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私は学生時代に禅宗に興味を持った時期が有る。
そして解説書などを数冊読んでみた。当時はそれだけで
分かった気分に浸っていたようだから、若いというのは恐ろしい。
今から思うと恥ずかしい限り。
当時、たまたま禅の坊さんの講演会を聞く機会があり、誘ってくれた人も
「このお坊さんの話を聞いた人はみんな感激するんだよ」と言うようなこと
だったと思う。
このお坊さんのお父さんは有名な禅僧で書店の仏教書のコーナー
では必ず名前を見る人のようだ。
さてさて、話の内容はどうかというと自身の修行時代の話だったが
話術は巧みで、話は面白可笑しく場内は爆笑の渦だった。
しかし、爆笑の渦の中で私の心は妙に冷めていたな。
こんな話を聞くために来たのではない、という思いがあったのだろう。
講演が終わって
「良かったわね〜」「感激した〜」と絶賛の嵐の中
「そんなに面白かった? つまらないと思うけどな」と私。
「・・・・・・」
今も馬鹿だが当時はもっと馬鹿だった。(笑)
ただ、お陰様で今は少し悟りを開いた。
こういう時には黙っているに限る。(笑)
話の内容は期待したほどでもなかったが、この禅僧に
感謝していることがある。それは次の詩を紹介してくれたことだ。
【海の鐘 デーメル(森鴎外訳)】
漁師が賢い倅を二人持っていた。
それに歌を歌って聞かせた。
「海に漂っている不思議な鐘がある。
その鐘の音を聞くのが
素直な心にはひどく嬉しい。」
一人の倅が今一人の倅に言った。
「お父っさんはそろそろ子供に帰る。
あんな馬鹿な歌をいつまでも歌っているのは何事だ。
己は舟で随分度々暴風の音を聞いた。
だがつひぞ不思議な鐘は聞かぬ。」
今一人が言った。「己達はまだ若い。
お父っさんの歌は深い記念から出ている。
大きい海を底まで知るには
沢山航海をしなくてはならぬと思ふ。
そしたらその鐘の音が聞こえるかも知れぬ。」
そのうち親父が死んだので、
二人は明るい褐色の髪をして海へ漕ぎ出した。
さて白髪になった二人が
或る晩港で落ち合って、
不思議な鐘のことを思い出した。
一人は老い込んで、不機嫌にかう言った。
「己は海も海の力も知っている。
己は体を台なしにするまで海で働いた。
随分儲けたことはあるが、
鐘の鳴るのは聞かなんだ。」
今一人はかう言って、若やかに微笑んだ。
「己は記念の外には儲けなんだ。
海に漂っている不思議な鐘がある。
その鐘の音を聞くのが
素直な心にはひどく嬉しい。」
これは誰でも知っている様な有名な詩なのだろうか。
私は詩的センスが皆無だし興味もなかったので全く知らなかった。
ただこの詩が甚く気に入り、センスが無いにもかかわらず感激の余り当時
ドイツ詩集を買う愚まで犯してしまった。(笑)
私はメモが苦手でほとんどメモを取らない。
そんな私がこの詩をノートに書いてあるところを見ると
よっぽど気に入ったのだろう。
ついでに
次の詩は非常に有名で大抵の人が知っているのではないだろうか
【青春 サムエル・ウルマン】
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二〇歳の青年よりも六〇歳の人に青春がある。
年を重ねただけでだけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥になる。
六〇歳であろうと一六歳であろうと、人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から、美しさ・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歎の氷にとざされるとき、
二〇歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
八〇歳であろうと人は青春にして已(や)む。
私がこの詩を知ったのは記憶が定かでないが、近所に詩歌をよくするお婆ちゃんがいて
米寿の祝いに子供たちが自伝的詩歌集を自費出版してあげた本の中に、
この詩を入れていたからではなかったかな。
瑞々しい感性のお婆ちゃんとこの詩が妙に重なって記憶に残っているのだと思う。
ところでこれらの詩を読んでどちらを好むかと問われれば
今の日本人は【青春】の方を好むのではないだろうか。
日本に於ける、若さと青春に対する無条件の肯定
政治では「若さと行動力です 一票よろしく」
女の人は「アンチエイジ〜ング 恋は年齢なんて関係ないのよ」
高齢者は「いつまでも若々しく こんな事までできるんだよ」
後期高齢者「子供たちの世話にはなりません オムツはどこだい?」
最後期高齢者「ファシハマダマダファカイ、マダマダシニャン」
こんな感じかな。
今の日本をおかしくしている原因の一つはこの若さに対する偏愛みたい
なのがあるのではないかと私は思ったりしている。
若くエネルギッシュであることが今の日本では評価されるのだろうが
枯れた深みがその対立軸として作用していないのではないだろうか
枯れた深みの存在であるべき大人が、若さ信仰に染まってしまっているのが
今の日本の大きな問題ではないか。
陳腐な問題提起だが、智慧と知識のバランスの悪さが今の日本の病弊の
一つではないかな。コメント欄に投稿している人には智慧を発揮する世代の人
がかなりいるようだけど、どんどん本文を投稿して欲しいな。
私たちに智慧を貨してください。
私自身はいつまでも「青春を保つ」よりは何時の日にか素直な心で
「海の鐘の音」を聞いてみたいと思っているのだが。
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