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<桜満開の大和路>柳本、巻向で古墳をめぐり、江戸時代の香りをかぎに今井町へ http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/441.html
駅前通を行くと黒塚古墳がある。 ⇒ ■天理市柳本町にある前方後円墳。三角縁神獣鏡が33面も出土したことで一躍脚光を浴びた。 <参照> 国道に出ると伝「崇神天皇陵」のどっしりした偉容が姿を現す。「伝」を付けているのは崇神天皇陵と宮内庁が決めつけているだけで、崇神天皇の墳墓である学問的根拠は何もないからである。しかも崇神天皇自体が実在したかどうかも確かではない。現に江戸時代末期までは「景行天皇陵」だと言われていたそうだ。だから本当は通称の行燈山古墳と呼ぶのがよいように思う。全長は242bである。 >古墳時代の天皇陵については、天皇の名と被葬者とが明らかに一致しているのは、京都山科の天智天皇陵、明日香の天武・持統天皇陵、古市の応神天皇陵くらいなのである。応神陵については異論もある。こと程さ様に、古代天皇陵についてはあいまいなものなのだ。では掘って確かめればいいではないか、とは誰しも考える。しかし宮内庁は現在でも、天皇陵の発掘に関してはこれを一切許可していない。(「崇神天皇陵・櫛山古墳」から引用) 崇神天皇陵の東隣には櫛山古墳がある。前と後ろが方形、中が円墳になった日本では珍しい双方中円墳である。ここは全長150bとかなりの規模だが、宮内庁が天皇陵に比定していないので立ち入り禁止ではない。 <参照> 「山辺の道」の道しるべに沿ってしばらく行くと伝「景行天皇陵」がある。ここも慶応元年(1865年)までは「崇神天皇陵」と言われていたらしい。柳本古墳群のうち最大の全長300b。渋谷向山古墳とも呼ばれる。「崇神天皇陵」と同じく宮内庁が立ち入り禁止措置をとっているが、見たところ簡単に立ち入りはできそうだ。周壕の土手を歩くたびに進入したいという欲求に駆られて困っている。 国道に出てレストランで昼食後、「山辺の道」を巻向に向かって歩き出す。この辺りはこんもりした丘があればたいていが古墳である。 珠城山古墳群(1号、2号、3号) ⇒ 石塚古墳 ⇒ ホケノ山古墳 ⇒ 箸墓古墳 ⇒ 桜井線巻向駅 卑弥呼の宮殿跡ではないかと喧伝された巻向遺跡が発掘されたが、工事再開のため現在はすでに埋め戻されている。 巻向駅から桜井経由で畝傍駅に向かう。目的地は古い町並みを残す「今井町」。畝傍駅から10分少々歩くと、今井宗久ゆかりの町に出る。電柱がなければこの一角はいまだに江戸時代といった風情。 <参照> 地図も付けておこう。 ⇒ 時間が十分なくて町並みの半分もまわれなかった。後ろ髪を引かれる思いで今井町を後にする。
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