04. 2009年12月08日 08:39:28 大空に雲は行き雲は流れり すべての人よさらば 後を頼む 往って参ります 人は一度は死するもの 微笑んで往きます 出撃の日も そして永遠に
イッテマイリマス イチノニホンエイコウアレ
私が高校生の時、祖父とフィリピンに行きました。
「神風特攻隊」をはじめ戦没者の慰霊祭に参加するためにです。 フィリピンの方々が日本国旗を振ってくれました。 東南アジアの国々から常に戦争の責任を追及されていると思い込んでいた私は驚きました。 神風特攻隊は戦後の日本では「戦争の悲劇」の代名詞としか語られていません。 しかしフィリピンでは捉え方がまったく違っていました。 式でフィリピンの方のスピーチです。 当時、白人は有色人種を見下していました。 これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。 神風特攻隊はそうした白人の横暴に対する力による最後の「抵抗」だったといえましょう。 そして、アジア内で唯一、抵抗してくれたのです。 かつて日本の統治を受けた台湾や韓国をみてください。 立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。 これは日本が統治下で施した「教育」の成果です。 ですが、あめりかの統治を受けたフィリピンでは、 自分たちでモノを作ることを学ばせてもらえなかった。 人々は鉛筆すら作ることができなかったのです。 アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした。 フィリピン人は日本で伝えられているような「反日」などではなく、むしろ親日的です。 フィリピンの人々は戦争に対しては日本人よりもリアリストです。 戦争があれば多少なりとも悲劇はあると、現実的な考え方をしています。 ですからフィリピンの人々は日本を攻めようなどとは思っていません。 フィリピンの国歌にも 「誉れ高い英雄達の生まれた国を崇めよ」 という一節があるくらいです。 欧米人のアジア観に多大な影響を与えた神風特攻隊は、フィリピンの人々に敬われ、そしてその勇気が賞賛されている。 日本人はこうした現実も認識する必要があります。 今、自由に発言できること、ご飯を食べられることを、感謝しましょう。 そして日本人が日本を好きになって欲しい。 じいちゃんは小さい肩を震わせて泣いていました。 私は一つ、真実を知ることが出来ました。 |