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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu229.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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就職難の根本的な原因は、必要のない教育を受けてプライドだけ高く
なった大学生が多すぎることなのです。大学教育は社会的な浪費である
2010年12月8日 水曜日
◆日本の読解力回復8位、科学5位数学9位 国際学力調査 12月8日 朝日新聞
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201012070357.html
経済協力開発機構(OECD)は7日、各国の15歳を対象に2009年に実施した国際的な学習到達度調査「PISA(ピザ)」の結果を公表した。4回目の今回は過去最高の65カ国・地域が参加。「読解力」では、日本は前回06年の15位から、最も順位が高かった00年と同じ8位に回復した。「科学的リテラシー(応用力)」は5位(前回6位)、「数学的リテラシー」は9位(同10位)。低落が続いていた日本の順位が初めて上昇に転じた。
00年に始まったPISAは3年ごとに実施され、毎回3分野のうち1分野を重点的に調べる。今回は一巡して読解力が重点項目となった。
文部科学省は03年調査での順位急落(PISAショック)を受け、ここ数年、「読解力向上プログラム」の策定(05年)、PISAと類似問題を出す「全国学力調査」の開始(07年)などの政策を打ち出してきた。高木義明文科相は同日談話を発表し、一連の政策と学校での取り組みが読解力の順位上昇に効果を上げたとの認識を示した。
PISAの「読解力」は、様々な文章や資料などから情報を読み取ったり、自分の考えを論理立てて記述したりする力を測る問題が出る。
日本は06年の前回調査まで、上位層の割合が減る一方で下位層が増える傾向にあった。だが、今回は上位層が13.4%と前回(9.4%)より厚くなるとともに下位層も4.7%と前回(6.7%)より減り、成績の「下方シフト」が止まった。
調査では読書体験などを聞くアンケートも実施。「楽しみで読書をする」生徒の割合は00年から10ポイント増えて56%だったが、それでも00年からの調査参加国の中ではかなり下位の水準だった。
一方、科学、数学は順位こそ上がったが、統計的には前回と差はなく、横ばいとの位置づけだ。文科省は「順位の落ち込みが激しかった読解力の対策が先に進んだため」と分析。09年度から先行実施されている小中学校の新学習指導要領で理科と算数・数学の学ぶ内容や授業時間が増えており、その効果が測れるのは次回以降としている。
各国の状況をみると、上位にはアジアの国・地域が並んだ。国全体ではなく一都市として参加できる制度を利用して初参加した中国の上海が、3分野とも2位以下を大きく引き離してトップに立った。
同じく初参加のシンガポールも3分野で2〜5位と好成績だった。
3分野とも、上位5位に入ったのはフィンランドを除くとすべてアジア勢だった。特に数学的リテラシーは、上位5位に上海、シンガポール、香港、韓国、台湾が入り、3分野を通じて初めて上位5位までをアジア勢が独占した。
この5カ国・地域と比べると、日本は読解力と科学的リテラシーで成績最下位層が最も厚く、数学的リテラシーでは最上位層が最も薄い。(青池学)
◆大学生が多すぎる 12月6日 池田信夫
http://agora-web.jp/archives/1139854.html
今週のお題は「就職」。身近で切実な問題なので、たくさん投稿が来ていますが、私はあえて問題提起として、常識とは逆の話をしたいと思います。
大卒の就職内定率が6割を切った原因は、求人倍率が低いからではありません。リクルートワークス研究所の調査によれば、2011年大卒の求人倍率は1.28で、前年より減ったものの、依然として需要超過です。この調査が始まった1987年以降で倍率が1以下になったのは、2000年だけです。ではなぜ4割の学生が就職できないのでしょうか?
それは彼らが選り好みしているからです。規模別にみると、図のように従業員5000人以上の大企業は0.47倍なのに300人未満の中小企業は4.41倍で、新卒に関する限り問題は絶対的な求人不足ではなく、需給のミスマッチです。中小企業(特に流通・外食)は慢性的に人手不足ですが、大学生は行きたがらない。それは、彼らが大学に進学したのは大企業のホワイトカラーになるためだからです。
しかしJBpressで紹介したように、1985年から2010年までの25年間に、学生数は56%も増えました。90年代に「就職氷河期」と言われた時期から大学生が50万人以上増えているのだから、供給過剰になるのは当然です。大卒=大企業ホワイトカラーという図式はとっくに崩れ、昔でいえば高卒の職種しかないのに、それをいやがるから就職できないのです。
そもそも大学は、企業にとって役立っているのでしょうか? 学歴と賃金に強い相関があることはよく知られていますが、これには二つの考え方がありえます。大学教育によって形成される人的資本の価値が賃金に反映しているという説明と、学歴が能力のシグナルになっているからという説明です。
Pritchettが世界銀行で行なった数十ヶ国の実証研究によると、1960年以降の経済成長に教育のもたらした効果は、統計的に有意ではありません。特に大学教育は、人的資本形成にはほとんど寄与していない。つまり大学はシグナリングの装置であり、大学進学は私的には収益率が高いが社会的には浪費である、とPritchettは示唆しています。
もちろん大学教育にはそれ自体の価値もあり、研究者の養成や一般教養なども重要ですが、そういう教育の必要な学生は多めに見積もっても全体の1割程度でしょう。知識産業が重要性を増していることは事実ですが、現在の大学教育はまったくその要請を満たしていない。
要するに就職難の根本的な原因は、必要のない教育を受けてプライドだけ高くなった大学生が多すぎることなのです。少なくとも経済成長という観点からは、大学教育は社会的な浪費であり、公的助成の対象にすべきではありません。今後は、専門学校のような実務教育に重点を移すべきでしょう。
(私のコメント)
日本経済の低迷と学生の学力低下とは深い関係があるのだろう。経済成長が著しい上海や香港や台湾や韓国などが上位を占めているのに対して、日本は低位の水準に落ち込んでいる。学生は15歳が対象ですが大学卒業レベルは同じような結果だろう。そして分数の計算も出来ないような大学生が大量生産されて就職試験を受けますが、会社側としても名前だけの大学生を採用する訳には行かないだろう。
池田信夫氏が書いているように、求人倍率が低いからではなく大学生たちが就職先を選り好みしているから就職内定率が低くなる。中小企業などでは相変わらず人手不足であり就職先さえ選ばなければ就職難ではない。大学生たちはなぜ就職先を選り好みするのだろうか? 大学を出れば一流企業に就職できると思い込んでいるからだろう。しかし一流企業は採用人員が限られる。
運よく採用されたとしても学力が伴っていないから業務に適応できずに、多くが3年足らずで退職して行くことが多くなってきたようだ。何しろ分数の掛け算も出来ないような学力レベルだから会社の通常業務も出来ないことは十分ありうる事だ。最近のように景気が低迷している時は無理に採用しなくてもいいから採用人員を絞ってレベルを確保する。その結果新卒大学生の採用率が低下する。
大学に行った経験のある人ならだれでも感ずる事でしょうが、ほとんどの大学生は勉強がしたくて大学に入ったわけではなく、卒業証書と就職のために大学に来ている。大学に入学してもまともに学校に来るのは連休ぐらいまでであり、5月の連休が終わると教室がガラガラになる。広い教室の中はパラパラッとしか学生はおらず、出席を取ると学生たちはいなくなる。
勉強してもしなくても大学を卒業できるのだから大学生は遊んでしまう。試験なども友達のノートを借りてコピーすれば試験は間に合ってしまう。しかしそんな事をして卒業しても何も身についていないから大学は時間の無駄使いでしかない。だから大学三年早々から就活を始めると言う事自体が馬鹿馬鹿しい事なのですが、これでは大学に行った意味がないことが分からないのだろうか?
私自身は大卒の資格などは当てにせず、運転免許やら教員免許などの国家資格試験などで就職に生かそうと思っていた。だから就職できなかったとしても司法試験や公認会計士などの資格などを取ったり英語検定を取ったりすればいいだけの話だ。しかし就職が決まらないと騒いでいる学生に限って何の資格も取ってはいないようだ。遊んでいたからだろう。
要するに大学の卒業証書など昔も今も就職には何の役にもたたない訳であり、国際化した現代なら英語検定一級やTOEICは900点ぐらいとれば差別化出来るし、上級公務員試験を取っておけば就職できないと騒ぐ必要は無いはずだ。就職できないと騒いでいる大学生の多くが二流三流のランクの大学生であり、大学生としての学力に疑問が持たれている学生たちだ。
国際学力調査等の記事を見ても、日本の学生の学力が年々低下傾向にあり、それが国際競争力にも影響がでてきている事は想像ができる。「ゆとり教育」を推進した文部省の責任は大きなものがありますが、官僚たちも能力が低下してきて政治を良い方向にサポートが出来なくなっている。特にエリート中のエリートの経済官僚の能力低下が著しい。
問題の本質は学力レベルにあるのではなく、なぜ大学に行くのかと言う動機が間違っているのではないかと言う事だ。内田樹氏はその点で次のように言っていますが、勉強する事が苦役な事なのだろうか? 私からすれば勉強ほど楽しい事は無く本を読むことが大好きだ。しかし今の学生は半分近くが本を全く読まない。
◆費用対効果教育 2008年11月16日 内田樹
http://blog.tatsuru.com/2008/11/16_0928.php
現に、超難関校といわれる大学を出た若者と話していて、あまりにものを知らないので、びっくりすることがよくある。
教養がないというレベルにとどまらず、専門課程で学んだはずの知識さえおぼつかない。
どうして、そんなにものを知らないのかと訊ねると、破顔一笑して、「いやあ、大学では全然勉強しなかったですから」と誇らしげな様子をする。
どうして、勉強しなかったことをこれほど自慢するかというと、それでも超一流校の学位記を獲得した自分のふるまいが「クレバー」だと思っているからである。
だって、わずかな苦役で大きな報酬を手に入れたわけだからである。
「ぜんぜん勉強しないで東大出ちゃいました」というのは、キーボードをちゃかちゃか叩いただけで1分間で数億円稼いだとか、1000円でベンツを買ったとか、それに類する「スーパー・クレバーな商品取引」なのである。
消費者マインドに立てばそういうことになる。
「学校なんかぜんぜん行ってねっすよ」「教科書なんか開いたことない」「試験なんか、ぜんぶ一夜漬けで、あとカンニング」というような言葉が「ほとんど誇らしげ」に口にされるのは学校教育で競われているのが「何を学んだか」ではなく「いかに効率よく競争に勝つか」だと彼ら自身が信じているからである。
日本の高校生の50%以上が自宅学習時間ゼロである。
ほかに用事があるから自宅学習をしないのではないと私は思っている。
いかに少ない自宅学習時間で進級し、卒業し、あわよくば有名大学に入学し、学士号を手に入れるか、それが彼らの「知的価値」の賭け金である以上、「どうやってできるだけ勉強しないですませるか」ということが喫緊の課題となる。
日本の子どもたちは日々死力を尽くして「勉強しないで競争に勝つ」ための工夫を凝らしている。そこにある限りの知的リソースを投じている。
その前提には、「勉強をしないで競争に勝つ人間がいちばん賢い」という価値観が同学齢で共有されているということがある(もし、うっかり「勉強って楽しい」とにこにこ勉強する子どもがいたりすると、大変なことになる)。
そのための子どもたち内部での「勉強するなイデオロギー」の宣布運動の熾烈さはいかなる宗教の勧誘も及ばない。
子どもたちが級友たちの勉強を組織的に妨害し、そのことを自分の「得点」に数え、それが「賢いふるまい」として賞賛される・・・というループの中で、日本の子どもたちの学力は構造的に低下している。
さて、どこから手をつけていいのか、私にもわからない。
いま政界では解散時期と定額給付金の「費用対効果」について政治家たちが狂躁的な論議を繰り広げている。
どのような政策についても、どうすることがもっとも「費用対効果がよいか」(今の場合は「票になるか」)という計算に夢中になっている政治家たちの脳裏に「費用対効果だけで教育を考えてはいけない」という発想が去来する可能性はゼロである。
そのような政治家や官僚たちが立案するものである限り、その教育施策が日本の子どもたちに「勉強することそのもの」の楽しさに気づかせることになるということは原理的にありえないのである。
(私のコメント)
このような状況では大学の進学率がいくら高くなっても学力は向上しておらず、国力の低下と大学進学率の高さには関係がないようだ。問題は学力の中身であり、学習する事の基本が出来ていれば大学を卒業しても能力の向上が進んでいって社会に貢献するだろう。逆にいくら超一流校を出ても全く勉強しなくなってしまえば能力は劣化する一方だ。
老子20章に「学を絶てば憂いなし」と言う言葉がありますが、私流に解釈すれば、学問を苦役としてとらえる事は意味がないと言うことでしょう。しかし今の秀才たちは老子の事など知らない人が多い。大学の入試には老子は絶対に出て来ない。就職の為の大学入学など意味がないと言う意味なのでしょう。
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