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ものに名をつけるという行為は自分にとってそれが何であるかを表すものである。
名付け親側の恣意的な判断がそのネーミングには込められている。
だから名は名付けられたものよりも名付けたものの意識を多く表現しているのである。
神という名は絶対的な存在として考えているという事をもっぱら表しているのであり神が存在するか否かよりも「自分は絶対的な存在を信じる」という思想の方が重要なのだ。
このようにして言葉によって人間は現実の存在から遊離した幻想を真実だと錯覚する傾向を持っている。
国や民族や宗教は名付けられたものである。
生身の人間がこれらの幻想の体系に支配されている。
自分は取るに足りぬ人間であり国や民族や宗教に奉仕してこそ価値ある人間になるという考え方がある。
国や民族や宗教を通じて人間をコントロールしているのである。
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