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日本における<正統性>(の危機)について、「小沢問題」を手掛りに論じようと思いますが、先ずはこちらで交わされた小沢氏の評価についてから入ることにしましょう。 党首を辞任したことでギロンが立ち消えというかウヤムヤになった感が有りますが、この問題は日本の現在及び未来を見る上で極めて重要な問題を投げ掛けていると思われるので、蒸し返すのも気が引けることではありますが、改めて提起させてもらいます。
肯定否定何れにも異論は有るのですが、議論の取っ掛かり上、最もこの問題に触れている仁王像さんの所論について。
ーとは言っても私の小沢氏へのスタンスは「敵の敵は味方」以上ではありませんし、仁王像さんにギロンを挑もうというのではありません。
仁王像さんの「小沢評」に殆ど不同意なのですが、それは単に、何も知らないんだなと
思うからです。 即ち、現実認識が出来ていないーその上になされた「小沢評」などは
取るに足らないからです。 沖縄とまでは言わない、横須賀に行ってみるといい、或いは岩国、或いは佐世保、三沢ーせめて日本地図を見開いて、それらの米軍基地の所在を眺めてみればいいのです。 また、アメリカの陸軍(陸軍ですよ!)の第一軍団の司令部が首都の直ぐ傍(座間)に置かれる意味、急速に進む、在日米軍と自衛隊との軍事的一体化の意味するものを、一度と言わず何度でも、考えてみるといいのです。
しかも、にもかかわらず肝心要の、日本国民の多くが、今なお、そういうアメリカに親しみと憧れを抱き続けているのも又、厳然とした事実でしょう。
そうした中で、かって、千載一遇のチャンスを捉えて、対米自立を図った田中角栄氏を
アメリカとその手先どもによって葬り去られ、あろうことか国民大多数がそれに拍手喝采を送った現実を目の当たりにした時、政治家としてどのように処すればいいのか?
表面的にはそういった現実に積極的に応じる素振り(親米派)を見せながらも、裏側では政治的な父でもあった田中氏の轍を踏まずに他日を期すという、二面性を保持する以外にはないでしょう。 仁王像さんはそうした小沢氏の表面のみを捉えて論難してるに過ぎない(その意味で、”角栄御用”と、それこそ体制御用の提灯持ちを務めた社会党や共産党、及び市民派の後輩といったところですかな)。
例えば官僚との関係にしても角栄氏の手法を真似てる風にしか思えないし、「国連軍」にしたところで、「国連」というタガをはめる(拒否権を持つ中・露両国の了承抜きにして常設国連軍というのは有り得ないのだから)ことによって、このままでは米軍の手先(手駒)に過ぎなくなるー文字通り米衛隊になるー事態を回避することに主眼がある、と思えるからです。 米軍にとって、軍事的及び政治的には対中(露)しか意味はないのですから。
また「新自由主義云々」にしても、イギリスの労働党政権や中国共産党政権、更に左派とされてる韓国の金大中・盧武鉉政権の政策が「新自由主義」に分類されている様に、ポスト・冷戦の、対抗思想が全て消滅する中においてこの問題は捉えられるべきー即ち世界の潮流とどう折り合いを付けるのか?の視点で見るべきーでしょう。
しかも、英米発のこの新思潮によって、必ずや小沢氏の敵対勢力がヘゲモニーを奪いに来るであろうことが予想される以上、主導権確保の点からいってもね。
まぁ、これらの事を割り引いても、「新自由主義」の旗印を掲げた事は事実だし、その点で指弾されるべきであることは論を待たないけど。