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http://hiroya.web.infoseek.co.jp/「文筆劇場 ジョン・スミスへの手紙 サイバー・ラボ・ノート」から下記を転載投稿します
=転載開始=
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (2823)
「青春の富士そば」あるいは不遇な青年の話
本日、久しぶりに富士そばの蕎麦を食べました。特選富士そばで\410です。懐かしい味でした。
【写真】特選富士そば。\410。
学生時代、僕はよく富士そばの蕎麦を食べていました。
僕にはあまりお金がなかった。だから何といっても安いのが魅力でした。そして蕎麦には栄養価があります。
毎週日曜日の午前、武術の稽古に行く前も、富士そばで「わかめそば」を食べてからいくのが定番でした。朝からたくさん食べると身体の動きが鈍くなる一方、何も食べないとお腹がすきます。
そんなとき、そばの「重み」が丁度よかった。
富士そばでは、「カツ丼」が\450で、これもよく食べました。ガッツリ食べたいとき向けのメニューです。格段においしいわけではありませんでしたが、「カツ丼を食べた」という気分に浸るには充分でした。
しかしそれ以上に富士そばで思い出すのは、掃除屋の仲間です。仮にSさんとしておきましょう。
Sさんは高田馬場在住で、僕の下宿先のすぐ近くに住んでいました。
そして、百貨店の掃除屋と富士そばの店員とビル清掃の3つのアルバイトを掛け持ちしていました。1日10時間を週5で働いて月収は約20万円。年齢は既に30を越していました。
色々なことが、もはや「手遅れ」になっていました。おそらくそれを一番わかっていたのはSさん本人でしょう。
Sさんはもともと一般企業に社員として就職していました。ある時、楽器店で働くことに魅力を感じて会社を辞め、アルバイトとして楽器店で働き始めます。
しかし、うまくいかなかった。成績が芳しくなく、楽器店に居づらくなり、店長からも退職勧奨を受けるようになります。
そして結局、Sさんは楽器店を辞めざるを得なくなり、3つのアルバイトを掛け持ちするフリーターに流れ着いた。今更、最初の会社を辞めたことを後悔しても遅かった。
Sさんは趣味というより、生きがいとしてギターを弾いていて、時々、ライブをしていました。僕も一度、高円寺のライブハウスに観にいったことがあります。まさに「魂の叫び」といった感じでした。
音楽のセンスに問題があったのか、演奏技術に問題があったかは定かではありませんが、残念ながらお客さんもあまりいませんでした。
Sさんは毎日、3つの掛け持ち仕事を終えてからオリジナルの作曲などをしていて、毎日睡眠時間は3時間くらいだったようです。掃除屋の作業中もよく「眠い」「つらい」とこぼしていました。いつも不機嫌な様子でした。
僕から見ても、Sさんは不遇でした。
「何がいけなかったのか」と言われても、正直、よくわかりません。強いて言うならば、小さな歯車の掛け違いが重なって、いつしか取り返しのつかないことになっていた。
そういうピットフォールに落ちてしまった。おそらくそれは、誰にでも起こりえることでしょう。
結局、Sさんは掃除屋を辞めて、富士そばのアルバイト一本で生計を立てることにしました。理由はわからない。色々と思うところがあったのでしょう。もしかしたら「社員に登用する」というような話があったのかもしれません。
そして今でも、高円寺のライブハウスに出演しているようです。
もちろん、Sさんが自分の人生に納得しているかどうかはわからない。それでも、ライフワークである音楽を続けて欲しいと思います。人間には何らかの「救い」が必要です。
「餃子の王将が旨い」とか「世の中にはiPodという音楽プレイヤーがある」いうことを、仕事の雑談中、Sさんに教えてもらいました。ある意味、僕も恩人です。
富士そばの店舗の前を通ると、不意にそんな記憶が蘇ります。
(以上、1400字)
=転載終了=
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