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弱者を支えるような社会を作りたい。
そのような社会を作る為に行動したい。
これは具体的な社会のイメージであり抽象的な社会一般に対して貢献しようという事ではない。
順番はこうあるべきでありケネディのように「国が自分に何をしてくれるかを考えるよりも自分が国に対して何ができるか考えよう。」というのは抽象的である。
自分の為に国が何をしてくれるのか?と考えるのはおねだりのようで美しくない。
しかし、弱者の為に働く社会であって欲しいと願う事はいい事だ。
現に弱者である人が「私の為に社会は何をしてくれるのか?」と問うのは美しくない。
しかし、弱者ではない人が「弱者の為の社会を作ろう!」と呼び掛ける事はイイ事だ。
しかし、これは偽善と呼ばれる事が多い。
自分自身は安泰だから幸福のおすそ分けをするつもりか?などとやっかみ半分に偽善者のレッテルを貼られるのだ。
しかし、考えてもみよ自分の命を維持する事に汲々としている人に何ができる?
できるのは暴動ぐらいだが暴動の結果何が生まれるのかは不明なのである。
社会を変えるのはやはりある程度の余裕を持ってかつ良心的な人々なのだ。
偽善者というレッテルは社会改革の最後の希望を打ち砕く為に作られたレッテルなのではないか?
かくして社会は現在のような体たらくなのである。
う〜ん。またしてもタイトルから内容がズレてしまったのかな?
弱者を支える事は具体的で意義ある行為だが抽象的に社会一般を支えるというのはブラクホールにエネルギーを吸い取られるようなものだと言いたかったのだが。
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