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さてそれでは今回の「西松建設」ですが、「かんぽ疑惑隠し」という森田説は成り立ちません。 何故なら、その前の”防衛疑獄”の流れからして、西松建設の事件が特捜絡みとなった時点で、本丸は小沢氏だなと、ピンと来る人は来ていましたから。
その事を説明する前に、仁王像さんが”プロ”と認める森田氏について一言。
今回に限らず、政治的な問題に関して常に隔靴掻痒の感がある森田実氏の評論ですが、
私に言わせれば所詮「安保ブンド」、即ち体制内(左翼)反対派に過ぎなかった氏の限界であると、敢えて言っておきましょう。
平成版”ロッキード疑獄”になるかに思えた2年前の”防衛疑獄”、平成版児玉誉士夫
の秋山直紀氏の示唆するところによれば、検察の本命は小沢氏、キューマ氏は「灰色高官」といった役処でしょう。 そうして平成の「ロッキード事件」への展開を拒んだのが福田政権を巻き込んだ「大連立」騒動、背後で動いたのが平成の<公武合体>勢力です。 カギを握る人物の怪死と守屋元事務次官が盾になったことで、結局このルートは塞がれたと判断した検察が、次に目を付けたのが西松ルートだった、ということ。
そこで今回の「国策捜査」ですが、「ロッキード事件」の際、時の検察首脳は”田中逮捕は国家の論理”と言いました。 無論、今の言葉に直すと「国策捜査」でしょう。
では、その「国策」とは何か?「国家の論理」とは何だったのか?
多くの皆さんが麻生政権乃至自民党政権の意向(同じもの)と思い込んでるようですが、勿論全然違います。 数年〜数ヶ月で変わる政権や選挙で交替する政党の思惑を超えた処で持続する<意思>ということで、当然、それを実体的に担う官僚ということになる。
例えば”国は何もやってくれない”とか”国の責任”という時の「国」とは、実体的には官僚とその統治機構、という事でしょう。 即ち官僚ースターリンいうところの「箱に入った」存在ーこの存在を抜きにしては「国策」乃至「国家の論理」は対象化出来ないのです。 何故なら<正統性>とは、<支配>を承認する我々=国民の側ばかりではなく、支配する側=権力を行使する側(官僚)にも突き付けられてる問題だから、です。
そこでですが、今回の東京地検特捜部の顔触れを見て、何か感じる事はありませんか?
或いは、田中角栄氏から今回の小沢氏まで、この間東京地検特捜部のターゲットになった政治家達を見て、ピンと来ませんか?
もし何も感じなければ、その人は、日本の現在はおろか過去も、即ち日本の近代そのものが分かっていない、ということになります。
以上の事を含めて、今回の私が立てた三つのスレッドについて、疑問なり質問、及び反論等でめぼしいもの(これは応答のし甲斐があるいう意味で)が無ければ、次は本論に入らせてもらいます。
題して「南部大統領と薩長政権」