★阿修羅♪ > 雑談専用37 > 299.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: と呆けてますな 投稿者 影の闇 日時 2009 年 8 月 29 日 22:01:43)
私がロッキード事件の真相に気づいたのは、田中存命中ではなかった。貴君は田中存命中にその真相を把握していたということはまず確認しておきましょう。
次に大切なことは、その田中存命中に「このような観点に立てば、ロッキード事件の際に”検察ガンバレ!””角栄御用!”と叫んだ社会党や共産党、市民派リベラル諸氏は「民主主義の破壊者」と断罪されるべきと思える」(仁王像への借問)という何らかの言論活動(政治家活動)を貴君自身が行ったのかどうかはやはり重要です。これについて明快な回答はないし、「政治的経歴がないと何も言えないのか」という反論を加味すると、なにもしていなかったと考えられる。
その貴君が、21世紀の現時点でこのように息巻く必然性が分かりません。当時の「市民派リベラル諸氏」を現時点で断罪することに何らかの歴史的意義がないことはない。歴史を総括し以降の教訓にするためです。貴君が文献を調べてた結果、このような思想を持つようになった、としておきましょう。
しかし、「民主主義の破壊者と断罪されるべき」というのは、違うと思う。断罪されるべきは米日の政治権力です。強力なメディアの支配下におかれていた市民派リベラルを含む一般国民はやはり犠牲者なのです。世論の大きな盛り上がりがないから、田中の冤罪が成立してしまった。ロッキード事件の真相を把握していた勢力は、市民派リベラルを含む同胞への啓蒙活動を行うのを基本とすべきだと思います(当時も今も)。民主主義の破壊者は米日の政治権力なのです。
市民派リベラルを民主主義の破壊者と裁くのは同胞を裁くことです。同胞を裁き、国論を弱体化させることにどん意義があるのでしょうか。市民派リベラルを米日政治権力と同レベルの敵対勢力と捉えるのはムリであり筋違いでしょう。前にも言ったが同胞を批判してはいけないというのではない。同胞内の意見の対立への対応の仕方は敵対勢力へのそれとは自ずから違ってこなくてはいけない。
〔追加〕
1.私はまとまった小沢一郎論を書いたとは言っていません。断片的な投稿をしてきたと言っているのです。小沢氏否定の理由はこの投稿集の中にある。
2.私が、ロッキード事件の真相が明らかになったのは田中の死後だと思うと言ったのは、自分が真相に気づいたのがこの頃だということに力点を置いているので、存命中ではなかったなどとことさらに主張しているのではありません(それは前後の文脈から明らかなはず)。
3.貴君は小沢一郎を田中角栄と同じ文脈で捉えているが、やはり論証が不十分です。漠然とした仮説であって、今後もオーソライズされる見込みもないでしょう。