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12月8日NHKの「たった一人の反乱」は、市川市で新聞配達員をしていた森田三郎氏(当時29歳)の物語である。ある日、谷津干拓のことを知った三郎氏は矢も楯もたまらずたった一人で干拓地の掃除を始める。子供のころ友だちと遊んだ干潟が忘れられなかった。おそらく足裏で感じた干潟の泥の感触だろう。
近所の人たちから怒鳴られたり嫌がられたりしながら数年が過ぎたころ、近所の主婦たちが数人応援に駆け付けるようになった。それから様相がガラリと変わり、応援参加者がどんどん増えていった。取り組みからちょうど10年後、習志野市は干拓を断念、干潟として保護することになった。1988年千葉県で初めての国設鳥獣保護区に認定された。
筆者が強調したいのは、女性が登場してから様相が一変してきたこと。
三郎氏の証言「それまで孤立していたが、近所の奥さんお母さんが変な人とゴミ拾っているとまんざらでもないんじゃないかと(受け取られ)。女性って子どもを通して地域社会とつながっているから、女性が参加して社会的、心理的にずいぶん変わった」。
どうだろうか、男が一人でやっている分には「理屈で考えてやっていても、やがて理屈倒れになる」とまわりから見られていたのではないだろうか。もちろん三郎氏は足裏に残っている感覚から全脳を働かせて行動に突っ走っていったものだろう。
しかし女性が参加し始めてから、急にやっていることの意味が客観性を帯びて見られるようになったのではないだろうか。
阿修羅になんとなく胡散臭さがつきまとうのは(筆者もその一翼を担っているかもしれないことを否定しない)、女性の参加が圧倒的に少ないからではないだろうか。この共同体は男ばかりで構成される一種異様なそれなのだ。左脳男性群に支配されている阿修羅丸は船体を左に傾けたまま航行しているように見える。
右脳タイプのアマゾネス軍団が殴り込みをかけてくるようになれば、船体も少し復元してくるのではないか。共同体としての可能性ももっと膨らんでくる。女性陣の奮起に期待する!
(下のコメントへの続きのつもり)
・http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/240.html
12 2009 年 12 月 06 日 23:18:12
2009/12/06 00:18さん
女性の投稿のお相手をするのは初めてです。
「理論で考えることが得意ではありません」とあるのは、女性一般がそうであるように思います。男性一般は理屈っぽく、かえって理屈倒れになることが多い。とりわけ阿修羅に登場する諸氏にそれを感じます。
>子供には何語を教えるのですか。子守唄歌は歌いましたか。どのようにしつけましたか。その文化は気候や風土、土地柄、歴史などによって作り上げられたものです地球の文化って何でしょう。
男性このように平たくゆえに分かりやすい表現が不得手。なんでも理論化して表現しようとする習性があるように思います。現代社会で男性は特に左脳を使うように日々訓練され、習慣づけられていることもこの傾向に拍車をかけているのではないかと推測されます。
他方、女性は俗に「子宮で考える」と言われるように男性の論理力とは質の違った考え方・感じとり方をする。この「子宮で考える」というのは、もともと女性は右脳で感じる(考える)機能が強いのではないかと誰かが言っていた(または自分で思ったか)ように思います。
阿修羅にもどんどん女性が登場してほしいものです。阿修羅諸氏はとくに左脳傾向が強いので、この共同体の思考はは左側に傾いたまま飛行し続けているように見える。多くの女性の登場で、「理屈倒れ」になっている多くの左脳諸氏をギャフンと言わせ、傾いた飛行を正常にしたいものです。世の中一般は男性脳と女性脳でバランスがとれています。(という小生が、理屈っぽくなっているので始末が悪い!)