★阿修羅♪ > 医療崩壊3 > 276.html ★阿修羅♪ |
|
カラダ中痛いところだらけのおオバちゃんから学べ!! 薬の医学から食の医学へ http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/276.html
自健会相談員SAWADAのからだケア
この先生は「私は体がいやになるくらい丈夫ではあるが、・・」といっておいて小さい不調はあるようです。いわゆるアトピー素因があって肌が弱いんだそうです。 私がよくいうところの「健康だけれど・・・でも(小さい不調があちこちある)」状態ですね。 私もその一歩手前だったわけですが。 さて。何故、患者に医療不信があるか。 そのことに私はびっくりです。医者がなぜ、そうまで薬を使わせたがるのか。 どうしてこんな溝ができるのだと思いますか?
薬というのは端的にいってしまえば毒物です。 危険物を使うとき慎重であるべきはずですね。通常の感覚はそうです。 毒物を扱う感覚を持ち合わせている患者とその感覚が麻痺しかかっている医者のギャップが、私たちを戸惑わせているんじゃないでしょうか。 つまり私たちの怒りというのは言ってしまえばこういうことです。 「人の体だと思ってあまりに軽く考えてるんじゃないか」(怒 こちらの痛みを理解していないと感じるとき。 これも医療不信の核となりますね。 薬というのは一つ二つくらい、またはたまに使う少量使うくらいなら便利なものだと思うんです。 体に余力があり、不調が小さくて許容範囲内である。たまにこじれて日常生活に支障をきたしたときには便利なものだといえると思います。 しかし肝臓といえども限界があります。いくらそれまで支障なく使えたものでもある日突然使えなくなります。 中年のオバちゃんのこういう訴えをよく聞きます。 これは外界の異物が処理できなくなってきた証拠です。 冒頭の医者にとっては自分では肝臓が処理できる段階しか知らないから、薬は便利なものという感覚でしかないんでしょう。 ここでもう、感覚は大きくすれ違ってきていますね。 人生の経験値が重なってくると、年配の身内や知人がさまざまな不調をあちこちに抱えているような話を聞くことが多くなります。 そして薬で解決つかないときには精神的な問題にされがちなことも。 こんな話がわが身に起こらないとどうして思えるでしょうか。 これをわがこととして聞けるかどうか。 人の痛みをわかろうとしない。病気を軽く見る。 そういう意識でいては 病人から学ぶ視点はまったく起こらないといえます。 そうした人からは、病人は離れます(そばにいると精神的にも苦痛だからですね。症状を説明したって無駄だ、と感じるからです) そういう人も、いざ何らかの病気や副作用を蒙ったりすると、びっくりして「誰もこんなだとは言ってくれなかった」といったりするんですよ。 薬害や闘病記は古今東西話、またはみのまわりにもゴロゴロあるんですよ。 糖尿病なんてまさにそれの典型じゃないでしょうか。 それも、うかうかと重度まで進んでしまう・・・ 結局「人の災難は軽く考えがち」なんですね。実は誰でもそうなんです。 だからこそ、病気や病人の話は身を入れて話を聞く。 それくらい意識的でいても、ききのがしがたくさんでるくらいです。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > 医療崩壊3掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。 すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。 |