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ホームページ・メッセージ091108 小 石 泉
食べると言うこと
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最近、私は非常に驚くニュースを耳にしました。あるテレビのニュースで、最近の日本人の平均的栄養摂取量が、何と終戦直後よりも低いというのです! 本当でしょうか。
実は若い人中心に、食事への関心が薄れて、カップラーメンやインスタント食品ばかり食べるからだと言うのです。なるほど、確かにこれらの食品は手軽でおいしいでしょう。しかし、これは大変なことです。長い間には大きな影響が出てくるでしょう。日本が「栄養失調大国」だなんておかしな話です。ファストフードではなくスローフードにと言う声が上がっているのも判る気がします。
食生活はその時代の最大の特徴でしょう。昔、あるドイツの映画で、戦時中に、子供に一つだけジャガイモをゆでて持ってきた母親が、じっと我慢しながらその子供の食べる姿を見ている名演技を見たことがあります。日本でも戦中戦後はひもじい思いをしたものです。私たちの世代はその真っ只中を通ってきました。
聖書でも飢えは重大な問題です。
エソウは飢えのためにヤコブに長子の特権を気軽に与えてしまいました。それは今に至るまで歴史に影響を与えています。
モーセは荒野で300万人の飢えを満たさねばなりませんでした。気が狂いそうな責任感です。ただ信仰によって切り抜けました。
ダビデはサウルから逃れるとき、飢えた自分と部下の為に、祭司しか食べてはならない神に捧げる聖なるパンを食べました。
ヨアシュ王の時代にサマリヤがアラムの国に包囲されたとき、非常な飢饉となりました。母親が自分の子を殺して食べたと言う記事があります。しかし、エリシャはアラム軍が敗退するという予言をし、それが実現します。その事を最初に知って、金銀財宝、豊かな食物に預かったのはなんとらい病患者たちでした。
飢餓と飽食、これが代わる代わる国々に起こるのは政治家の責任でしょうか。中国が貧しくて「食事を食べましたか」という言葉「チューファンラメイヨー」が挨拶であった時代の後に、ケ 小平が国のあり方を大きく転換して、今では飽食の時代が来ています。一方、北朝鮮は戦後70年、未だに飢餓すれすれの状況です。アメリカに行くと歩くことも出来ないほど肥満の人が、バイキングの店で食べ続けているのを見ます。体重500キロと言う人もいるそうです!
もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。
あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。
私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。
あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。申命記28:12〜14
神に忠実に仕えるならこのように祝福されるというすばらしい約束です。しかし、人間は弱い者で心得次第でたちまちそれも呪いとなってしまいます。飽食がもたらす弊害も大きなものだと言うことを、最近になって実感するようになりました。3ヶ月ほど前から、朝食を食べない“断食”(節食?)を始めたところ、長年、病院に通い、いやな治療を受けても、ちっとも直らなかった生活習慣病がたちまち好転したのです。今は薬も注射も要りません。もっと早く知っていればよかったと思います。生活習慣病に関する限り西洋医学より東洋医学のほうが断然優れていると思いました。そして意外に多くの人が朝食を食べないことも知りました。なお、生活習慣病は遺伝的な要素もあるそうですので、念のため。断食はイエス様が40日間したことでも有名で、韓国では40日間する人が結構いるそうです。私は最長で7日間しか出来ませんでした。3日間と言うのは何度もやりましたが、祈るためならともかく、健康のためにはすぐ元に戻ってしまって、断食の結果、胃腸が好調になり返って太ってしまう結果となりました。それより一食を抜く節食を継続する方が健康にははるかに良いことも分かりました。ただ、ちょっと手遅れでしたが。
よく朝食は金、昼食は銀、夕食は銅と言いますがそれは健康な人にとってはそうであっても健康を害している場合は、むしろ金を抜くことに大きな意味があるということです。こういう意図的な断食と、現在の栄養失調傾向とは別のものです。食べると言う、人間にとって最も基本的な欲望を持たない、またはないがしろにすると言うことは不健康なことです。インスタント食品だけでは必ず、体の形成に必須な栄養素が欠けてくるはずです。
新約聖書には主イエスがしばしば、弟子たちと食事をしながら真理を伝える場面があります。そして、主イエスが十字架にお掛りになり、復活された後に、弟子たちに現れたとき、御自分が生きておられることを示すために、魚を食べられたのは面白いですね。
これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。ルカ24:36〜43
復活の御体は栄光に変えられた体のはずです。それにもかかわらず、主は弟子たちの為にあえてこの世の食物を食べられたのです。(いつも思うのですが新約聖書には肉より魚が圧倒的に登場します、日本人には嬉しいことですね。ちなみに古代ローマでも肉より魚が喜ばれました。)
食べると言うことは本当に大切なことですが、食べ方にも良く考えるべき道があるようです。これは、ある意味、人間に与えられた自由と責任の標本のような分野ですね。自由が放縦になると危険です。かといって、あまりにも制約を受けると精神的にダメージを受けます。結構、奥深い問題なのだと思います。
日本には“腹八分目”という言葉がありますが、しみじみとその価値を味わっています