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少し前、きっことか言う人のブログでは今回の騒動を
デジャブと表現していたと思う。
確かに西松の時と同じような流れだ。
デジャブで思い出した事がある。
例によって記憶に残っているだけのことなので
不確かなこと極まりない話。本の題名もいつ頃読んだ本なのかも
思い出すこともできないが、こんな話。
太平洋戦争の頃になっても、日本軍では日清、日露戦争時代の
突撃の仕方と言うものが教えられていたんだそうな。
アメリカ軍の将校の話が紹介されていたが、こんな感じ。
日本軍は突撃をしてきて大打撃を被ったから、次はどのような
戦法で来るのか警戒していたら、前回とまったく同じ突撃の仕方
をしてきたんだそうな。そして更なる大打撃。
さすがに次は違う方法をとるだろう思っていたら
またまた同じ突撃をしてきて驚いたと言う話
そして、それが日本軍で教えられていた突撃の仕方の
教科書どおりだったというのだ。
さて時は移って現代の検察官僚さんはどうだろう。
ロッキード
金丸
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(省略)
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西松
今回
あれ?「デジャブ・コマンタレブー」って感じ。
最近思うのだ。諺というのはその国の文化が陥りやすい
病弊に対する警告の言葉ではないのかと。
今回はこの諺にとどめをさすのではないだろうか。
「バカの一つ覚え」
官僚脳というのは一つの定形が与えられるとそれが常に
有効で正しいと思うのだろうか。
「まずゴミ」が金に汚い政治家と刷り込んでおいて、
どこの誰だか誰もがみんな知っている正義の味方「東京地検特捜部」
颯爽と登場。
よく「まずゴミ」が「繰り返される政治と金の問題」とこれまた
判で押したように「バカの一つ覚え」の決まり文句をくり返すが
この種の事件に対して私たちが感じるこの「既視感」は、
実は検察と「まずゴミ」が繰り返すこの手法ではないだろうか。
日本という国の中でいわゆる「出世」する人々には
何かステレオタイプの行動や思考パターンが
あるのかもしれない。そんな事を考えてしまう。
学校教育で勝ち抜く、そして組織の中で勝ち抜くためには
定型的思考パターンが必須なのかね。
よく分からないがそんな感じがしてきた。
先例を重視するのも、先例が無いと打開策を見つけられない
自分たちへの言い訳かも。
出世した人々の大組織、官僚機構は
先例のない事態に直面した時にはまったく役立たずの
大馬鹿集団になる可能性があるのではないか。
新聞は最近民主党に対して「異例」とか「極めて異例」と言う言葉をよく使うが
政権交代がこの国では「極めて異例」なのだから
検察官僚達が大馬鹿になってしまうのも無理ないのかもしれない。