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心即理 Wiki転載
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投稿者 金十字架 日時 2009 年 8 月 22 日 01:01:22: mfAWtS4GF8MpY
 

心即理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


心即理(しんそくり)は、宋明理学における命題の一つ。

心こそ理であるとする。

中国、南宋の陸九淵や明の王陽明が定義した。

人間は、生まれたときから心と理(体)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。

その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致するので、心の外の物事や心の外の理はない。

よって、心は即ち理であると主張した。

朱子学のように心と性とを分別しないのが特徴である。

朱子学では聖人は学問の研鑽と静坐により達成した人であったが、

陽明学では「満街の人みな是れ聖人」
(街中の人すべてが聖人)というように、
すべての人が本来的に聖人であるとし、
その心の良知を静坐により発揮しさえすれば(致良知)、
それが聖人の証であるとした。

心即理説は人間そのものを認めるため、
やがて人間の心が持つ欲望をそのまま肯定するようになる。

王学左派、李贄(卓吾)がその代表的人物であり、
彼は外的な規範をすべて否定し孔子をも批判するにいたった。

また、すべての人に聖人となる可能性を認めたため、
儒学を士大夫の学ではなく、庶民の地平にまで広げた。

このため陽明学は反体制を擁護する思想となっていくのである。

==============
転載おわり

孔子は自分の中に大した位置づけの無い事が
これで理解できた

陽明学をいまこそ流布すべき時  

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