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このたたずまいを見てまさか廃村集落(消滅集落)に建っている家とは誰も思うまい。と言うわけで久しぶりの「廃村集落を訪ねる」シリーズである。
実はこの家は、人がつい最近住まなくなった、つまりは廃村になったばかりの集落に建っている。
この家の表側はこんな風になっている。石垣には「若州学生村」の看板が…。
私がこの集落のことを知ったのは神戸新聞のこの記事を読んだからだ。
消滅集落に「学生村」開設 佐用町で関学大生ら
拠点を開設した同町若州地区は、同町北部に位置する岡山県境の山村。かつては70人ほどが暮らしていたが、3年前に住民がゼロに。学生たちは町職員所有の民家を改修し、準備を進めてきた。月1回程度、週末をここで過ごし、高齢者宅への訪問や交流行事の企画、田畑の整備などに取り組む。過疎地域ににぎわいを取り戻すことで復興にもつなげたいという。 開村式で、同協議会代表の関学大4年谷口善一さん(22)=尼崎市=が「地域の活性化に少しでも貢献したい」とあいさつ。集落を離れていた人たちも集まり、久しぶりに笑顔が戻った。50年近く前まで住んでいたという女性(83)=岡山県美作市=は「故郷に活気が戻ってうれしい」と喜んでいた。 (2010/05/29 16:28) |
若州の位置はこちら ⇒
(佐用町の廃村に若者の活力 学生ら慰問や農作業―朝日新聞から)
若洲を訪ねたのは10月17日(日)のこと。9時半頃にオートバイで出発、宍粟市山崎町から佐用町に入り、旧南光町の上三河から平福に至る県道を走り、国道373号線を北上して上石井の交差点を右折。渓流沿いに岡山県美作市を経て国道429号に抜ける県道を走る。するとしばらくして若州に向かう分岐点に出る。分岐点を左折するとやがて若州集落が見えてくる。
集落に入ると、廃村状態になって日が浅いので、とても廃村とは思えない生活臭がたちまちそこここからただよってくる。オートバイを空き家のガレージに停めて「学生村」に行く。学生たちが前日から泊まっていて布団が干してあった。簡単にあいさつしてから、昼時なので弁当を開くことにした。
食事後1時間ほど集落内を散策した。確かに朽ちかけの家もあるが、集落の入り口あたりにある2軒と「若水荘」と玄関に表示がある家などは洋風で山間の集落には珍しい造り、都会にあっても何の違和感もない。便所の浄化槽が働いているらしい音も聞こえてくる。おそらく持主が時折戻って来るのだろう。
「コンニチハ」と表から声をかけると犬がワンワン吠えて家の中から「ハーイ」と返事が聞こえてきそうである。
この家は畑の手入れもよくされている。そう遠くないところに転居して通い耕作でもしているのだろうか?院号つき戒名の墓石が並ぶ墓地が敷地内にある。
集落の中心付近から北を向いてシャッターを切った。 ⇒
集会所から会合が終わって今にも人がぞろぞろ出てきそう。ゴミステーションも掃除が行き届いている。
北へ歩いていく途中、何軒あるか数えてみた。数え間違えているかも知れないが17軒あった。はずれに村の鎮守さんがあって絵馬が掛かっていた。棚田は耕作が放棄されてから何年も経たないが、綿毛のついた雑草に覆われて見る影もなく荒れていた。森林が降りてくるのもそう遠くないだろう。林道はよく整備されて歩きやすかった。渓流沿いに一軒、コテージがあった。ベンチやブランコがあって家族連れで都会からやって来て利用しているのだろう。
また集落に降りていくと学生たちが生活用品を自動車に積んでいた。「帰るの?」と尋ねると「ハイ」と返事した。
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