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実践的立場からの環境問題のあるべき捉え方を考える――温暖化CO2主因説の失墜→資源・エネルギー問題→サステイナビリティの概念構築へ。
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■ はじめに
世間では、資源・エネルギーの調達リスクや調達コストは、金融危機を挿んで大きな変動があったものの、今後も(いくらかの変動は予想されるものの)継続して上昇し続けるリスクを懸念する声が強いように思う。経済の大きな流れをみるならば、貨幣が価値基準を失い、信頼を損ねている歴史的な時期でもあり、実物・資源が投資・投機対象にならざるを得なくなっている、ということも原因の一つであろう。
(以下、ロイター、2010/5/14より引用)
米著名投資家のジム・ロジャーズ氏は・・・「原油は、需要を上回るペースで供給が縮小している。原油の既知量は減少が続いており、この傾向が続く限り、原油価格は非常に大きく上昇する」と述べた。・・・同氏は、供給に限りのある天然資源が投資先として有望だと主張。「金が今後2─3年で大幅に上昇することは間違いない。紙のお金は価値が下がり、実物資産の価値が上がるだろう」と述べた。
(以下、ロイター、2010/5/18より引用)
原油・資源価格が再び上昇し、国内企業物価に上昇圧力を加える中で、企業からは「以前のように投資マネーが商品先物に回り、特に原油価格など原材料が実態を反映しなくなることが心配」(化学)との声や、「金融ものではなかった銅相場が、実需・在庫と無関係に動くと痛手は大きい」(電機)、「投機資金が非鉄に向い相場が上昇するか、逆に非鉄から離れ下落するかが気になる」(化学)といった声が相次いだ。
(引用おわり)
これまで、「石油の一滴は血の一滴」とも呼ばれ、ABCD包囲網の圧力からの太平洋戦争(大東亜戦争)、中東戦争によるオイル・ショック(石油危機)などを経験してきたことを示すまでもなく、日本国にとってこれ(資源戦略とエネルギー・セキュリティ戦略)が重要な問題であるということは言うまでも無い。
現在における、資源・エネルギーの調達リスクや調達コストのファンダメンタルズ的(基礎的)な(長期の)上昇要因としては、大きなものとして以下の2つが挙げられるだろう。
一つは中国等の経済成長(需要拡大)によって激しさを増す資源獲得(経済)戦争であり、もう一つは環境規制である。これらは密接に関係しているが、今は一応別のものとして考察を加えていきたいと思う。
ところで、かつてはファンダメンタルズ(需給)がしっかりと価格を形成していたとも言えるが、現在はそうではなく、「投機」が決定的になっている。この「投機」は3重の「増幅効果」機能を持っている。本論に入る前にこの点について整理・確認をしておく必要があるように思う。
■ 「投機」による3重の「増幅効果」機能
ファンダメンタルズ(需給)は価格形成の「基礎」的な情報だが、投機によって大きな「増幅効果」を生み出す。2008年に石油価格が暴騰していた時期、ファンダメンタルズ(需給)要素とプレミアム(?)(投機)要素の価格への貢献度は大体半々であったとも言われている。
しかし、問題の構造はこれだけに留まることはなく、原油の価格形成メカニズムは、NYMEXのWTI先物価格が原油価格を牽引するという構造を持っており、投機マネーはこの(米国)市場に戦力を集中することで、世界の原油価格をリードすることが可能になっていた。これが2つ目の「増幅効果」である。
最後に、原油価格形成メカニズムにおけるコモディティ・インデックスなどのデリバティブの存在に言及すべきだろう。これは(外部からは見えないように)石油の投資(投機)ウェイトを操作することで石油へのマネー流入を加速することができる。排出枠がここに組み込まれれば、コモディティとの連動が強められ、さらに増幅されると見ることができる。これが3つめの「増幅効果」となる。
サブプライムローン問題は、モーゲージ証券(RMBS)のデリバティブが、これでもかというレベルで畳み重ねられるかのように形成された構造(CDO, CDO squared, CDO cubed, CDS, synthetic CDO, SIV, ABCP, CDX index, iTraxx index)を持っており、これが問題を深刻化させた原因の一つとされていたことは記憶に新しい。
こうしたデリバティブ形成プロセスの中で投資対象の実体性を失わせることで、金融“ゲーム”が可能になる。本当かどうか分からないが、イスラエルでは無人戦闘機のパイロットにゲーマーを採用しているという噂があるが、殺人を犯すということの実体性を失わせることで、戦争(実体的)がゲーム(仮想的)になるという一例であろう。
したがって、こうしたメカニズム(ファンダメンタルズ×増幅効果×増幅効果×増幅効果)によって、原油価格は異常に跳ね上がる可能性(動態)を内包することになる。これは原油だけでなく、あらゆる資源・エネルギーについても言えることであろう。
■ ファンダメンタルズとしての環境規制
さて、こうして投機が価格形成構造上、非常に大きなウェイトを占めていることはわかったが、だからと言って、これがファンダメンタルズ(需給実態)の重要性を貶めるものではないことには注意しなければならない。(ファンダメンタルズが動かなければゲームが始まらない。)
従って、ふたたび、資源・エネルギーの調達リスクやコストのファンダメンタルズ的な上昇要因に目を向けたいと思う。大きなものとしては以下の2つが挙げられるだろう。一つは中国等の経済成長(需要拡大)によって激しさを増す資源獲得(経済)戦争であり、もう一つは環境規制である。
後者については、グローバルのレベルで基準が出来上がりつつある排出量取引や炭素税によるコスト負担が、資源・エネルギー産業の利益を圧迫し、価格上昇圧力としての重大なファンダメンタルズ(?)を形成するだろうと考えられる点である。
こうした産業別のコスト分析はすでに研究機関等によって行われており、環境規制の(ファンダメンタルズ・レベルの)正確なコスト・インパクトを投資家が判断していくことも可能だろう。かつては、オイル・ピーク(ピーク・オイル)論が価格上昇の一因を担っていたようであるが、今後はこうした環境規制というものがその役割を引き継いでいくのかも知れない。
■ ファンダメンタルズとしての資源獲得(経済)戦争
普通は、資源獲得(経済)戦争は、価格形成構造上のファンダメンタルズ(需給実態)ではなく、プレミアム(リスク)として分類・分析されている。しかし、価格形成構造をファンダメンタルズ(需給実態)と(金融ゲームとしての)投機の2つで考えた場合、資源獲得(経済)戦争によるリスクは前者の特性に近いものとして捉えることもできるだろう。投機は「リスク・ヘッジ」の技術だと言われれば、聞こえは良いし、なるほどと思うが、どうも実態は(先に述べたように)そうではない(金融ゲームの手段となっている)ことが分かってきているからである。
さて、この資源獲得(経済)戦争においては、経済膨張の激しい中国の存在が大きくなっており、以下のような批判もよく聞かれるようになっている。
(以下、WEDGE Infinity, 2009年10月08日より引用)
中国のアフリカ進出が国際社会から顰蹙を買っているのは、おもに2つの理由による。ひとつは、国際社会が制裁など課している政権を利することへの非難だが、もうひとつは、中国資本が進出しても現地人がさほど雇用されず、大挙して押し寄せる中国人労働者による資源の収奪、搾取が行われるのみだからである。
(引用おわり)
こうした指摘はニュース解説番組などでよく紹介されている。しかしながら、いくら道義的に批判してみたところで、現実は「一部の高官らは、外交的影響力や投資額、滞在者数などで日本ははるかに遅れをとっていると指摘する」(AFP BB News, 2010/4/29)といい、日本は中国に資源獲得(経済)戦争では既に敗れているといっても過言ではない状況に追い込まれつつあるようだ。
これは別に脚色でも何でも無く、あの米国ですら、石油利権、石油本位制、ドル基軸体制を次々に失いつつある現状を、我々は各種報道から実感することができる。つまり、世界経済におけるパワー・バランスが、ダイナミックに変化していることが十分に理解できるだろう。
■ ほんとうの資源獲得コストとは
最近その重要性が再び見直されてきており、国家戦略の大事なポイントになりつつあるが、「一次産業」(Primary sector of industry)というのは、国家と経済圏の基礎・土台である。
産業構造の発展とは、新興産業の育成ということも大事だが、同時に、産業構造の維持ということを内実として含んでいなければならない。産業構造の維持ということでは、その基礎・土台といっても過言ではない一次産業の重要性を認識せねばならないだろう。これが不十分な国家・経済圏が滅びの道を歩むことは歴史の必然である。
したがって、一次産業を維持するためのコストというのは、本当は物凄く膨大な金額なのであって、一般に統計数値で現れている数値だけではつかみきれないというのが現実ではないだろうか。
たとえば、日本国内の米軍駐留費(思いやり予算)、沖縄県民の精神コスト、米国債の保有コスト(外貨準備の含み損)、(外圧による人為的金融操作による)バブル崩壊の社会コスト、自衛隊による洋上ガソリンスタンド、これらの政策の決定に関する政治コストなどは、全てに米国(と日本)が中東を中心とする石油資源を確保するのに必要なコストが含まれていると見做すことも、もしかしたら可能なのではないだろうか。
こうした現実は、日本だけでなく盟主の米国でも同じことだろう。軍事ケインズ主義は、グリーン・ニューディールという環境ケインズ主義に移行させるという大きなパラダイム・シフトを必要としている――そういう視点で世界情勢を見ることも可能であろう。
■ ダイナミックな時代変化下での環境政策とは(1)
以上で述べてきたような各視点を踏まえて、こうしたダイナミックな時代変化下での環境政策とは何か、ということを考えてみたい。
大きな視点で見るならば、地域・国家・経済圏というそれぞれのレベルの共同体は、資源・エネルギー開発によって、地産地消・国産国消・圏産圏消を進めて行くことが重要であり、そのためには資源国との関係構築と開発投資を進めていかねばならないことは言うまでも無い。
しかし、中国のような共産党独裁下における開発資本主義という方法は、(仮に国際競争力に優れているとしても)日本がそのままマネすることは不可能に近く、麻生元総理がかつて主張した「自由と繁栄の弧」(民主主義・人権主義・自由主義)というイデオロギーから離れることは難しいと言わざるを得ないだろう。ODAなどによるこれまでの開発投資は、CDM、鳩山イニシャチブ、郵貯運用=国産ファンドなどに名を変えて、価値観外交を大幅に変えることなく、今後も継続されていくことであろう。
しかし、その投資対象は徐々に変化していくことが避けられず、資源・エネルギーの多様化=石油依存からの脱却=中東依存からの脱却という国家戦略に沿ったものになっていき、更にこれはGTL(Gas To Liquid)、原子力、バイオマスなどの技術基盤の開発に同調しながら多様化していくものとなるだろうことは言うまでも無い。
■ ダイナミックな時代変化下での環境政策とは(2)
ところで、本項も「環境」を論じようとしながら、多くの紙面が「資源・エネルギー」問題に割かれている。しかし、GTL(Gas To Liquid)、原子力、バイオマスなどの新しい資源・エネルギーの形態は、いわゆる「クリーン」、「グリーン」なものであると言われているから、こうしたエネルギー形態を推進していくということは、「環境」問題上の政策でもある。
さらに述べるならば、これらは(現在においては)「カーボン」というキーワードによって強固に結びつけられている。例えば「カーボン・ニュートラル」などの表現に代表されるように、である。つまり、世界では「カーボン」負荷の小さい資源・エネルギー形態が採用されやすい環境が創られつつある。
「カーボン」とは、排出量とか排出枠ということであり、温暖化(気候変動)問題によって定義されてきた概念であり、排出量取引やCDMなどの仕組みと合わせられることで実体化(コスト化)させられている。つまり、温暖化を問題視することによってのみ意味がある。
しかしながら、クライメート・ゲート事件(温暖化データ捏造事件)やIPCC報告書の誤りなどが公に批判されるようになり、また、温暖化説だけでなく寒冷化説にもスポットライトがしっかりとあたるようになってきた。これは、ピークオイル論の基礎を成していた石油生物起源(石油有限)説に対立する石油無機起源(石油無限)説が台頭してきた経緯にも似ていることにも注意する必要があるだろう。さらには、排出量取引市場(金融市場)の立ち上げ過程において、深刻な金融危機が発生したことも、制度設計・推進者にとっての大きな打撃であったと言えるだろう。
だから、我々は、我々の立ち位置をしっかりと持つために、神学論争に組みしたり、宗教教義に従うのではなく、経済や社会の論理や原則に従うことで道を過たないようにしなければならない。一次産業問題そのものである資源・エネルギー問題や(正しい意味での)民主主義・人権主義などのイデオロギー問題は、歴史的に普遍性を持つ国家の本質的問題であると言えるだろう。温暖化論や石油起源論などの基礎や屋台骨の揺らぎ易い論理とは別物であると考えることができる。
「環境問題」を問題にする場合には、こうした経緯や論理が根底において主体的に理解されている必要がある。逆にいうならば、「カーボン」の本当の意味を理解しない盲目的な行動や批判は、己を失敗や破滅に導く確実な道程を歩ませているといえるだろう。
私は、「カーボン」の存在基盤とは決して温暖化(だけ)ではなく、一次産業そのものである資源・エネルギー問題や(正しい意味での)民主主義・人権主義などのイデオロギー問題が含まれていなければならないと思う。先見性のある識者はこれらを包含した広い概念を「持続可能性」や「サステイナビリティ」(sustainability)と呼んでいる。
しかし、こうした概念は意味が広く、アイマイであり、理想論のように見られて敬遠されることも多いように思う。だが、「カーボン」が拠って立つところの土台・基礎を自分なりに理解し、それぞれの経済主体の責任範囲において、その意味と取り組むべき対象を定義して行くならば、決してアイマイな理想論ではなく、正しい実践論として成熟させていくことが可能なのではないだろうか。
(おわり)
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