂いなのです。 交感神経が、何故認識の圧迫を大きく被ることになるのかは、活動時の体内環境を本能的に整える重要なはたらきを担っているからです。人間の活動時は、認識が全体の統括をしていますが、この認識は、本能と違って、生物としてはあまり芳しくないことも命令することがあります。 認識の直属の部下である筋肉の現場指揮官である運動神経は、認識の命令に従っていればよいので何の矛盾もありませんが、交感神経は本能としての本性を持っていますから、自らの担当部署が危険に晒されるような事態になれば、当然に自律的にブレーキをかけようとします。ところが、それでも、さらなる認識の指揮権が発動されれば渋々ながらも従わざるをえません。 こういうことが続けば、それなりに交感神経として鍛えられもするし、対応力も増す面もありますが、交感神経が狂う事態も出てくることになります。つまり、交感神経の一部が中央に反旗を翻して鎖国して独立王国を築くことになるのです。 それが、いわゆる凝りなのです。つまり、凝りといわれているものの実態は、じつは“交感神経の凝り”なのです。これはまだ私の独断と偏見レベルの私見に過ぎませんが、自信はあります。 そして、この交感神経の凝りは、現象としては、交感神経の統括するスジのネットワークの凝りとして現象します。このスジのネットワークという概念も私しか使っていないのでなかなか理解してもらえませんが、要するに筋肉の筋繊維の周りの膜や皮のようなものと考えてください。これが閉じて凝るだけですので、筋肉運動にさほど差し障りがあるわけではありませんので、凝っても動きは普通にできるのです。でも不快感や疲れやすいとかは生じます。 なぜこのようなことを長々と書き連ねたかといいますと、決して自説の宣伝をしたかったわけではありません。次の私の手がけた症例の前説として、説明しなければならないと思ったからです。 私の患者さんで、血圧が250あって即入院を宣告された人が、いろいろな降圧剤を点滴されたものの全て具合が悪くなって止めて欲しいと訴えたため中止し、病院としては施しようがなく退院させられた人が、縁あって私の治療を受けることになり、二年間スジのネットワークを整え、交感神経を整えしてようやく、血圧が140に下がっている日もあるようになりました。 治療の前は、冬になると指先が真っ白になるいわゆるレイノー症状に必ずなっていたのが、そうならなくなったことに象徴されるように体調が良くなりました。血圧が下がったのにもかかわらず末端にも血流が確保できるようになった事をこの事実は示していると思います。 つまり、血圧だけを下げようとするのではなく、体全体を整えることの方が大事であるということです。整えられれば自然に血圧は下がっていきます。しかし、体全体を整えるのには本物の生薬の漢方薬は効果がありますが、西洋医薬ではできませんので製薬会社は儲かりませんから熱心で無いのが実情であり、医者も薬がなければ手の施しようもないので、それ以上は疑問を持たないようにしているのでしょう。 「交感神経の統括するスジのネットワーク」だけわかりませんが(笑)、おおむね同感です。すみません。 残念ながら医師Forest氏は無知過ぎかと。 そもそも最近の医薬分業の話、 Unknown (ブルー様へ(ブログ主です)) >医師 Forest氏は無知過ぎか< 喫煙者と同じでしょう。一本吸うごとに、これは体に悪いとか周囲が迷惑ではないか…と気にしていたらたまらんというので、考えないようにするのでしょう。 (転載貼り付け終了)
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