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カラダ中痛いところだらけのおオバちゃんから学べ!! 薬の医学から食の医学へ
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/276.html
投稿者 施折 日時 2010 年 4 月 14 日 08:40:47: oWnbXmg6veTQQ
 

自健会相談員SAWADAのからだケア
http://blog.livedoor.jp/ninomiyatchizuko/archives/2009-06.html


精神科医のエッセイの中で、「患者の中で医療不信が強く、薬に頼らず民間療法や代替療法で治したい願望が強いのに驚く」というくだりがありました。

この先生は「私は体がいやになるくらい丈夫ではあるが、・・」といっておいて小さい不調はあるようです。いわゆるアトピー素因があって肌が弱いんだそうです。
医学の教科書にはアトピーは40歳位になれば消失すると書かれているので、ステロイドで対処しつつ消えるのを待っているというのです。

私がよくいうところの「健康だけれど・・・でも(小さい不調があちこちある)」状態ですね。
私は会員さんから、こういう小さな不調が後年大きな裂け目となって、発病を経験している話をよく聞いています。

私もその一歩手前だったわけですが。

さて。何故、患者に医療不信があるか。
この先生はそれにびっくりしているようです。
なぜ手っ取り早く解決する薬をそうまで頑固に拒否するのか。
それがわからない。

そのことに私はびっくりです。医者がなぜ、そうまで薬を使わせたがるのか。
それが理解できない。

どうしてこんな溝ができるのだと思いますか?


私はこう思うんです。「人の痛みは所詮他人事」なんだと。
この思いが病人への無関心を招いていると。


他人の痛みは軽く考えがちになるものなんです。

薬というのは端的にいってしまえば毒物です。
これはだれも医者でさえ認めている事実です。

危険物を使うとき慎重であるべきはずですね。通常の感覚はそうです。
しかしどうもそれを日常的に扱う医者の方は「毒物である」感覚が麻痺するらしいですね。

毒物を扱う感覚を持ち合わせている患者とその感覚が麻痺しかかっている医者のギャップが、私たちを戸惑わせているんじゃないでしょうか。

つまり私たちの怒りというのは言ってしまえばこういうことです。

「人の体だと思ってあまりに軽く考えてるんじゃないか」(怒
医療不信というのはこれが核にあるんだと思うんです。

こちらの痛みを理解していないと感じるとき。
または訴えを信じてくれないとき。
苦しさを過小評価されたとき。

これも医療不信の核となりますね。

薬というのは一つ二つくらい、またはたまに使う少量使うくらいなら便利なものだと思うんです。
また肝臓の余力があるうちは副作用も感じることなく使えるものだとも思うんです。

体に余力があり、不調が小さくて許容範囲内である。たまにこじれて日常生活に支障をきたしたときには便利なものだといえると思います。

しかし肝臓といえども限界があります。いくらそれまで支障なく使えたものでもある日突然使えなくなります。
解毒をつかさどる肝臓に限界が来たとき人体に異物である薬や化学物質は恐ろしいものでしかなくなるんです。

中年のオバちゃんのこういう訴えをよく聞きます。
「よく使っていた化粧品、シャンプー、毛染めにかぶれてしまうようになった・・・」

これは外界の異物が処理できなくなってきた証拠です。
中年のオバちゃんは男性よりも早く限界がきます。

冒頭の医者にとっては自分では肝臓が処理できる段階しか知らないから、薬は便利なものという感覚でしかないんでしょう。
この感覚では「こんな便利なものを拒否する人の気持ちがわからない」といったところでしょうか。

ここでもう、感覚は大きくすれ違ってきていますね。

人生の経験値が重なってくると、年配の身内や知人がさまざまな不調をあちこちに抱えているような話を聞くことが多くなります。
各科から膨大な量の薬を渡されて、かえって具合が悪くなってくるような話も。

そして薬で解決つかないときには精神的な問題にされがちなことも。

こんな話がわが身に起こらないとどうして思えるでしょうか。

これをわがこととして聞けるかどうか。
いずれは自分のことだと思えるかどうか。
だからこそ薬以外の方法を探ることに真剣になるわけです。
だからこそ、代替療法を模索する人が多いんですね。
時には「なんでそんなに・・」といわれるほどに。

人の痛みをわかろうとしない。病気を軽く見る。
軽く見るから、人の痛みや苦しさが理解できない。興味も起きない。
何故、と原因究明する気も起きない。
ともすると症状をばかにしたり、気のせいといったり、精神論でお説教したりする。

そういう意識でいては 病人から学ぶ視点はまったく起こらないといえます。

そうした人からは、病人は離れます(そばにいると精神的にも苦痛だからですね。症状を説明したって無駄だ、と感じるからです)
だから病人の情報が集まらない。ますます理解できなくなる。ますます軽く見るようになる。

そういう人も、いざ何らかの病気や副作用を蒙ったりすると、びっくりして「誰もこんなだとは言ってくれなかった」といったりするんですよ。
しかし、その人が聞いていなかっただけです。
ひとの痛みというものに 関心を持たなかったからそうなっただけなんです。

薬害や闘病記は古今東西話、またはみのまわりにもゴロゴロあるんですよ。
そこでは患者が血を吐く思いで、声を限りに「自分のようになってはいけない」と叫んでいるはずなんです。そこに学べることや小さい不調のうちから対処できることがたくさんあるのに。

糖尿病なんてまさにそれの典型じゃないでしょうか。
自分だけはかからないと思って見くびり無関心でいると、まさに当事者になってしまう。

それも、うかうかと重度まで進んでしまう・・・

結局「人の災難は軽く考えがち」なんですね。実は誰でもそうなんです。

だからこそ、病気や病人の話は身を入れて話を聞く。
そこから学ぶだけ学び、自分の生活に活かす。

それくらい意識的でいても、ききのがしがたくさんでるくらいです。
 

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コメント
 
01. 2010年5月10日 20:25:00: LAl0OFA3uQ
人の痛みを分からないのは病人も同じですね。
病人だってなぜ痛みがあるのかも分かっていない人多いでしょうしね。

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