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【神州の泉−高橋博彦】
2009年10月19日 (月)
野村監督の続投を願う
野村克也・楽天監督の続投を期待する。彼の続投問題で、年齢が高齢とか、年俸が高いとかいう理由があるようだが、彼が今季限りで辞めなければならない理由とは何であろうか。本人も望んでいない退陣理由が球団側、楽天側にあるとすれば、辞めさせるにはその理由をはっきりするべきだろう。
野球監督の本分はチームの成績だけだと思う。それ以外に何かあるだろうか。チームが勝つのは監督の総合的能力が発露した結果だ。年齢とか癖とか一切関係ない。得られた成績で評価するとしたら、やめさせるどころか、誰が見ても功労者である。しかも、資本主義の世の中で、楽天というプロチームが勝ち残ったことは、オーナー側企業の収益に大きく貢献しているわけだから、野村監督はむしろ褒章ものだろう。
もしかして楽天というネット時代の新興企業は、人間に対し、ホリエモンのように老人の存在価値を認めないとでもいうのだろうか。成績第一主義、効率第一主義でも、年齢が上になると、その価値を減じる評価システムになっているのだろうか。野村監督は現在確か74歳である。小泉政権が無理にカテゴライズした「後期高齢者」にすぐに分類され差別化されるまであと少しの年齢である。彼の退任は基本にそういうポリティカルな判断があるのだろうか。
私の年代は野村氏が現役時代、王、長嶋選手に目を奪われ、ほとんど選手としての彼を意識していなかった。実力はぴかいちだったが、地味すぎる印象があったようだ。だから、彼を意識していた人はそうとうの野球好きだった。現役時代は渋い手堅いプレーをする捕手として、その存在感は圧倒的だったらしい。昭和50年、野村氏が通算2500本安打を達成した時、球場の入りは少なく、拍手もわずかだったらしい。その時、野村氏は「王・長嶋がひまわりなら、おれは月見草だ」と言ったらしい。ぼやきの始まりだろうか。
実力はあるのに王・長嶋にスポットライトが浴びてばかりいた事実を、自分は月見草だという言い方で対比的な表現をしたことは、シニカルと言うよりも、後年の野村氏のユニークな持ち味になってしまった。これを愛するファンは多い。実は管理人もあんまり野球には熱心ではないが、ノムさんのぼやき言動は楽しみになっている。マー君(田中将大投手)もそうとうぼやかれたようだ。
以前ハンカチ王子と言われ、スマップ並みに騒がれた斉藤祐樹投手の影に隠れていたマー君(田中)は、野村監督がぼやきながら大選手に育て上げてしまった。これだけでも、野村氏が非凡な才能を有していることがわかる。ヤクルト監督時代の手腕は衰えていない。野村監督続投問題は、市場原理至上主義の楽天の姿勢が見えるようで不快である。明らかに後期高齢者医療制度を設計した思想が、そのまま楽天という球団オーナー関係者にも垣間見える気がする。
野村監督がこれだけの好成績を維持しているわけだから、やれるところまでやらせるのが日本人の気持だ。野村さんを切ると企業イメージが悪くなると思うがいかがだろうか。というか、管理人は楽天が勝とうが負けようが、どうでもいいが、ノムさんのぼやきは今後も見たいと思う。実に愛すべきキャラクターである。長嶋さんとは別の意味で面白い人だ。
野村さんは現役球界の亀井静香大臣みたいなものだと思う。頑張って欲しい。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/10/post-88ca.html