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自民党の『徴兵制』などは日本国民の総意ではない。(同意を得られるはずもない) http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/360.html
自民党の『徴兵制』などは日本国民の総意ではない。 GENKIのブログより 本日は、以前のエントリーを含める為に、長文になることをお許し願いたい。 さて、自民党憲法改正推進本部は4日の会合で、徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表し、翌日大島理森幹事長が急きょ打ち消した。 私は数日間、ウォッチャーを決め込んだが、マスメディアで取り上げられる事も無く、保守論団のブログを拝見しても、『徴兵制』についてのエントリーはほとんど見られない。 ベクトルを異にするエントリーでは、日本と自衛隊の現状と照らし合わせた『徴兵制』の無意味さを理路整然と訴えたものや、仮想敵国は、どの様にしてつくられ軍備増強、不富国強兵が如何に無意味なものであるかを説いたものが多く見受けられた。 しかしその先が無い。 天皇・皇室という主軸を忘れていのか、あえて無視しているのか、あるいは破却したいのか。 私はどのような非難があろうとも、敢てこじ付けたい。 日本国と皇室と国民を結びたい。 まず、兵器が超ハイテク化された現代に、純粋に『お国の為』という想いが、徴兵制によって報われるかと言えば甚だ疑問だ。 しかし『自分の国は自分で守る』と言って来た私のこれまでの主張と大きくブレることになる。 これは何も戦争に限った事ではないが、『国を想う』という事を口にする以上、これを避ける事は、とても卑怯であると考える。 我々は、日本国に生を受け今生きている。 これは、日本に生を受けた在日の方、帰化された方も同じであり、是非聞いて頂きたい。 その日本の歴史は、現在、存亡の危機に晒されている皇室と共にあった。 また、皇室か・・天皇陛下か・・と思われる方もいらっしゃると思うが、今上陛下の仰る『不幸な時代』というものを考えて頂きたいと思う。 私のような庶民が認める認めないに拘わらず、数千年の間、皇室と共に日本が存在している。 元来天皇の祭祀とは、戦争に勝つための祈願などではない。 そのご存在と祈りは、日本という国柄を大きく包み込んでいる。 貧しく病める弱者がいる時は、その救いを祈り、逆に大きな権力を持つ者が上へ行けば行くほど、そのご存在が重石となり、力の暴走を抑えてきた。 ある時期(近代史の戦争だけではない)それが、強大な権力によって歪められたことを『不幸な時代』と表現された。 戦争や侵略といった負の現象で、多くの善良な国民や、外国人が犠牲となり、平和を祈る国柄が歪められた。 保守の議論において、国防と皇室がセットで語られる事が如何におかしなことか、社会で例えるなら、人の上に立つ事と、人を貶める事を同時に語る事と等しい。 今こそ、我々はその矛盾を処する為の尖兵になるべきであり、各々与えられた環境の中で平和を論ずべきである。 徴兵などされなくとも、日本の戦いは、既に、我々の日常生活の中にあると言う事だ。 戦争を論じるだけで、得をする権力があることも忘れてはいけない。 この様な事を語ることなく、『徴兵制』などと軽々しく口に出してはならないのである。 軍事専門家などはいらない。 平和の専門家が欲しいくらいであるが、日本人の心が遊離したかのような新自由主義とは全く違う『日本型自由主義』を追求したい。 その志半ばで、もし生死を選択させられる事があれば、日本という古の国柄を想いつつ、家族と世界の平和を祈りつつ、人に必ず訪れる死という場面に臨む。 ある兵士の遺書を、以前の記事で紹介しているので、今一度ご覧頂ければと思う。 ---------------------------------------------------------------------- 上原良治(少尉)とは、慶応大学経済学部在学中に学徒出陣となり、特攻隊員として22歳で死んだ若者で、戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」に、所感として遺書が掲載された特攻隊員である。 上原少尉の遺書を紹介し、この遺書にコメントしている護憲派リベラルの水島朝穂氏の記述も付記する。 少々長文になるがお付き合い願いたい。 上原少尉が出撃した鹿児島県知覧にある「特攻平和会館」。 ここには、特攻隊員の遺書が残されている。 今年、娘の剣道大会が熊本人吉で行われた際、初めて知覧の「特攻平和会館」を訪れた。 大戦機が大好きだった私は、館内の戦闘機に感動する予定であったが、特攻隊の遺書に心が奪われ戦闘機どころではなくなっていた。 父が亡くなった時でも涙など流さなかった自分が、目頭が燃えるように熱くなり、止めどなく溢れて出る涙と鼻汁に狼狽していた。 悲しさや、切なさなどではなく、自分に対する呵責の念に胸ぐらを掴まれ、グラグラと心を揺さぶられ、どうする事も出来なかった。 只々申し訳なく、唯々かたじけないと・・・・ その中でも、上原少尉の遺書だけは明らかに違っていた。 私が見た上原少尉の遺書は1通であったが、彼は遺書を3通書いていた。 上原少尉の遺書------------------------------------------------------- 最初の遺書は、上官に促され書いた遺書のようで、次のものだ。 私は戦死しても満足です。何故ならば、私は日本の自由のために戦ったのでから。 (抜粋) 「自由」という当時ではあまり見かけない文言が記されている。 第2の遺書にはこう書かれている。 私は明確にいえば自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。 これは馬鹿な事に聞こえるかも知れません。 それは現在日本が全体主義的な気分に包まれているからです。 しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います。 戦争において勝敗をえんとすれば、その国の主義を見れば事前において判明すると思います。 人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦(かちいくさ)は火を見るより明らかであると思います。 日本を昔日の大英帝国の如くせんとする、私の理想は空しく敗れました。 この上は、ただ日本の自由、独立のため、喜んで命を捧げます。 第2の遺書の巻末にこう記されていた。 離れにある私の本箱の右の引出しに遺本があります。 これにより出てきた物が第3の遺書であった。 親しい身内だけが知り得た遺書がこれである。 権力主義、全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。 我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家において見る事が出来ると思います。 ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツもまた、既に敗れ、今や権力主義国家は、土台石の壊れた建造物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。 真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます。 空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事は確かです。 操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。 理性をもって考えたなら実に考えられぬ事でも強いて考えうれば、彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何も云う権利もありませんが、ただ、願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。 こんな精神状態で征ったならもちろん、死んでも何にもならないかも知れません。 故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。 飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。 愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。 天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。 明日は出撃です。過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽わらぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統だてず、思ったままを雑然と述べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。 彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。 云いたい事を云いたいだけ云いました。 無礼を御許し下さい。ではこの辺で。出撃の前夜記す また、帰郷した際家族に次の様に話したという。 「俺が戦争で死ぬのは愛する人たちのため、戦死しても天国へ行くから、靖国神社には行かないよ」(中島博昭「上原良司とその時代」本書解説) 以上----------------------------------------------------------------------
何という矛盾に満ちた、切ない言葉だろう。 特攻を拒否するという選択肢もあり得ただろうが、彼は一切それには触れていない。 非科学的な精神主義の日本を批判し、「国民の方々にお願いするのみ」という言葉を残すところは、吉田満『戦艦大和ノ最期』に出てくる臼淵大尉の言葉と重なる。 上原がもし生き残っていたら、戦後、どんなすばらしい仕事をしただろうか。 ※氏は自衛隊は違憲との立場を明確にし、縮小・撤廃を主張している方である。 -------------------------------------------------------------------- この様に水島氏は、保守本流を学ばれた上原少尉の自由主義と、現代のリベラリズムを同レベルで論じ、彼が生きていれば、自分と同じ思想を掲げ活躍していただろうと結んでいる。 反論させて頂ければ、上原少尉の自由主義は日本人としての心のあり方を語ったもので、新リベラル思想のようなものではない。 もし、上原少尉が生きておられたら、現状から目をそらすことなく真っ向から国難に立ち向かわれ、真相を深くえぐっていたに違いない。 上原少尉は当時の体制を批判しているかのように見えるが、その先にあるのが、国の存続と繁栄であるのは間違いない。 その手段としての自由主義であり、自由絶対主義ではない。 水島氏は遺書を「矛盾に満ちた、切ない言葉」と評しているが、それは違う。 死を目前にした素直な感情であり、他の特攻隊員が、遺書という限られた空間で書き得なかったものを表現したことが見事なのである。 賢明な上原少尉は、最後に国家なくして自由主義もないという結論に行きついており、それを遺書の中ではっきりと記している。 『日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです』国無くして思想なし、国柄を守るための自由主義と言う事がはっきり見て取れる。 日本国としての国柄(文化・歴史)を基礎にしたうえでのアイデンティティーであって、他国から浸食される事の無い真の独立である。 現在の日本が平和であるかの様に現実逃避をし、福祉社会という言葉を味方につけ、盲目的な理想を掲げる新リベラルは今の日本を危機にさらす。 どうやら、リベラル派は「俺が戦争で死ぬのは愛する人たちのため、戦死しても天国へ行くから、靖国神社には行かないよ」という上原少尉の言葉をもって、自分たちに利するよう祀り上げたいようだが、むろん上原少尉は「つかまつらず」であろう。 当然、戦後隷保守論団についても同じである。 グローバル化を迎合したり、無国家主義を唱えたり、はたまた画一的な国家を理想としてみたり、移ろいやすい自主的自由主義を唱える新リベラルとは相いれないものである。 いみじくも、上原少尉は『願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。』と書き記している。 この表現が特攻隊員の総意である。 戦闘機に乗り込む際、アメリカ軍パイロットは機体にキスをして乗り込む、日本軍搭乗員は一礼をして乗り込んだ。 アメリカ人の自由主義を鵜呑みにする事は出来ない。 上原少尉の遺書は、隷米保守、反米左派の思惑を超え、戦後の日本人に宛てたメッセージとして心に響くのは私だけであろうか。 彼が託した「願い」を日本人は忘れてはいけない。 記事転載終わり
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