http://news.livedoor.com/article/detail/4701801/ PJニュース 2010年04月06日07時06分 / 提供:PJオピニオンPJニュース 2010年4月6日】(中)からのつづき。さて、今回は市民メディアの内部環境について考えていきます。オーマイニュースやJanJan、ツカサネット新聞やPJニュースといった市民メディアは、そこに投稿する市民記者らで成り立っています。一般市民がジャーナリズムに参加するということは歴史的に見て、あまり類を見ません。一般市民を束ね、ジャーナリズムの理念に向かって組織していくことも、いままでありませんでした。市民が参加するジャーナリズムは機能するのか、市民記者が参加する市民メディアは持続的に経営が可能なのかという点について、類似する例を参考に示していきたいと思います。結論的に言えば、市民ジャーナリズムと市民メディアは、民主主義と政党政治の構図に似通っています。 いまから1世紀ほど前、ドイツの社会学者、マックス・ヴェーバーはその著書『職業としての政治』の中で、17世紀から18世紀にかけての市民革命後の英国で、民主制を支える政治機能について「当時はジャーナリストだけが有給の職業政治家であり、新聞経営だけが――また、それと並んで会期中の議会だけが――継続的な政治経営であった」「(政治の実効性について)効果の点で(選挙演説よりも)より永続的なのは印刷された言葉である。政治評論家、特にジャーナリストは今日この種の人間のもっとも重要な代表者である」と論じています。ジャーナリズムは市民革命後の民主主義の登場によって産声を上げました。 当時のジャーナリズムが民主主義の根幹部分を担ってきたことは確かなのですが、一方で、ヴェーバーによるそのジャーナズムの評価は微妙です。 「ジャーナリストは固定した社会階層の区分けに入らないという宿命をになっている。つまり、ジャーナリストは一種のアウトサイダーとして『上流階級』ではいつも、道徳的に最も劣った者を基準にして社会的に評価される。・・・それも当然で、無責任なジャーナリストの仕事がこれまでしばし恐ろしい結果を生んだため、それが記憶にこびりついているからである。・・・この職業には他とはまたく比べものにならないくらい大きな誘惑がつきまとっている。・・・旧制度下のドイツで、新聞が国家や政党の支配勢力と癒着してジャーナリズムのレヴェルをひどく落としたことがある」 約1世紀前、新聞ジャーナリズムが急速に普及しだした時代にヴェーバーはこのように、ジャーナリストを両義性のある存在として観察していました。現代でもマスメディアに所属する記者であろうと、市民メディアに投稿する市民記者であろうとヴェーバーが描いたジャーナリストの特徴とあまり変わっていません。これは公共性というある種あいまいな価値観に身を置く者の宿命なのかもしれません。「パブリックのため」という大義名分をそれとなく造り出せれば、それが私欲を含む行為であっても社会的に許容されてしまう風潮があるのではないかと思います。 ヴェーバーと同時期の米国で、市民の政治参加の可能性について、米国プラグマティズムを代表する哲学者のジョン・デューイと、これまた当時の最も影響力があるジャーナリストであり批評家であったウォルター・リップマンが、公衆の信頼度についての論争を巻き起こしました。いわゆる『パブリック論争』と呼ばれるものです。この議論は市民ジャーナリズムの可能性を論ずる上で非常に重要です。 20世紀初頭、この米国ジャーナリズムの中心にいたのがデューイとリップマンというわけです。デューイはあくまでも公衆の可能性を信じていました。一方のリップマンはというと、「公衆への過大な期待に立つ民主主義は危うい」との立場を取っていました。正確に言えば、デューイは公衆の欠点を飲み込んだ上で、民主主義やジャーナリズムの可能性を信じて疑わなかったという立場にありました。一方で、リップマンは公衆に寄り近い距離に生きていたためか、あるいは政治の中枢部により近い位置に軸足を定めていたためか、公衆の限界を痛感していたと同時に、その操作法まで熟知していた立場にあったといえます。 19世紀末から20世紀初頭にかけての米国では未開の地平線フロンティアが消滅し、金融資本と産業資本が急速に成長して工業化社会が訪れました 。これに伴って、労働者が一地域に集中して居住する都市化も進みました。また、全米には物流を担う鉄道が敷かれました。線路に沿って電線網が張り巡らされ、情報が瞬時に流通できるインフラが整備されました。この結果がマスメディア産業の登場です。 同時に、社会問題が深刻化していった時代でもありました。物質主義や拝金主義、いまでいう新自由主義的な考え方がはびこったこの時代を、当時アメリカを代表する作家、マーク・トゥエインは「ギルテッド・エイジ(金メッキの時代)」と呼称しました。大量印刷技術の発展で生まれた新聞や、通信技術の誕生で発明されたラジオといった新たなメディアが出てきたこの時代は、同時にマスメディアによる情報供給を需要する市民層が形成されたのが分かります。 当時のギルテッド・エイジとその崩壊という社会状況の変化や、大量印刷された新聞やラジオといったマスメディアの出現というメディア環境の革命は、大きな時代背景の違いこそあれ、バブルとその崩壊やインターネットとパソコンの普及といったメディア環境の変化と重なる部分が多いことが分かります。 当時、市場社会が形成され崩壊していった大転換期を迎えていた米国の社会状況の中で巻き起こったこの「パブリック論争」を振り返ることで、いまある市民ジャーリズムの行方や市民メディアの可能性について占うことができるかも知れません。 1929年の世界大恐慌を経験した米国はその後の第二次世界大戦を終えるまでの数十年間、バブル崩壊後の日本のような暗黒の時代を迎えるわけです。1939年のデューイに著書『自由と文化』では「民主主義的目的は、それを実現させるために民主主義的方法を必要とする、ということである。・・・民主主義的方法は、その上をわれわれが共に歩く、常に現在である新しい道の精力的で、たゆまない、不断の創造と同様に、終始一貫して、根本的に簡単であると同時に極めて困難である」と説きました。 デューイが抱いていた民衆主義の原点は、米国東部ニューイングランド地方に根付いていた自治独立を軸足に取る直接民主制であるタウンシップ制にあるといえます。これはいまでは消滅してしまった日本古来の村落共同体の政治形態に似ています。これは思想的には「シビック・リパビリカニズム」と呼ばれるものです。米国では建国初期段階のある時期、タウンシップ制は有効に機能していたと言われます。その背景には「英国からの独立と自治」という各人が抱える大きなテーマがありました。国が安定し、経済が成長するにしたがって、人々のこの意識が希薄化し、「シビック・リパビリカニズム」への忠誠心みたいなものも忘れられていきました。 このように、デューイは一貫して民主主義と公衆、そしてジャーナリズムについて信頼を寄せる立場にいたのですが、それらの理想的な発展について絶対的な確信を抱いていたわけではありませんでした。民主主義の理想と実態は1世紀前の米国でも良く語られていたのです。 対するリップマンといえば、上流階級出身で名門ハーバード大学を3年間で優秀な成績を残して卒業したエリート中のエリートでした。卒業後は『ニュー・リパブリック』の創刊に携わり、第一次世界大戦中にはウッドロウ・ウィルソン大統領の側近情報将校として対ドイツの情報戦を繰り広げるなどの才能を発揮しました。その後、『ニューヨーク・ワールド』紙の論説委員・編集長や『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙のコラムニストとして活躍しました。マッカーシズムとベトナム戦争や現政権に対しての鋭い批判を展開し、1958年と1962年の2度、ピュリッツァー賞を受賞しています。 彼の民主主義への根本的な思想は、エリート統治主義的な考え方です。「ステレオタイプ」という概念を世に呈した著書『世論』の時期には、リップマンは公衆に対していささかの希望を抱いていました。しかしその後、急速にその感情を失っていきました。1927年の『うつろな公衆』という著書では、規範的な民主主義論が展開する自治独立を目指す公衆など存在しないと言い切っています。公衆とはうつろな存在であり、民主主義がこの公衆という幻想にとらわれている限り、荒廃した米国社会の再生は困難だと断じました 。 世界大恐慌以降の米国は第二次世界大戦後まで経済が長期低迷するなど長い暗黒時代に突入しました。当時の新聞社などのマスメディア企業も大恐慌以前のような活況ぶりは影を潜め、その資金的・精神的な背景で興隆したマックレイカーによる調査報道ブームも去ってしまいました。この期間、公衆の政治やジャーナリズムに対する密接なかかわりが期待されたのですが、それが機能したとはいいがたい状況でした。 この状況をリップマンは民主制を支えてきた公衆を嘆き、一方、デューイは古き良き時代の米国を顧みて、公衆に対して叱咤激励を送っていたのです。デューイにせよ、リップマンにせよ、両人共に理念的な民主主義の中心に位置すべき公衆について、理想と現実が乖離していたことを理解していたことが垣間見られます。 産業革命を経て、1世紀前に大恐慌を経験し、さらに興隆したマスメディアによるジャーナリズムが機能不全に陥っていった米国のこのような状況は、産業革命以降の最大のパラダイム転換である情報技術(IT)革命を経た後に、リーマンショックを発端とする世界金融恐慌を経験した2010年の現在の日本と重なり合う部分が少なくないのではないでしょうか。 実際、『PJニュース』という市民メディアを経営してみて、デューイやリップマンが感じた「パブリック」の難しさを毎日のように痛感しています。多様性を重んじるが故に市民メディア内部での意思疎通のベクトルを合わせていくのが非常に困難です。これが可能になれば、市民メディア経営は軌道に乗ることでしょう。実際の編集作業で、この対応部分が一番時間とコストがかかる箇所です。この部分は読者からは見えない部分でもあり、市民メディアの経営の肝という箇所でもあります。市民メディア経営での肝はこの部分です。 編集の効率性という点を考えるならば、多種多様な市民記者からの記事を集めた市民メディアと、訓練されたジャーナリストが集まるマスメディアとでは勝負になりません。市民メディアであるがゆえに、市民メディアでは業務命令というカタチでの指揮命令系統は築けません。同じ予算規模でメディアを経営するならば、プロのジャーナリストを雇って少数精鋭で、市場のニーズに沿った編集方針で記事を提供した方が、商業的な成功の確率は高くなります。その一例が、テレビのワイドショーやネット上の話題を売りにしたネットメディアの「J-castニュース」でしょう。 ただ、ネットメディアといっても「J-castニュース」と市民メディアではまったく性格が異なるので、メディアを存続したいからといって、大衆迎合的にその編集方針をまねるようなことは不可能です。それでは「パブリック・ジャーナリズム」に希望を寄せるPJ・市民記者を裏切ることになりますし、市民メディアの存在意義を失います。 また、PJニュースの編集過程で、どの記事が「パブリック」で、どの記事が「プライベート」なのかを判断するのは、相当困難です。極々私的な内容の記事であっても、それを書いた市民記者が「パブリックに向けて公表するものだ」と主張すれば、余程このことがない限り掲載しないわけにはいきません。 記事の掲載を見送られたあるPJからは「はっきりいって、パブリックというのも、どうかとおもってます。編集の恣意的なパブリックは、非常にプレイベートレベルとおもうゆえんです」などという苦情が頻繁に寄せられます。この線引きとして「公序良俗を乱さず、パブリックに伝えるべき内容を読者に分かりやすく伝えようと努力していると感じられる」記事ならば掲載することにしています。 オーマイニュースに経営コンサルタントとして参加していた「ITジャーナリスト」の佐々木俊尚氏が、編集作業や市民メディアを可視化し参加型にせよ、などと主張してオーマイニュースを混乱させた事件がありました。一読すると心地よい考え方ですが、私からすると、この考え方は現実を無視した共産主義者のユートピア論としか映りません。組織としての統合を無視した考え方なのです。 佐々木氏の主張の本質は、市民メディアという組織の経営論ではなく、「侃々諤々ネットで好き勝手放題言おう、脱線すれば誰かが停めてくれるだろう」という市民メディアという組織としてまとまることのないアナーキズム的な単なる持論の展開で、先にある市民メディア像はまったく見えませんでした。 市民メディアという多種多様な価値観を持った人々が集まる組織では、予定調和的な合意はまずあり得ません。しかしながら、その組織の中で経営者・編集者は日々判断に迫られています。そこで組織として成立させる物差しが編集方針です。PJニュースでは「地域社会の活性化につながる出来事」「自然災害時の生活情報」、そして「メディア批評」の3つを編集方針に掲げています。この編集方針を中心に記事の投稿を呼びかけ、出稿しています。 一つのメディアで多様性を持った人々の意見をすべて飲み込むことは不可能です。ゆえに、市民メディアがマスメディアのような大規模な形態には発展できないと私は見ています。翻って、個々の特徴がある市民メディアが多数存在し、それぞれが緩やかな連携という形態であれば、市民ジャーナリズムと市民メディアの発展は可能でしょう。 これは英国市民革命があった17世紀以降のロンドンで議論の内容によって政党や証券取引所、あるいはメディアと個々に発展していったコーヒーハウスの例を取っても、こう言えるのではないでしょうか。こうした意味で、『JanJan』や『オーマイニュース』の休刊は『PJニュース』にとっても打撃であり、市民ジャーナリズムにとっても痛手でした。 最後に、私なりの市民メディア存続の条件を示したいと思います。それは市民メディアに参加する市民記者各自の「独立自治」と「責任ある社会参加」に尽きると思います。いままで、メディアの経営は基本的にジャーナリストがメディアに記事を売り、対価として原稿料をもらい、メディアは記事を読者に売って収益を確保するという構図でした。ネット上では読者が記事にカネを払わない状況が常識化してしまった現在、この構図ではメディア経営、特に市民メディア経営は成立しません。 そこで、収益構造を大きく転換する必要があります。「PJニュース」を立ち上げたとき、ライブドア社員から「投稿するPJからカネを取って投稿してもらたらどうか」という意見がありました。当時は「なんてバカげたことを」と言って、私は一笑に付しました。いまとなっては、ここにポイントがあると考えるようになりました。 残念ですが、PJの中には心のどこかで「記事を投稿してやっている」「編集部におんぶにだっこ」という意識を持つ人もいるように私には思えます。その節々が記事の中で現れています。また、社会的な脈略もない、ニュース価値が乏しい記事を投稿してくる人もいます。すべての採用記事に対して報酬を支払うことは今後、困難になることは簡単に予想できます。 また、市民メディアに掲載される記事の枠の中に広告を入れたいと考える人もいます。こうした記事広告のようなものには有料で掲載してもらうという方法も考えられます。地域のために取材して、記事を掲載しているという考えがPJにあれば、取材先や関係者に広告の話を持って行くのも可能でしょう。少額の広告をある程度集められれば、PJニュース規模の市民メディアならば存続は十分可能です。 ただし、質の高い、価値ある記事に対しての報酬は必ず確保しなければなりません。それが取材へのモチベーションになるからです。そこで、その方法論を探っていく必要があります。その一つとして、「投げ銭」方式の報酬制度です。PJを含む読者がいいと思った記事にポイントを付与できるような仕組みがあれば、執筆したPJの報酬にもなりますし、記事への評価のバロメーターにもなります。 こうした仕組みを通じて、市民記者各自の「独立自治」と「責任ある社会参加」という意識が醸成され、市民メディアへの帰属意識が高まり、なおかつ、収益基盤に一応の見通しが立つようになれば、市民メディアが存続することは可能でしょう。【了】 ■関連情報 PJニュースは一般市民からパブリック・ジャーナリスト(PJ:市民記者)を募り、市民主体型のジャーナリズムを目指すパブリック・メディアです。身近な話題から政治論議までニュースやオピニオンを幅広く提供しています。 PJ募集中!みなさんもPJに登録して身の丈にあったニュースや多くの人に伝えたいオピニオンをパブリックに伝えてみませんか。 パブリック・ジャーナリスト 小田 光康
|