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まずの初頭がだらだら書いてあるために簡単に要約した上で、本文を記載します。
作家の山本一力という人がジョン万次郎の取材にアメリカに行ったおり、ジョン万次郎遺品常設展があるミリセント図書館に行ってそこのサイン帳を見た時に今上天皇陛下の御名前と小沢一郎の名前があったことに対して言及している文章です。
以下本文
卑しき正体みたり
ジョン万次郎(米国ではジョン・マン)が土佐・足摺岬で嵐に遭遇したのは、天保十二年(千八四一)年。
万次郎十四歳の一月である。
櫓も帆柱も、蛇までも失った漁船は漁師五人とともに、黒潮に乗って鳥島まで流された。
同時期、米国では捕鯨が大隆盛だった。が、食用ではなく、鯨油採取が目的の捕鯨だ。一八五九年にぺシルバニア州で石油が発見されるまでは、鯨油が灯火や燃料、産業油の主役。産業発展と人口激増を続けていた米国では、鯨油が社会生活を支えていたも同然だった。
捕鯨最盛期の一八四〇年代は、七百隻超の捕鯨船がいたという。これらの船が米国東海岸(大西洋)のクジラを獲り尽くした。その後南米最南端から太平洋に入り、鎖国中の日本近海にまで足を伸ばしていた。
鳥島の万次郎たち五人を救助したのもニューヘットフォードを母港とする捕鯨船で、船名はジョン・ハウランド号。ホイットフィールド船長が率いていた。
救助された五人のうち、万次郎以外の四人はハワイ(オアフ島)で下船。万次郎ひとりが航海を続け、二年後の天保一四(一八四三)年五月にニューヘッドフォードに上陸。十六歳だった。万次郎はハウランド号母港の対岸、フェアヘブンの船長宅でアメリカ生活を始めた。
本年六月下旬、ジョン・マンの足跡を追ってフェアヘブンを訪れた。
「万次郎は言葉も通じない捕鯨船でまだ十四歳だったのにひとりで働いたじつに勇敢な男です」
「船長から受けた恩を忘れず、後年、幕府使節団の一員となったときには、ボストンからこの町まで足を伸ばしてきた」
万次郎がこの町で示した生き方に感銘を受けた米国人が、今ボランティアで「万次郎トレイル」のガイドを務めておられた。万次郎ゆかりの地を訪れている日本人観光客も、もちろん少なからずいる。
が、トレイル参加の多くは米国人だ。
米国人が米国人に向かって、万次郎が残した足跡を称えている・・・身体の芯から熱き思いが込み上げてきた。
ジョン・マンの足跡をめぐる万次郎トレイルの中に、ミリセント図書館がある。フェアヘブンの労働者階級に生まれ、のちに幾つもの事業を成功させて大富豪となったヘンリー・H・ロジャースが郷里に寄贈をした施設の一つである。
ロジャーズの愛娘、ミリセント・ロジャーズは十七歳の若さで世を去った。存命ならば二十歳を迎えたはずの誕生日一八九三年1月三十日に、図書館が開館した。
米の文豪マーク・トゥエインとロジャーズは知己の間柄だった。図書館開館翌年の一八九四年には、これもロジャーズが寄贈したタウンホールがオープンした。マーク・トゥエインはその開館行事で記念講演を行い、ミリセント図書館に立ち寄ってサイン帳にも記帳した。
今回の訪問で、図書館館長にサイン帳を見せていただいた。
百科事典を二回りも大きくしたようなサイン帳には、日米著名人が美しい手書き文字で記帳をされていた。
白眉は今上天皇・皇后陛下の御記帳である。
両陛下のご署名のあとには、随員とおぼしき方々の名が連なっていた。
その後に図書館を訪れた一般人は恐れ多いと感じたのだろう。当該ページの半分は空欄のままとなっていた。
「じつはもうひとり、います」と館長
自由民主党幹事長 小沢一郎
ページのど真ん中にこの名があった。
「天皇陛下でも半ページなのに・・・」
案内してくれたハーバード大学日本文学教授は、苦々しげにつぶやかれた。
マーク・トゥエインも署名したことを、あの政治家は聞かされたに違いない。
たとえ聞かされてはいなくても、由緒ある帳をひとりで一ページも占有し、あろうことか肩書まで書くとは!
今上天皇と皇后陛下の品格ある御記帳は、他を気遣われるかのごとく、慎ましやかに残されておられた。
生前のロジャースは、万次郎の生き方を高く評価していたという。図書館のロジャース・ルームに万次郎ゆかりの品々を展示を許したのは、ジョン・マンに対する深き尊敬の念のあらわれであろう。
いまもミリセント図書館のこの部屋は、万次郎遺品の常設展示室である。
かくも伝統と隠しいのある図書館のサイン帳の、一ページを占有した男よ、万次郎に詫びよ。
以上本文終了
まあ、山本一力氏は小沢一郎がミリセント図書館のサイン帳にまるまる一ページ使って書いており天皇陛下より謙虚さがなくジョン万次郎に敬意もないと非難したいのでしょう。
しかし、投稿者がそんなことはそのこととは別の点に注目してこの記事を投稿しました。
そこのところのご理解を頂けたらありがたく存じます。
この文に注目したのは小沢一郎氏がジョン万次郎協会などを設立している人間であるということです。このジョン万次郎協会は平岩外四(故人)という財界人でこれもフリーメーソンの疑惑を言われている人と小沢氏は作っていたと思われます。
小沢氏もフリーメーソンなのでは?という疑惑も一部で言われております。
小沢氏が自民党幹事長であった時はまさに日本はバブル時代。何がしかの寄付などをこの図書館にしたのではないでしょうか?(これも投稿者の全くの推測なのですが)
ジョン万次郎にはフリーメーソンの疑いが一部で言われています。ひょっとすると万次郎を助けた船長などのコネからフリーメーソンになった可能性があります。一人だけアメリカ大陸に連れて行かれたのは若いだけでなく、聡明ということもあったのかもしれません。
北朝鮮に10代で拉致された漁船乗組員の方(名前を忘れました)みたいですね。
これも全くの推測ですが、ミリセント図書館を作ったロジャーズは労働者階級から富豪になっています。一代で富豪になるには実力もあったでしょうが、メーソンに入る方法はアメリカでは手っ取り早かったでしょう。初代大統領のワシントンからフリーメーソンなのですから。
山本一力氏の文章からロジャーズとジョン万次郎とのつながりが直接あったのかどうか定かではありませんが、通常、大体白人が劣等と考えている有色人種をこの時代に尊敬して遺品を常設展示するなぞ考え付かないでしょう。
井上是清なぞ最初渡米した時は召使として売られたそうですから。
これはメーソン人脈なのではないでしょうか?
まるまる一ページをしようしてサイン帳に記帳したという小沢一郎氏に対して確かに傲慢さを感じることは無きにしもあらずですが、メーソンリーであり万次郎協会設立している人物であるということを示すためにまるまる一ページを使い記帳してそれが容認されているのではないでしょうか。
山本氏の表現からみると、ハーバード大学の教授は小沢氏がお気に召さなかったようでありますが、もし、この教授が小沢氏に不快感があったとしたら、山本氏とは別の意味でのある勢力からの圧力に対して不快感があったのかもしれません。
時間があったら以上の推測を調べてみたいと思います。
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